世には心得ぬ事の多きなり

 万事屋が、俺の誕生日会に来るとは思っていなかった。誕生日会なんて名目上のもので、実際には酔っぱらい会場と化していたとしてもだ。それでも、心がふわふわと浮き立つんだから仕方ないだろう。
 かといって俺が万事屋と和やかに会話する事なんか出来やしない。顔を突き合わせた序盤に口争いしただけで、それ以降は碌に口もきいていなかった。だってあの綿飴頭がムカつく事ばっか言ってくるから。
 その事でささくれた気になるが、酒に任せて飲んだくれる気にもなれない。俺の誕生会って名目で酒飲みてぇだけなんだアイツらは。飲んだくれる隊士達は放置して、ちまき土方スペシャルを黙々と口に運んだ。……腹は満たされた。が、気分は晴れない。

「副長、その」
「……なんだ原田」
「言いにくいんですがね、旦那がすっかり寝ちまいまして」
「………」

 飲み過ぎたんですかねぇと苦笑する原田に、小さく溜息が漏れる。
 総悟と山崎は俺を揶揄すやら気遣うやらで、万事屋の傍にはいなかった。無論俺もだ。
 ────だからこそ、俺には出来なくても、万事屋の近くに居た奴らが飲みすぎるのを止めてやれば良かったんだ。そんな意を込めて原田を軽く睨んでやるとと「いやぁ……止めても旦那のヤツ、聞いてくれなくて」と笑う。気が良いのも考えものだ。
 酔っぱらって喚いたり暴れているなら屯所からつまみ出してやろうかと思ったが、眠ってしまったと言う。それにもう夜更けだ。いくら俺と万事屋が険悪な仲とはいえ、朦朧とした状態の一般市民を夜道に捨て置くのは寝覚めが悪い。
……なんて色々並べ立てたところで結局、惚れた弱みだ。一晩くらいは屯所で引き取ってやっても良いかなと、そんな甘いことを思ってしまう。
 そして原田も、口に出さないだけで”それ”を望んでいるんだろう。
5日の夜は誕生日会をやるんだと万事屋に話しやがった総悟も、胸倉掴み合った俺達を止めに入った山崎も、こうして伺いを立てにきた原田も、俺の誕生日を『特別な日』だと決めつけていると思う。誕生日だなんて言っても、ソレ口実に酒が飲めるくらいのもので、実際は何も変わらない。……万事屋にとっての今日は、タダで飯と酒が飲めるくらいの意味しかない。

「広間の隅に、布団でも敷いてやるか」
「副長……おう、そうだな」

 だがそれとこれとは別問題で、心意気を無下にしたくはなかった。原田が明らさまに安堵するのが目に見えて分かったから、追い出す、つまみ出せと言わなくて良かった。どいつもこいつも世話焼きが過ぎる。
 原田と二人で酒瓶を片付けて布団を敷いていると、さっきまでグーグー寝ていた筈の万事屋がフラフラと近づいてきた。原田に聞いた通り確かに覚束ない足取りだったが、原田を一瞥してから、据わった目で俺をジットリ睨んでくる。

「……おいコルァ、ひじかたぁ! おめー、そこで寝るんじゃねぇだろうな」
「はぁ……?」
「寝んのかよお前。このハゲと。んなのぜってぇ許さねぇぞ俺ァ」

 なんでテメェの許可が要るんだとか、まだ何も言ってねぇよとか、俺は文句を言おうとした。だが、全身が急激な浮遊感に襲われる。いきなり万事屋が俺を担ぎ上げたもんだから、舌を噛みそうになったんだ。ついでに、言いかけた文句まで飲み込まざるを得なくなってしまった。

「お前の部屋は? 誰も居ねぇよな。…もし他の野郎が居たら」
「い、居ねぇよ」

 万事屋の纏う空気が、俺には周囲よりマイナス5度くらい低く思える。気のせいだろうか。
 広間では、お互い顔も見ずに勝手気ままで居合わせていた。あの時は確かに、呉越同舟も同然だった。それがどうしてこうなった?
 酔っぱらった万事屋の面倒を見るつもりが、その酔っぱらいの首にしがみついてる俺は何なんだろう。これじゃあ俺が面倒見られてるみたいで腹が立つ。

「降ろせよ」
「………」

 万事屋は無言だ。ドンチャンうるさい広間に布団を敷かれたのが気に食わなかったのかもしれないが、敷いてやるだけ有難いと思いやがれ。どうして俺の部屋に来るんだ。俺の布団を占領する嫌がらせでもしたいのか。

「俺の部屋より客間に行け、布団一式余ってるから」

 言えば、万事屋は渋々といった風で方向転換をする。やはり耳が聞こえないわけではないらしい。客間には誰も居ない(万事屋以外に客が居ないから当然だ)から仕方なく布団を敷いてやる。俺ももう寝てしまおうか、酔っぱらった隊士の面倒は山崎に押し付ければいいなんて、無責任なことを少しばかり考えながら部屋を出て行こうとすると、身体が不意につんのめった。着物の裾を強く引っ張られたんだ。犯人なんか言うまでもない。

「ぐ……っテメェ、何なんだよさっきから!」
「どこ行くんだよ」
「部屋だ。寝るんだよ俺も」
「なんか眠れねぇからさ、ちょっとだけ居てくんねぇ……かな?」

 そんな捨てられた犬みたいな目で俺を見ないでほしい、罪悪感が抉られるから。思わず俯いてしまうと万事屋は俺が怒ってるとでも思ったのか、「少しでいいからよ、お前と話したいっつーか……」「いきなり喧嘩吹っ掛けたのは俺が悪かったよね」そんなセリフを殊勝な声で言い募る。
 やめてくれ、お前の口が上手いのは充分知ってるんだ俺は。そんな事言われなくても、馬鹿な俺はとっくに断りきれなくなってるから。
 なんとか平静を装って「仕方ねェな」と呟いたら、とりわけ満足した顔で笑ってみせた。
 それからの万事屋は嬉しそうにとめどなく喋りだして。話題は主に俺の誕生日のことだ。ジミーから聞き出せて良かったとか、ドS皇子に団子奢らされて大変だったとか何とか。俺と機嫌良く話すなんて、今日の万事屋はどうしたんだろう。神様なんて信じるわけではないが、誕生日プレゼントを貰えた気になる。緊張で硬くなってた相好も、知らず知らずの内に寛ぐようなそれに代わった。

「でも良かったぜ、お前がハゲ……原田だっけ? アイツと二人で寝ちまうのかと思ったからよォ」
「ンなワケねぇだろ。もしそうだとしても大広間で寝るかよ、あんな煩ぇとこ」
「うるせぇところじゃなくてもだろ。こーゆー静かな部屋でも、他の奴と二人で寝るのは良くねぇんじゃねーの」
「ッ…? あ、ああ、そうだな……」

 つい、と手を伸ばされて頬を撫でられる。顔がマトモに上げられなくて、俺は同意の返事をするのが精一杯だった。きっと、副長としての威厳や緊張感を持てって話だろう。万事屋はしたり顔で頷く。

「そうそう、分かってるじゃねぇか。じゃあ土方くんが寝るのは他の野郎の布団じゃねぇよな」

 言うが早いかグイッと腕を引っ張られ、崩れた体勢がトスンと受け止められる。万事屋の、胸元に。
アルコールで温まっているのか、高めの体温が、直に顔に当たって。

「よ、万事屋っ? は、はな、はなせ……!」

 お前は素面で、況してや男にそんな事を言う奴じゃないだろう。酔漢のくせに馬鹿力は残っているらしく、両手が背中に回されて逃げられない。縺れるように布団に転げた。ふざけているのか足まで絡めようとしてくるのを必死に抵抗すると、万事屋は不機嫌そうに眉を顰めた。

「他の野郎とは寝かせねえって言わなかったっけ?」
「言ってねぇ、知らねぇっ。そんなん知らねえ! や、嫌だッ……」
「暴れんなよ。つかお前の体温低くね? 丁度いいわ、気持ちいい」
「……っ」
「髪もサラサラだしさぁ。…これくらいで耳たぶ真っ赤にしちまって、ホント俺好み。可愛いな」
「か、かわ……?!」

 ────落ち着け。コレは酔っぱらいコレは酔っぱらいコレは酔っぱらい……。
 そればかりを呪文のように繰り返し言い聞かせた。そうでもしないとどうにかなってしまいそうだ。俺は喚きたいのを必死で堪えた。騒いだら、この残念な状況を誰かに見られてしまう。
 大したことじゃない。万事屋は酔っ払って、誰か別のヤツと間違えてるんだ。俺とは欠片も似つかないんだろう可愛い誰かと。
 胸の端がチクリと痛むけれど、これが現実だ。分かってる。いくらでも認めてやるから、コイツの熱視線を何とかしてほしい。さっきからずっと、じっと見られる恥ずかしさに焦がされてしまいそうだ。

「抵抗しねえの?」
「し、てェよ……耳元で喋んなっ」
「してェけど出来ねぇって? 殴ってくれねぇと俺、調子乗っちゃうぜ土方くん…こうやって」
「なっ……えっ…?」

 帯を解かれて、肩を露出させられる。上半身を裸に剥かれた。首元にキスをされる。

(俺がこんな事を思うなんて嘘みたいな話だが)
(コイツ酔っ払ってるだけなんだろうし、でも)
(て、貞操の危機、みたいな……)

「っオイ、万事屋!」

 覆い被さってくる身体を、俺は何度も押し返した。

「ん、なに……?」

 「お前ってホントきれーだよな」とかやけに熱を帯びた視線を寄越してくる。何を言ってるんだこいつは! 驚きと緊張で、これじゃあ瞳孔だっていやでもカッ開くに決まってるだろう。

「あ、あのな、こんなのは野郎同士でやる事じゃ……っふ、やめ」
「乳首感じてんの?」
「違うッ……こういうのは、す、好きな奴と…」
「俺ひじかたくんのこと好きだもん」

 必死で諭しても聞いちゃいない。ワケの分からない返しをしてくる辺りからして正気の沙汰ではない。……正気じゃないだろうけれど、そこに付け入りたい、ずるい自分がいる。
 このまま流されてコイツのせいにしてしまえばいいんだ。コイツの力が強いから、振り解けなかったから、最後まで……。

(なんてな)

 そんなことをしたって虚しくなるだけだ。肌を合わせればそれで満足だとか、俺は思えない。きっと心まで望むだろう。こいつが欲しいなんて、いくら誕生日だからって、図々しすぎる願いだ。
 万事屋に乱された合わせを無理矢理掻き合わせると、下着まで触ろうとしていた奴が漸く手を止めて,不思議そうに俺を見た。

「んだよ……どうかした?」
「どうかしてんのはテメェだろ。ふざけんのも大概にしろや」
「……そっか、悪ぃ」

 やっとマトモに戻ったらしい。やおら立ち上がると、一言。

「ゴムねぇと話にならねぇもんな。買ってくるわ」
「……ハァァァ!?」

 前言撤回。ちっともマトモじゃない。だが万事屋は俺の驚きを余所にさっさと部屋を出て行った。いや待て、そんなモン持って来られてもどうすりゃいいのか全く分からないぞ俺は。

「ま、待て万事屋! 行くな! ゴムとか! そ、そんなモンいいから!」
「え。ナマ……っなに言ってんだよ、俺だってセーフティーセックスくらいするっつーの! そりゃあ後々はアレがソレでアレけども!」
「セッ…馬鹿、デケェ声で言うな!」
「なるほどねェ……旦那ァ、今からセーフティーセックスですかィ?」
「総悟ォォオ!!」
「アンタの声が一番でかいですぜ。土方コノヤローの貞操はどうでもいいですが、使い物になる程度にしてやって下せェよ、明日も仕事なんで」
「大丈夫だいじょーぶ、優しくするから。…な、土方」
「オイ総悟、違うからな。分かってるとは思うがこのクソ天パ酔っ払ってやがるんだよ」
「言い訳なら、せめて首んとこのキスマーク隠してから言えよ死ね土方」
「……っ」

 この野郎いつそんなモン付けたんだ!?
 心当たりが無、…ある事がなんかもう、駄目だと思う色々と。
総悟に万事屋、両方から来られたんじゃ俺の手には負えない。

「総一郎くん変な事吹き込むのやめてくんない? 俺はちゃんと隊服着れば見られねぇ場所に付けたんだけど」
「今は隊服着てねぇんで」
「あ、そっか……え、じゃあ見ないでくんない? 俺の土方が目減りすんだろが」

 万事屋はこれ以上は無用とばかりに俺の手を引いて屯所の門を潜った。
甘ったるい言葉は、酔っ払いの戯言でしかないんだろう。つーか門番はどうしたんだ、呑んだくれか。

「やっぱホテル行かねぇ? ちゃんと金出すし、邪魔されたくねぇし……もう日付変わっちまったけどよ、誕生日おめでとう、土方」

 ホントは俺が一番に言ってみたかったんだけど、と苦笑する優しいコイツを、今だけは独占してみたいと思っちまった。
後朝に情は要らない。コイツが目を覚まさない内に出て行くし、うまくやるから。忘れたフリして過ごしてみせる。

「……ああ。俺も、お前と居てぇ」

 だから頼むと見えやしない神様に願って、抱きしめられた腕の中で力を抜いた。月の光を溶け込ませて光る銀髪に見入れるのも、今だけだ。
 

***

 
 次の朝、目を覚ました俺の目の前にはまだ眠そうな万事屋が居た。しまった、寝過した。寝ぼけ眼で飛び起きる。万事屋も起きて数分しか経っていないらしく髪に寝癖が……いや、寝癖じゃなくて単に寝起きで天パが酷いだけかもしれない。

「土方……? え、なんで裸?」
「……さぁな」

 着衣を正す間もないが、逃げてしまいたい衝動に駆られる。

「なんだよ。お前も覚えてねーの? ……こんなトコだし、身体が辛ぇとか」
「! んなワケねぇだろ、俺がテメェをヤると思うのか?」
「思わねぇよ。でも副長さんはムカつくくらいイケメンだから経験豊富そうだしィ」
「………」

 ならもう話は終わりだ。視線を逸らすと、床に落っこちてたゴムの残りに居た堪れない気になる。後でこっそり回収しといた方がコイツに怪しまれずに済むだろうか。
 携帯を開けば着信が数件。昼からの勤務だが、さっさと帰った方が賢明だろう。それに下世話な話ではあるが、万事屋が俺を経験豊富そうだと思ってたのは好都合だ。そういう事にしておけば責任を感じる必要もない。お互い疾しい事は忘れてしまえばいい。
 俺が何も言及しないでいると、ぼんやりしてた半目が見る見る内にギラついたものに変わる。起こしていた半身がベッドに縫い付けられた。テメーが何も覚えていない事から湧いた苛立ちか、俺が肯定しなかった事が災いしたのか。でも俺は根っからのホモでも尻軽でもないから、どうやって誤魔化したらいいか分からないだけなんだ。万事屋の為にも、せめて軽いヤツの定番セリフの一つや二つ言えたら良かった。

「オイオイ待てよ、マジで他の男が居んのかお前?」
「テメェにゃ関係ねぇだろ。万事屋、離せ」
「答えろよ。……そもそも覚えてねぇとか、それ自体あり得ねえからな。オメーは昨日の夜、俺に恥ずかしい事されてヒンヒンスンスン喘いでただろ」
「!? なっ、テ、え……」
「はいストップ、嘘だとか言うんじゃねェよ傷つくから。目ぇウルウルさせて抱きついてくるとか可愛いすぎるから。もう離してやんねぇし忘れたとか言わせねぇぞコノヤロー」
「………!」

 ホントは慣れてなんかないんだ。今だって尻の奥が擦れたみたいな異物感を感じる。じんじんする。
 他の奴だったらとっくに斬り殺してる。
 俺が何かを言う前から目の前の万事屋は悔しそうで、怒ってるのに泣いてるように思えた。俺の事で必死になってるのか、捉えどころのないコイツが。
 忘れたとは言わせねぇよって、こっちのセリフだ馬鹿野郎。可愛げも何もねぇけど、それを言ったら万事屋は笑ってくれるだろうか。