真選組副長が損傷したばかりの傷に巻かれた包帯を取り替える時、どうしても隙が出来るからと雇われていた。
……本当は、そんなの建前でしかない。だから、【護衛役】であるはずの銀時の少し冷たい指は、迷わず土方の胸元へと伸びていた。
しかし、土方に色めいた空気は皆無である。医務的な作業をしている最中でしかない。邪魔すんな腐れ天パと、目が口ほどに物を言っていた。
どやどや騒がしいばかりの広間を通り過ぎ、何もないのに厳しさだけが突き詰めて漂っているような、土方の私室に寝転んだ。
煙草の匂いは未だしない。土方が戻るまで、もう少し時間がかかるのだ。我が物顔をしてみてはいるけれど、この副長室で、真選組の隊士でもない自分の存在は余所者でしかない。
ところで、武装警察の根城だ。ただの一般市民なら緊張して落ち着かないものかもしれないし、銀時がならず者の過激派攘夷浪士だったら、いずれ戻ってくるこの部屋の主を殺すことに全神経を尖らせるだろう。
銀時はそのどちらでもなかったが、この部屋の主のことを考えていることは確かである。
今日は天気も良い。気を利かせて布団を干しておいたし、取り込んでから広げてみた布団は万事屋の万年床よりもフカフカしていてずっと良い寝心地だった(勝手に寝るなと怒られるかもしれない)。
自分だって手負いのくせに、毎日欠かさず真面目に働いているんですよ、あの人。
地味なお抱え監察から聞いていた話だったが、事実その通りだった。沖田の方は呆れ顔になって、土方を襲撃する気にもならないらしい。
朝、銀時が部屋の布団を干して、土方を送り出す。陽が傾く前に布団を取り込み、帰ってきた土方は風呂に入り、世間話もそこそこに飯を食って、夜は事務仕事を片付けてから寝る。
年末にかけて忙しい時期なのは自明であり、文字通り食う寝るだけの住むところだ。プラス仕事。
──全くよォ、ロクな職場じゃねーな。上司の顔が見てみてぇ……あ、やっぱ良いや。
「おかえりー、土方くん」
「テメェ、今日も帰らねェのかよ。勝手に昼寝すんな」
「堅てェこと言うなって。傷も痛てェ、肩も腰も内臓も痛てェとか、公務員ってのは大変だなぁオイ」
「……痛くなんかねえ。テメェが運動不足なだけじゃねーのか? 昼寝して肩が凝るのか」
「お前、これ以上動いたら過労死するよ? 働き過ぎだっつの……ったく、どいつもこいつも手負いのマヨラーの世話とかいう面倒ごとばっかり俺に押し付けてくれちゃって、こっちだって若くねェんだよ? いや、美人に求められれば応じるだけの体力は死ぬまで持ってるつもりだけどネ゙ェ゙ッ゙ッ゙」
「包帯の加減はどうだ?」
「テメ、内臓までねじ切れそう、だッ、て、ッ」
「この程度で天下の白夜叉殿が落ちるとは思えねェな、っ…、…ッ!?」
「はいはい、終了~。やっぱ腹ンとこ痛てェんだろ? まあ別にじゃれてきたって良いけどね、生存確認の手間が省けるし」
「……勝手に殺すんじゃねーよ」
真選組副長が損傷したばかりの傷に巻かれた包帯を取り替える時、どうしても隙が出来るからと雇われていた。
……本当は、そんなの建前でしかない。だから、【護衛役】であるはずの銀時の少し冷たい指は、迷わず土方の胸元へと伸びていた。
しかし、土方に色めいた空気は皆無である。医務的な作業をしている最中でしかない。邪魔すんな腐れ天パと、目が口ほどに物を言っていた。
「……つーかそれ、俺がやってやろうか? 疲れんだろ」
「……テメェにそんなこと、頼んでねぇ」
「お前、知らねーの? 今更なこと言わせちゃう? 万事屋はなんでも万事のコトやるから万事屋なんだよ。こないだ、お前の部屋の天井が穴空いたのも直してやっただろうが」
「アレは総悟がやりやがったんだ。俺が壊したんじゃねェ」
「……誰が壊したって、俺がちゃんと直してやるっつの。いいから包帯もよこしやがれ」
「……チッ。さっさとしやがれ」
お互いの立場上だけを考えれば出会うはずもなかったし、出会うメリットだってなかった間柄なのかもしれない。
それでも、偶然のエンカウントを切っ掛けにして現在まで続いている腐れ縁はまるで折り跡のように、真選組と万事屋の距離を癖付けた。
これから何が起きたとしても相変わらず今まで通り、銀時は愚痴を零しながらのらりくらりと江戸を行き、土方もいつも通り不遜な態度で、大事な大将と真選組の為に命を懸けていけば良い。そうすればこの先何年か、きっと10年くらいはこのままで居られる。
なんて、現状維持が得策か否かは置いておいての話だ。
しかし、それに甘んじているのも正直なところで。銀時は(そしてきっと土方も)簡単に恋できるほど器用でもないし、堂々と愛を謳えるほど強くもない。
土方は部屋に戻る前にシャワーを浴びてきたらしい。不意に石鹸の香がフワリと鼻腔を擽り、鼓動が俄かに早くなった。困るから態度には出さないように気を引き締めておかなくてはならない。銀時は努めて、医務的な音に聞こえるように言った。
「できたぜ、動いてみな。……どうだ?」
「ああ……悪くねぇな」
「多少動いたくらいじゃ解けねェようにアレしたからよ」
取り替えた布を一纏めにして処分する。土方は『反省なんかしてません』って顔をしていて、銀時もその方が有り難かった。
夜は共寝したりなんかして、それだって万事屋の仕事といえばそうなのかもしれない。神楽と定春、それから新八も、それぞれに成長して大人になってゆく今、世話を焼いてやる相手が居ないのは少し寂しい……という感情は否定できない。否定できないが、本当にそれだけかと自問すると言葉に詰まった。口から生まれてきたなんて称されるのに、この体たらく。みっともなくて言えやしない。
──ささやかで、腹も立つけど可笑しくて笑えて、危なっかしいけど放っておけないという顔を隠さず見せること。
──同じ部屋で眠っている時、銀時の背に触れてくる手のひらの温度に、気づかないふりをしていること。
お互いに何も言わない、気づかないフリをするのが暗黙のルールになっていて、それは良い大人が二人して、触れてはいけないものをケースの外側から一心に眺めているようだった。
「……万事屋」
「なに? 今日ってまだ何かあったっけ、」
「俺だって、テメェの包帯を取り替える時は同じようにやってやる」
「………え?」
「怪我した時は綺麗に洗った傷の上に軟膏を塗って、布を当てて包帯巻くんだろ。テメェと違って、ふざけたことも言わねェでおいてやるし……夜が明けたら傷の具合を見て、また包帯を巻き直すくらい、してやる…から」
「………! ……土方、」
「いや、……間違えた。わ、忘れろ、今のは」
さっきの芯のある瞳も声も途端に揺らいで、土方は銀時から視線を逸らしてしまう。
「だいたい、俺が手当てしてやることなんかねェし……考えてみりゃ、ガキどももデカくなったし、いい時期じゃねぇか? テメェも結婚して、可愛い嫁さんが出来るだろうしな。そうすりゃ……」
「出来ねーよ。理想高いんだ、俺」
堪えきれず、土方の腕を引いて抱きしめていた。煙草の匂いではなく石鹸の匂いがして、土方の傾いた体躯が少し銀時へのしかかる。
土方の生き方を大事にしたままで、土方の想いに応えるとして。そもそも応えたいと本心から思うのか。答えはずっと前から形作られていて、取り出すことを恐れていた。眺めるだけだったそれを土方の手が取り出そうとしたのが今この瞬間で、やはりそれが不快だとは欠片も思わなかった。
不快どころか、とても嬉しくて仕方ない。高揚と歓喜が胸一杯に溢れ返っている。
こんな、告白の一つも満足に言えない面倒な男を選ぼうってんだから、真選組の副長は市井で聞き及ぶよりずっと物好きな色男だ。いったい誰に似てるんだか。思わずクスリと笑えば、土方の溜め息交じりの声がすぐ耳元で聞こえた。
「理想が高いとか……お前な、貧乏人のくせに贅沢言ってんじゃねェよ」
「別にあっちもこっちも欲しいなんて言ってねぇだろ。一人で良いんだよ」
なんでもないように言った。そうでもしなきゃ、やってられねェと思ったのだ。
この歳に至るまでにずっと胸の底に押し込んで隠してきたものや失くしてしまったものが多過ぎて、それら全てを忘れて世間から祝福されようなんて望みは、とうの昔に錆びれて朽ちてしまった。だが、それでも何とかこうして生きながらえてきた。
このまま気づかないフリで生き続けるのは、この現状維持が、土方を大事にしていると言えるのか。……むしろ、コイツの兄ちゃんにバチでも当てられそうだと思う。総一郎くんとかジミーとかハゲとかゴリラとか、下手したら隊士連中も総出で不甲斐ない天パ野郎を屯所から容赦なく蹴り出すのかもしれない。
坂田銀時は所詮、一般市民の部外者である。今は依頼という名目があるけれど、それだけだ。それだけ。……それだけなんて真っ平御免だ。それだけじゃ、足りないにも程がある。
これから何が起きたとしても相変わらず今まで通り、銀時は愚痴を零しながらのらりくらりと江戸を行き、土方もいつも通り不遜な態度で、大事な大将と真選組の為に命を懸けていけば良い。そうすればこの先何年か、きっと10年くらいはこのままで居られる。
だが今、こうして腕の中に居てくれている物騒で真っ直ぐな男を誰かに渡すなんて考えたくもない。考えれば最後、若くないくせに体内の血が熱くなるようだ。絶対ェ奪い返してやるから覚悟しやがれ!と息巻く自分自身が目に見えるようで、少し面映い。
本当に、どうしたって何年経とうが土方とは同じことを考えているに違いないだろう。だから、もう迷いはなかった。
「……真選組の副長さんに、言おうと思ってたことがあるんだけど」
「そいつは奇遇だな。俺もだよ」