ヨコハマ代表MAD TRIGGER CREWが出場を辞退して半年が経っていた

 俺はウサギだ。飼い主の左馬刻と理鶯がいるマンションで、のんびり暮らしている。寒さには弱いから、今日も毛布が敷かれたソファの上で昼寝をしていた。夜は一つのベッドに三人で眠る。今日は左馬刻の仕事が休みのはずだったけど、急用が入ったみたいだ。せっかく一日中かまってもらえると思っていたのに、左馬刻は理鶯まで連れて出かけてしまった。たまには俺も外に散歩に行きたい。でも、そう言ったら危ないから絶対ダメだと怒られた。マンションの外には怖い動物が沢山いて、そいつらは鋭い爪や牙を持っていて、ウサギをばっくり食おうとするんだとか。つまり外はとても危険な場所らしい。それは分かったが、左馬刻と理鶯は危険な外に出かけて大丈夫なんだろうか。心配になる。二人とも無事に帰ってきてくれるから、俺はいつもホッとしている。
 仕方がないので、窓から差し込む暖かな日差しを浴びたりソファでゴロゴロして留守番するだけだ。日当たりが良いな。
「はぁ……それにしても暇ですね……」
 遊び相手もいなくてつまらない。二人とも、いつ帰ってくるんだろう。
 俺は暇を潰すためにテレビを見ることにした。ウサギだからテレビのしゃべっている内容はわからないが、大きな画面に映し出されている映像は、眺めているだけで十分楽しめる。
“リモコン”という道具でテレビを点けることができる。赤いボタンを押すと、テレビの電源が入った。映っているのは、黒いスーツを着た男の人。こっちに向かって真面目な顔をしている。

『それでは次のニュースです。MAD TRIGGER CREWのメンバーであり、ヨコハマ署に勤務していた入間銃兎巡査部長が半年前、違法マイクの捜査中に行方不明になった事件で────』
「ジュート!」
「銃兎」
 テレビの画面を見ていると、左馬刻と理鶯の呼ぶ声が聞こえた。ただいま、って言わないのは珍しいな。振り向くと、二人は怒ったような困ったような変な顔をしている。
「おかえりなさい。左馬刻、理鶯」
 俺は寂しがりやのウサギだから、飼い主の二人が帰ってきたのがとても嬉しい。左馬刻と理鶯の胸元にすりすりと頬を寄せた。ふんふん、外の匂いだ。錆びたような苦い匂いがする。それと、なんだか煙のような、焦げたような匂いも。好きというわけじゃないが、仕事から帰ってきた左馬刻はよくこの匂いをさせている。理鶯からは時々するくらいだけど。これを嗅いでると、どこか手の届かないところを爪の先で掻かれるようで気になるんだよな。他のウサギだったら、この匂いをどう思うんだろう。他のウサギに会ったことがないから分からないけど、俺はこの苦い匂いを嗅いでると、なにかが引っかかるんだよ。不思議だな。
「勝手に点けんじゃねぇよ」
 左馬刻がリモコンを手に取ると、テレビの電源を消してしまった。
「……だって、二人がいなくて暇だったんだ」
「そうか。待たせてしまって済まない、銃兎。……今のニュースが、何について放送していたものか分かるか?」
 理鶯の低い声が穏やかにそう言うと、左馬刻の顔がさっきの男の人のように、いやそれよりもずっと鋭い目をして真剣になる。真面目な話なんだろうか。
「りおう……すみません。私はウサギだから、テレビの意味は分かりません。男の人は、真剣な顔をしていたようですね」
「……うん。…そうか」
「理鶯、……諦めんじゃねぇぞ。まだ分かんねぇだろうが」
「りおう……? さまとき……?」
「ジュート、てめぇが気にするこたァねぇよ。……ジュートはウサギだから、難しいこと分かんねぇもんな」
「ん……」
 左馬刻は、もう怒ってないみたいだった。理鶯と二人で一緒にしゃがみこんで俺と視線を合わせてくれる。嬉しい。俺はウサギだから、いつも飼い主の左馬刻と理鶯を見上げてる。
 俺はウサギだから、左馬刻の言うとおり、あまり賢くない。難しいことはわからないけど左馬刻と理鶯がいなくなったら絶対に嫌だと思う。ひとりでこの部屋に取り残されたりしたら、寂しくて辛くて悲しくて息が出来なくて、きっと死んでしまう。左馬刻と理鶯がいないと。二人のことが大好きだ。
 ねえ、左馬刻、理鶯。たまに眠る気にならない夜があるんだ。そんなとき、こっそりずっと起きてるんだけどな、夜中に二人がリビングで肩を寄せ合って、何かを言い合ったり、左馬刻が怒鳴ったり、でも最後は二人で肩を叩いて元気づけあってるの、知ってるんだよ。使い込まれたマイクを、すごく大事そうに見ているもんな。そのマイクは大切なものなのか? 俺がウサギだから悪戯して壊しちまうと思って、見せてくれないのかな。玩具じゃないことくらい、ウサギにだって分かるのに。
 理鶯の持っているマイクとは形が全然違っている。左馬刻の持っているマイクとは形が似ているけれど、やっぱり左馬刻のマイクでもないんだ。
……だって左馬刻と理鶯が、そのマイクに口づけしてるのを見たんだよ、俺。
 それは誰の持っていたマイクなんだろう。二人がキスするくらい愛おしいマイクなのか。左馬刻も理鶯も、俺にはキスをしてくれない。俺のいる部屋はいつでも快適だし、優しく世話してくれるけど、それだけだ。あの光景を思い出すと、少し苦しくなる。
 俺はウサギだ。きっとマイクの持ち主が誰なのか聞いたってウサギには話してくれないよな。悔しいけど仕方ない。その人は、どこに行ったんだ?左馬刻と理鶯と一緒には居てくれないのか?
 俺は二人と一緒にいるのに、その人はどこで何をしてるんだろう。左馬刻と理鶯が大好きだから、悲しませたくない。俺が大好きな二人を助けてやりたい。助けてやれたら、もっと良かったのに。

 俺はウサギだ。飼い主の左馬刻と理鶯がいるマンションで、のんびり暮らしている。でもウサギじゃなかったら、二人を助けてやれたのかな。最近になって、そう考えることが増えてきたんだ。変だな。前はそんなこと考えもしなかったはずなのに、最近ふと頭をよぎるんだ。俺は、本当にウサギなのかなって。
 なあ、外には怖い動物がいるんだろう?
 でも俺、左馬刻と理鶯と一緒に、外を散歩したことが、ある気がするんだよ。しょっぱい風の匂いを嗅いだし、おいしいご飯を沢山お腹いっぱい食べたし、キラキラした夜の風景を見た。暗くてジメジメしてて、錆びたような鉄臭い匂いも、嗅いだような気がするんだ。左馬刻と理鶯が、必死に呼んだ声がして。応えるより先に、耳障りなハウリングのように粗い言葉が放たれて、鼓膜を劈いた。
『おまえはウサギだ。ウサギだ。ウサギだ!』
瞬間、焼けるように熱くなる脳漿。雑魚どもの歪んだ引き攣り笑いが反響し、左馬刻と理鶯の存在を見えなくして、俺を呼ぶ声を聞こえなくさせた。混濁してブレる視界。気持ちが悪い。それから、どうなったんだっけ。
 ……分からない。覚えてないんだ。覚えてないんだから、アレは俺が勝手に見ただけの夢なのかもしれない。俺と理鶯と左馬刻と、三人で一緒に並んで歩いてたなんて、そんなはずないよな。地面に落ちて転がったマイクの持ち主は誰だったんだ。マイクが落ちるところ、俺は、見てたのかな。左馬刻が俺の代わりに拾ってくれたんだっけか。悪いなぁ。拾おうとしたんだけど身体が動かなくて、失敗したんだよ。アイツものすげぇ剣幕で怒ってたな。今すぐぶっ殺してやるって怒鳴って、理鶯が無論だと応える。だめだ、理鶯まで沸点越えてやがる。こいつらがブチ切れたら、俺が止めてやらねぇといけねぇのに。このままじゃ、スプラッタで糞グロい殺戮現場になっちまう──それなのに、どんどん意識が沈んでいく。いや、この記憶はなんだ。俺が見た光景なのか……?
 そんなわけないよな。だって俺は、半年前に左馬刻と理鶯に飼われ始めたばかりのウサギのはずなんだ。俺はウサギだ。理鶯と左馬刻のことが好き。左馬刻の紅い目と、理鶯の碧い目は、どっちもすごく綺麗だ。二人にじっと見つめられると、頭の中がフワフワしてきて、指先までポカポカする。
「……りおう……さまとき……」
「……んだよそのとろけた顔クソかわいすぎんだよ。そんなに俺様のことが好きなら、早く戻ってこいっつの……」
「銃兎……ウサギはとても愛らしいが……小官は貴殿が恋しい。左馬刻と二人で、ずっと待ち焦がれているんだ」

 俺はウサギ、のはずだよな。ウサギの俺は、こんなに大好きな二人と、どんな風にして出会ったんだっけ。ウサギなら、やっぱりどこかのペットショップか? 分からない。思い出せない。なら、店に他のウサギはいたっけか。それも分からない。俺は他のウサギなんて知らないし、大体ペットショップにいた覚えなんか毛程もないんだぞ。左馬刻と理鶯のことは分かるし、容赦ない殺戮現場を止めようとしたことだって覚えてるのに、ペットショップは分からないなんて、おかしいだろ。二人のことが好きなのに、飼われた最初の日を思い出せないなんて、おかしいよな。二人の寂しそうな顔を見ているとたまらなくなる。
 俺は一体何をしてるんだ?
 俺だって、俺も、お前らのことが大好きなんだ。早くそう言ってやりたい。俺も早くお前らに会いたい。戻りたい。これでもMTCの纏め役は俺だったんだ。年下の二人に甘やかしてもらうばかりなんて俺のガラじゃない。あのマイクは”左馬刻と理鶯にとって大切な誰か”のマイクじゃない。”俺”のもんだ。こいつらと一緒に並んで立つのも俺だけだ。誰にも譲らない。いい加減、ぬくぬく平和に暮らすだけのウサギなんてうんざりなんだよ!!

「……ああ、遅くなった。待たせてごめんな」
「銃兎……!?」
「銃兎ぉッ! てめぇなぁ……!」
────待ちきれなくなった感情が、ようやく歯止めをぶっ壊してくれたらしい。随分と邪魔してくれやがったな、ざまぁみやがれドマヌケ共が。
 俺の返事が半年ぶりに届いたのと、左馬刻と理鶯にキスされたのと、どっちが先だったかな。物騒なヤクザと元軍人が何してお帰りになられたんだかは聞かないでおいてやろう。お前ら俺よりデカいんだから、あまりぎゅうぎゅう抱きしめんなよ。加減してくれ。ウサギじゃなくても潰れるだろうが。