ぎゅってしたら許されると思ってんだろその通りだよ

 起き抜けでまだ温かった指先も、その言葉を聞いた瞬間すっと熱を失った。

「で、そろそろプロポーズしようと思ってよ……」
「ああ。銃兎はまだ眠っているようだが」
「バレねぇほうが好都合だろ?」

────左馬刻と理鶯が、プロポーズ?
 急激に速度を早めた心臓の鼓動が、固くなって冷えていく。固く詰まって、残響はない。悪い夢でも見た後のようだ。むしろ夢であってほしかった。もしも今、鏡を見たら”そんな話聞いてない”と顔に書いてあるだろう。
 左馬刻が誰かにプロポーズ、をするらしい。理鶯もするのか、プロポーズ。俺には内緒で、そのほうが好都合で、俺の知らない誰かに。混乱の最中で断片的に情報を反芻して、衝撃を受けた。精神干渉も甚だしい。お前ら今までそんな話、一度もしてなかったじゃないか。リビングでコソコソと、二人で何を話してるのかと思えば。
……ショックを受けていないといえば、嘘になる。よく見れば左馬刻も理鶯も小さな紙袋を手に持っていた。左馬刻のは黒。理鶯は白。どちらも高級ブランドだと一目で分かる。俺より身長の高い二人の手の中にすっぽり収まる、大きさこそささやかなギフトが、世界で一番価値のあるものに見えた。ブランドや値段じゃねぇんだ。そんな世間一般の価値基準なんかどうでも良い。二人からプロポーズされる相手が、羨ましくて死にそうだ。
────俺たちに裏切りは無しじゃなかったのかよ!!
 今にも見苦しく怒鳴ってしまいそうになる。
 二人にプロポーズしてもらえる幸せ者の女達は一体誰なんだ。俺の知らない女か。たしかに二人ともモテるし酒場で女性に声をかけられていたことは何度もあった。でも、まさか理鶯に特別な相手が居たなんて知らなかった。キャンプ地に訪ねてきた軍の仲間に「彼は恋人かい、メイソン?」なんて揶揄われた時、その場にたまたま居たせいで理鶯とばっちり目が合い、動揺を隠せなくなったのを思い出す。上機嫌な理鶯が否定もせず俺にキスなんかしたせいで勝手にお祝いされた。
 もしかしたらプロポーズの相手は女じゃなくて男かもしれない。たとえば左馬刻が特別な相手を選ぶなら、もしかして山田一郎なんじゃないかと前々から想像してはいたんだ。最近は仲違いをしていたTDD時代の仲間ともそれなりに仲良くやってるみたいだったから、余計に。そういえば先月、一郎くんと合歓ちゃんと三人で出かけたって聞いたような。……ダメだ、落ち込むなんて、そんなの。
 左馬刻と理鶯とセックスはしていたけれど、恋人なのかと聞かれてしまえばなんと答えればいいのか困る関係だった。それならセフレかと誰かに結論付けられても、否定できない。付き合う、付き合わないの話なんかしたことはなかった。俺は左馬刻と理鶯のことが好きで、惚れていたから身体だって明け渡していたけど、二人はどうだったんだろう。初まりのきっかけなんてのは年月の経った今となっては曖昧で、今更「俺のこと好きじゃなかったのか」と聞く権利なんてないのかもしれない。聞くまでもなく、左馬刻と理鶯のプロポーズ宣言が答えだろう。左馬刻と理鶯はお互いが同じ日にプロポーズすることに全く驚いていなかった。こちらからしてみれば番狂わせで、決して冷静ではいられないのに。夢なら覚めろと、もう一度思う。でもこれは残念ながら現実だ。
 左馬刻が理鶯に何か耳打ちして、理鶯が真剣な顔をして頷いた。二人ともこの後の予定を想像しているのか楽しそうにしている。そりゃそうだろうな。理鶯と左馬刻がプロポーズしたとして、断られるなんて有り得ないだろう。左馬刻も理鶯も最高に良い男だ。こんな最高の男二人をフるボンクラがこの世界のどこにいる。むしろ二人を悲しませたりなんかしたらソイツを問答無用でしょっぴいてやりたかった。……胸が痛いのは決して失恋のせいじゃない。理鶯がプロポーズする相手も、左馬刻がプロポーズする相手も、俺に教えてくれなかったせいだ。それだけだ。心を決めて、呼びかけてみる。

「………左馬刻、理鶯」
「!」
「目が覚めたのか、銃兎。おはよう」
「……お前ら、これからプロポーズするのか? ずるいじゃないですか……私にだけ秘密にするなんて。教えてくれたって良かったのに」
「チッ、んだよ……聞いてたのかよ……」
「聞かれちゃまずい話なら、俺の家でするんじゃねぇよ。どっか行け」
「あァ゙!?」
「左馬刻、銃兎、喧嘩はやめろ。腹が減っているなら」
「すみません左馬刻」
「俺も悪かったわ銃兎」
「それでは朝食は後にしても良いだろうか。……小官たちは、今からプロポーズをしようとしていたんだが」
「嫌だ」
「……なっ、」
「嫌なのか……? 銃兎」
「嫌です」
「マジで言ってんのかよ? 俺様がせっかく、」
「嫌だっつってんだろ! ……俺が嫌だって言ったら、やめてくれんのかよ、お前ら」
 だったら何度だって嫌だって言ってやる。入間銃兎はMTCの纏め役だとか、そんなもん知ったことか。チームメイトで仲間で、休みの日は三人でヨコハマの街に出かけたり、……エッチなこともする。だからって俺には、二人の恋を邪魔する権利なんか一つもないと、頭では常識をきちんと理解している。むしろ年長らしく『頑張れよ』と肩でも叩いて応援してやるべきなんだろう。だが、そんな風に年上らしくスマートに笑うには、あまりにも左馬刻と理鶯のことを好きになりすぎた。……ガキじゃあるまいし、こんな我儘言って二人を困らせて何やってるんだろうな俺は。

「……貴殿が、どうしても嫌だと言うのなら……これは処分しよう」
 表情変化の少ない理鶯が、ぽつりと言った。しかし理鶯とも長い付き合いだから、それはもう悲しそうにしていると分かってしまう。
「……何が気に入らねぇってんだよウサポリ公。俺様が中途半端なモン贈ると思ってんのか? ふざけんじゃねぇぞ!」
 左馬刻は苛立ちを隠しもせず、こちらを睨んでくる。機嫌を損ねているのなんて俺じゃなくても、誰が見ても明らかだろう。違うんだ、何も気に入らなくねぇよ、お前が山田一郎のものになっちまうのが、ちょっと寂しいだけで。
「…銃兎……」
「………銃兎」
 嫌だと一言。俺の放ったその一言だけで、左馬刻も理鶯も落ち込んでるみたいだ。チクリと痛むのは職業柄なのか、俺の良心。……やっぱりダメだ、こんなの。あまりにも大人げなかった。好きだからこそ、左馬刻と理鶯が幸せになる邪魔なんてしたくない。

「……冗談ですよ理鶯。なんですかその顔は。左馬刻まで……ちょっと困らせてみたかっただけです。だって水臭いじゃないですか、貴方たち二人揃って私に内緒にしてるなんて」
「……貴殿を悲しませたことは詫びるが……その」
「ごめんな二人とも。……プロポーズの相手が誰なのか聞いても良いか?」
「ああ、相手………うん?」
「……相手? ンなの目の前にいるに決まってんだろうが」
「………え、……と。それは……。! あの、もしかして、なんですが……その……私が二人の邪魔してます?」
「ンでそうなるんだよ!! てめぇのラップはいつも自信満々で偉そうなくせに、自分のことになると自信なさすぎんだろ……」

 左馬刻が溜息する。珍しく困った顔。それが意味するところを掴むのに、数秒を要した。何も言えず三人で顔を見合わせて、理解してから顔がジワジワと熱くなる。……俺の、勘違い?
もしかしなくても、これは。山田一郎は無関係らしかった。墓穴を掘るから山田一郎の名前を出すのは寸でのところで堪えた。まったく関係ねぇんだがと呆れられるに決まってる。
勝手にショック受けて腹を立てて空回って、なんだこれは。格好悪すぎんだろ。MTCのクールさも年上のスマートさもぶち壊しだ。でもこの二人には、弱いところも沢山見られてしまっている。徹夜続きの仕事明けで着替えもせずにスーツの皺も気にせずソファで潰れていたところを左馬刻に何やかんやと世話されたり、ろくに飯も食わず仕事してるのを見抜かれ、理鶯から食事の大切さを説教されたり。格好悪いところなんかとっくに知られているんだから、きっと今更だろう。もしかしなくても随分と愛されてるんじゃねぇか、俺。

「……小官がプロポーズするとしたら、相手は銃兎だ。貴殿以外にいない。隠密作戦は失敗してしまったようだが小官の愛は間違いなく本物だと誓おう」
「俺様の愛だって本物に決まってんだろ。今まで俺様がウサちゃんに偽モンの情報渡したことがあるかよ」
「……左馬刻、理鶯」
 二人が紙袋から、小さな箱を取り出す。世界で一番価値のあるものが二つ同時に、すぐ触れられる距離で差し出された。
「婚約指輪だ。Will you marry me, Jyuto?」
「嫌だなんて言わせねぇ。……結婚指輪の希望なら聞いてやらなくもねぇけどな」

 家族も仲間も悪友も親友も恋人も片想いも、全部俺みてぇな悪徳警官が貰っちまっていいのかよ。
思わず口にすれば「銃兎は欲張りさんだな」。全く困ってないどころか、むしろ嬉しそうに理鶯が言った。
「悪徳警官ならそんなもん全部総取りするくらいで丁度良いんじゃねぇか?」と左馬刻まで悪い顔をして笑う。お前らがいけないんだ。いつもいつもそうやって俺のことを分かってくれるから。甘やかしてくれるから。

「まったくもう……そんなこと言ってると、二人とも俺のもんにしちまうからな。知らねぇぞ。もっと好きになっちまっても良いのかよ責任取れよ」
「おうおう、地獄まで責任取ってやるから受け取れや銃兎。ハナからとっくに俺らに惚れ込んでるんだろ?」
「銃兎は今までもこれからも小官と左馬刻のものだ」
「それは重畳。……絶対返しませんからね、これ」
 ほんとだぞ。やっぱり返してくれって後から言っても絶対返してやらねぇからな。誰からも手放しで祝福される普通の恋愛を捨てて、世間様の誰にも喜ばれないだろう付き合いを、俺としてくれよ。

「! ……銃兎、泣くのなら小官と左馬刻の胸で泣くといい」
「おー、ウサちゃんは泣くと目が赤くなるから分かりやすいなァ?」
「……っ、るせ……」
 これは泣いてるわけじゃねぇ、違う。見んなバカ。びっくりした後にホッとしたせいで涙腺が緩くなってるんだよ。だってお前ら二人して黙って抱きしめてくるなんてズルいだろうが。