いつも通り、バーカウンターのチェアに座ってグラスで酒をオーダーする。しかし店に入った時から嫌な予感はしていたのだ、今思えば。
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モデル風な爽やかイケメンと一発ヤってみたのだが、入間銃兎のムラムラ、もとい欲求不満はまったく解消しなかった。爽やかイケメンが下手くそだったわけではない。むしろ丁寧に抱いてくれたのだが、逆にそれが煩わしかった。
「もういいから突っ込んでください」と急かしてようやく挿入させても、満足には程遠い。結局、彼とはその一回きりだった。それから何人も別の男と寝てはみたものの、何か本当に求めているものとは違ってしまっていた。しっくりこないとでも言うべきだろうか。
休日になると変装をして、お忍びでヨコハマディビジョンの出会い系バーに通っている。
出会い系バーに行って三歩歩けば即効ヤレる相手と出会ってセックスしているというわけではない。しかし男に気に入られることは多いので、それなりにお持ち帰ろうとされる確率は高い方だと思う。相手には困らない、というヤツだ。
とはいえ銃兎のお眼鏡に敵う人間というものがあまり多くなく、その範疇にあったとしてもやれナニが小さそうだ、やれキスが下手だった、こちらを嬲るような声が胸クソ悪い、付けている香水の匂いが不快────いくらでもケチをつけられる余地があるせいで、ラブのつくホテルまで辿りつければ上々、ベッドの中での男の態度次第では「萎えました」と言い捨て相手を置き去りに即帰宅。そんなことを繰り返しているうちに男日照りの期間が長くなっていった。
男から声をかけられないわけじゃない。むしろ声はかけられる。だが、何故だかどうも気に食わなくて、前戯からフィニッシュまで一度も満足できた試しがない。けれどもムラムラするものはする。男だから仕方ねぇだろと開き直っているが、最近は仕事以外のプライベートでも、チームメイトの左馬刻と共に行動することが増えてきた。
ムラムラが溜まっているせいなのか、こちらを見る左馬刻の視線がジリジリ焼けつくみたいに感じて落ち着かなくて、ドキドキして、むずむずして……セックスしたくなってしまう。そんなまさか。いよいよ困った。まさか左馬刻とセックスするわけにはいかない。左馬刻が女性を性的対象に見ていることは言われなくても自明だ。街で女性に声をかけられているところだって沢山見てきた。左馬刻は優れた見目に加えて、中身も全く劣らない。好かれる所以も、同じチームの仲間として隣で左馬刻を見ていればよく分かる。
左馬刻の性格からしてソレをひけらかされたことはないが、きっと女遊びに関しては百戦錬磨、いや百戦錬馬だろう。そんな左馬刻様に、自分相手にナニかしてもらおうなんか思うわけがなかった。過ぎた望みであり、荒唐無稽な妄想の域を出ない。
自分の命を救い、窮地を救い、願いを叶えるとまで言いきってくれた左馬刻に、こんな下世話な事情で迷惑はかけたくなかった。知られたくもない。
俺がこの店に来てるなんてことすら、左馬刻は知らないに決まってる────銃兎は今夜も怜悧な瞳に似合う冷めきった表情で、もはや定位置と化したバーカウンターのチェアを温めていた。
「よおー、尻軽ビッチ。いよいよオレの番が回ってきたかァ?」
「貴方の順番、ねぇ。……一生かかっても回って来ません。すっこんでてください筋肉ハゲ」
「がはは! ったくお前ってツラは最高なのに口悪ィなあおい!」
初日に声をかけてきた髭面スキンヘッドとも、今となっては(残念ながら)すっかり顔なじみだ。銃兎は軽口もほどほどに、彼に背を向けブランデーを煽る。
当初はツレない態度を取れば大人しく引いていた髭男だったが、最近は少し粘るようになってきた。今日だって銃兎の許可を得ようとすらせず、隣のチェアに陣取られた。連れがいると思われたら男漁りには不利だというのに。そうしてニヤニヤ笑いを浮かべたまま勝手に話しかけてくるのだ。本当にウンザリする。勘弁してほしい。
「男は顔じゃねぇっつってんだろォ~? アッチには自信があるぜ、オレぁよー」
「静かにしていただけます?」
この男、素性も年齢も知れないがやたら面食いだ……ということはもうこの店の常連には知れ渡っていた。まあ銃兎自身、顔の良い男が好きなんだろうなという自覚はあったから、適当にあしらってやる。
「顔が良くて身なりが良くて声が良くて、おまけにチンコがデカくてセックスが上手くて煙草に文句言わない男ってよォ、アンタがいくら売り手市場だからって理想高すぎんだよ。ンな役満狙うからハズすんだぜ? んな奴いねぇんだからほどほどにしとくもんだ」
「……ほどほどに、ねぇ」
「おうよ! いいか? ナニがでかい、セックスが上手い。セックスで重要なのはそこだろ。だったらオレサマの出番ってとこだ。ヨくしてやるぜ?」
「…………」
聞いてませんし効いてません。涼しい顔で透明なグラスを傾けたが、ここのところの悲惨な結果を振り返れば髭面スキンヘッドに言われたことは耳の痛い指摘だった。……確かに自分が欲張りすぎなのかもしれない。たかが、一晩気持ち良くなりたいってだけのことに。
「……で、今夜はまた特別だ。とっておきのヤクが手に入ったんだよ。一錠飲めば、ハイになること間違いなし。イきまくりの泣きまくり、男だって潮噴きまくりで即トリップできるって寸法よ。まだサツも勘づいてねえ、できたてほやほやの合法ドラッグだぜ。なあ、どうだ? やってみたくねえか?」
「……へえ?」
ヤク、という言葉を聞いて、今日一番興奮した。間違っても性的な意味ではないが、口元に笑みを浮かべる。これは収穫だ。正直全然まったく好みじゃない相手だが、下半身に脳みそがついてる男だ。密売ルートを聞き出すには丁度いい。セックスは御免だが別の目的ができたな。合意したフリしてラブホ行って誘導尋問、現行犯逮捕────そんな算段を立て、隣で手をこまねく愚か者に身を委ねようとしたところで、強く肩を掴まれた。
「悪いなぁ。条件ぴったりの男がいるんだよ」
「……っ!? うぐ、さまッ、ぅわぁっっ!」
わざとらしく区切られた、低い声。背後から突然声をかけてきた男は何故こんな店にいるのか。男は一瞬たりとも迷わず襟首を掴んで、チェアに座っていた銃兎を容赦なく引きずり下ろした。眼鏡をしてないからバレてないと思ったのに。床から少し高さのあるバーカウンターのチェアだ。強い力で下へ急に引っ張られ、バランスを崩しそうになった。よもや転げ落ちるところだ。ッ危ねぇだろ!!
しかし男は銃兎の様子など気にも留めなかった。
シアンの碧が煌々と燃え盛る瞳。絶対零度の眼光はあまりにも鋭く、全員を視線で射殺さんばかりの圧力でもって観衆を睨みつけていたのだ。
「んだテメェ。何か文句あるか」
「……いえ! アリマセン!」
顔は、極上に良い。身なりはアロハシャツだが、かっちりしたスーツも似合う男だと知っている。声も最高にいい。おまけにナニがでかそうで、セックスが上手そうでもある。しかしその男はハマを牛耳る火貂組の若頭で、それが完全にギャングを相手にする時の凄み方をしてくるもんだから髭面スキンヘッド含め、店内の一般人全員が瞬時に竦み上がっていた。思わず、銃兎相手にはおちゃらけていた返事が敬語になってしまうほどだ。すげぇ、アオヒツギだ、アオヒツギだぞ、本物だ、とか外野の囁き合う声が聞こえる。
「釣りは要らねぇ。……おら来い、出んぞ」
今夜もアロハシャツ一枚の出で立ちである男は、ラフな見た目に反して多すぎるほどの紙幣をカウンターに残し、すっかりフリーズした銃兎をずるずる引きずりながら店を出ていった。
騒動の種は見えなくなったものの、彼はあの碧棺左馬刻と知り合いなのか、いったい何者なのか、ヤクザのイロは男なのかという話題で、バーはしばらく持ちきりだった。その後、店内にガサ入れが入ったことでバーは営業停止になったことを後述しておく。
「……っと、待……っ! 離せって!」
ネオン看板と飲み屋の連なる猥雑な路地を、ずるずる襟首を引っ張られながら進む。ゲイバーで男ひっかけようとしたらチームのリーダーにバレて引っ張り出されてきた。現実に起こっているぶん怪談よりも恐ろしい状況なのだが、とりあえずこの乱暴極まりない移動手段が喫緊の課題だった。ずんずん無視して進まれて、いよいよ本格的に暴れてやろうかと思ったところでぱっと首を解放される。袋小路だ。唯一の進路を、怒りのオーラをしょった左馬刻が塞いでいる。
「……な、なんでいるんだよお前! もう……っ! せっかくいいところだったのに……! あの店にヤクが、」
「どうもこうもあるかッッ!!!!」
切れかけの電灯がなんとか照らしているだけの暗い夜道に、濁りのついた怒声がびりびりびりっと響き渡った。
「テメェのことが噂になってんだよ! 美味そうなネコが具合のいいチンポ探して毎晩うろついてるって! ちょっと顔が良けりゃ誰でもヤれるんじゃねぇかって情報屋から言われた時の俺の気分がお前に分かンのか!?」
────殴られるっ!
物凄いスピードで伸ばされた腕に、銃兎は思わず身構える。強烈な打撃が来ると予想しての反応だったが、激しい痛みに襲われることはなかった。その代わり、唇に柔らかい感触がする。痛めつけられると思ったのに、両方の手首を取られ、壁に押しつけられて口付けられていたのだった。なりふり構わず、といった感じの、性急なキス。ムードの欠片もないそれに、ぞくぞくぞく……っ♡と官能が呼び起こされる。激しくて濃厚で情熱的なキスだ。舌と唾液を啜られて、舌の裏や歯茎をしつこくなぞられる。ぢゅるぢゅる粘液音が立ち、溢れた二人分の唾液が口端から顎へ伝った。乱暴なのに気持ち良すぎて腰が砕けそうだ。
「……ふ、は……♡ んんぅ……」
「もういっぺん条件言ってみろや尻軽ウサ公」
切なさが胸を灼いて仕方なかった。狂おしいほどに求めているのにちっとも与えられない熱情と焦燥とで頭がおかしくなりそうだった。濡れた唇を振りほどくが、左馬刻は逃がしてくれない。動けなかった。背後の壁を利用して、左馬刻の両手の檻に閉じ込められている。
身長差のせいで少し上にある左馬刻の顔を見上げると、憤りを露わにした瞳には、何もかも灼き尽くすような切迫があった。
「顔が良くて身なりが良くて声が良くて、おまけにチンコがでかくてセックスが上手くて煙草を吸っても文句言わねぇ奴がいいんだってなァ? いるだろうが! いるじゃねぇか、ここに!! なんで俺様じゃ駄目なんだよ……ちんけな虫ケラしかいねぇような店に俺様以上の男が何人いるってんだ! 答えろ! あいつらとヤったのか? どうして、どうしてアイツらは良くて俺は駄目なんだ……!」
「は……? 左馬刻……?」
「テメェはちっとも分かってねぇ! クソがっ、お前はいつもそうだ! いつもそうやって、俺様の知らねぇとこで………!」
「……おい、」
間近でぶつけられる声量でもないし言葉の内容にもびっくりしたが、最終的には左馬刻の声が震え、おまけに癇癪を起こしたように銃兎をきつく抱きしめて離そうとしないものだから、さらに息を呑んだ。
MTCのリーダー。伝説のチーム、TDDのメンバー。裏社会を仕切るハマの王様で、腹に一物抱えてそうなヤクザ。妹を大事にしている。左馬刻についてはそれくらいしか分かっていなかったけれど、この言われようは、随分と気に入られているのかもしれない。ゲイバーで男漁りをしているところをヤクザにとっ掴まえられたあたりで、なにもかもが理解の範疇を越えているけれど。
今まで散々悩んでたことは何だったんだ。物足りない夜も、くだらない男達の記憶も、仕事とは関係ないアレやソレがもう全て目の前でキレている左馬刻にブッ壊されて散り散りだ。粉微塵にされた。完全にキャパシティー越えの脳味噌で、銃兎は無意識に口を開いていた。なにも考えていない、なにも考えられていないが故に、今一番疑問に思っていることが自然と音になっていく。────というのも、何だか深刻そうで必死な雰囲気は左馬刻の様子から十分伝わっていたのだが、話の前半のインパクトがありすぎて、ほとんど頭に入ってこなかったのである。
「……いや、ちょっと、なんなんですか……? な、なんというかそれ、自分で言うことか……!? おまえ、顔と身なりと声が良くて……ちんこがでかくて、セックスも上手いって……そりゃ事実かもしれねぇけど……お前ってモテるし確かにセックスだって上手いかもしれねぇけど、だからってどうして俺にそれ言うんだよ!? 自慢か!!」
「あァ?!」
「抱いてくれる気もねぇのにンなこと言うんじゃねぇよクソボケ!」
「抱く気あるわ! 抱く気しかねぇよクソが!!」
「言ったなテメェ! 安っぽいラブホなんて嫌だからな! ヨコハマベイホテルで綺麗な夜景と美味いメシ!」
「上等だコラ俺様が最高の夜にしてやんよ!」
「えっ?」
「……あ?」
袋小路の行き着いた先で、お互いに顔を見合わせた。雑踏の中を過ぎていくその他大勢と、滲む蛍光色のネオンは勿論いつも通り。しかし何事もない一日なんて、この場所では有り得ないので。