酸いも甘いもくれよ

 カチャ、……と躊躇うようにゆっくりと鍵が回る音が聞こえてきた。伏していたテーブルから顔を上げて時計を見る。深夜三時を過ぎていた。そっとドアが開く音。元通りに施錠する音。それからは何の音もせず、訓練のように静かな気配で、先に理鶯がリビングへ入ってくる。左馬刻も後ろにいるな。どっちが先に入るか揉めたりしたんだろうか。
「おかえりなさい理鶯。左馬刻も」
 理鶯も左馬刻も、俺が寝てると思ってたって顔だ。なんでそんな顔をされなきゃならないんだ、帰りが遅くて連絡も来ないから、優しい俺は寝ないで待っててやったのに。
「銃兎、ただいま」
「起きてたのかよ銃兎……」
 左馬刻の声、ちょっとトーンが変わってるな。決まり悪そうにしてるのが、すぐに分かる。なんだか可笑しかった。「お疲れ様です、二人とも。楽しかったですか?」と尋ねれば、左馬刻の顔は引き攣っていた。
「銃兎、怒ってんのかよ」
「何故です?」
「……約束より遅くなっただろ」
ややあって、左馬刻は答えた。
「きちんと帰って来たので構いませんよ」
 にこりと、笑ってみせる。左馬刻は飲んできただろう酒のせいでほんのり赤い顔をしていたが、段々と顔色が白くなっていく。理鶯は顔色が変わらないけど、視線の動くスピードがいつもと違う。
「左馬刻、理鶯、こちらに来てください。女と浮気したと言うならどうぞお引き取りを」
 指先をちょいと曲げるだけの動作でテーブルまで呼ぶ。飲んで帰ってくるだろうと思ってはいた。グラスが沢山あるような店で情報収集を頼んだのは俺自身だ。まさかこんな時間になるとは思わなかったが。でも本当に、帰って来ただけ良い。
「ウワキなんかしてねぇわ。だろ理鶯」
「ああ。左馬刻も小官も、心を奪われたりなどしていない」
 俺のチームメイト二人は、言いつけ通りに俺の隣に来る。珍しいくらい殊勝だな。ふわりと強い香料が香る。勿論この二人の匂いじゃない。俺の知らない女達の混ざり合った香水の臭いだ。それに酒も重なって、控え目に言って最悪だ。胸糞悪い。
「銃兎、ずっと起きてたのか? 寝なくて良いのかよ」
 左馬刻が眉を顰める。が、声色は心配そうだった。たしかに俺は警察官だし、こう見えて規則正しい生活をしている方だ。今が遅い時間だと、もちろん分かっている。
「明日は休みなんだ。お前らも寝るだろ」
「うん、寝る」
「おう」
 ダイニングテーブルに肘をついたままの俺を見下ろす。二人で目くばせをし合った。ああ、仲の宜しいことで。
「俺ら先にシャワー浴びてくるからよ」
「何故ですか?」
 咎めたのは、勿論わざとだった。性格悪くてごめんな。悪徳警官なんだよ俺。バスルームに行こうとした二人が固まる。理鶯と左馬刻は俺と目を合わせてはいるものの、どうすればいいか分からないようだった。焦っていることは手に取るように分かったけれど。
「寝なかったのは、眠る気にならなかっただけですよ」
「待っていてくれて嬉しい」
「早く帰って来たかったわ、俺だって」
「だが、その……少々気に入られてしまってな。帰らないでと乞われてしまった」
「そう言われるとなぁ、……弱ぇっつーか。収穫はそれなりにあったぜ。後で渡すわ」
 二人は、やがて観念したように言った。でも収穫があったことは嬉しいな。これでまた、薬物撲滅に一歩近づく。
「ご協力感謝します。役得じゃないですか、さぞかしモテモテでしょう、貴方達は」
「良くねぇよ」
「良くない」
 左馬刻と理鶯がそれぞれ同じ返答をする。
「……ふふ、悪い男ですね。人のこと言えませんけど」
「銃兎ぉ、さっきから回りくどいんだよ。やっぱお前、俺らが女といたから怒ってんだろ。マジでなンもしてねぇからな?」
「怒ってなどいませんよ。私が頼んだ仕事ですからね」
 本当に怒ってない。ああでも、言い忘れてたな。
「怒っていませんが、今すぐ私のこと抱いてくれなきゃ別れようかなと思ってます」
 左馬刻と理鶯がビシリと固まった。時計の秒針だけが動く。ああ今の、メンヘラな地雷女みてぇだったな。重かったかも。
「……銃兎お前」
「わ、忘れてください今のは」
「銃兎は少し分かりづらいからな。怒りんぼさんなのかと思っていたが」
「ウサちゃんよぉ、嫉妬したなら嫉妬したって言えや」
 ああ、見抜かれた。いつだって、こいつらの前では余裕でいたいのに。
「……言えるわけねぇだろ。どんな羞恥プレイだよ」
「はは、……んだよ、安心したらヤりたくなってきたわ。抱きてぇけどよ、やっぱその前にシャワー浴びちゃだめか?」
 左馬刻はすっかり俺を甘やかす声で言った。頭を撫でてくる。取り繕うのも限界がきたな。
「小官はひどい匂いだろう。これでは銃兎に触れられない」
 理鶯は切ない眼をして言った。常人より鼻が利く理鶯のことだ。俺が何か言うまでもなく分かっていたに違いない。二人とも可愛いな。大好きだ。
「いや、そのままがいい」
 理鶯と左馬刻の腕を引っ張った。いい男二人に散々まとわりつきやがったんだろう。クソ女共のマーキングみてぇなソレをうんと嗅いで、にやりと笑ってやる。ささくれだった気分はもう消えていた。
「……銃兎が、それを望むなら」
「マジかよ理鶯。……銃兎お前、つくづく趣味悪いぜ」
「悪趣味で結構。誰にも渡しません♡」