一番星は語らず

 どこが好きなのか。
 誰かに聞かれれば、答えに詰まる。
 俺の恋人はヤクザだし、それはもう言うまでもないが反社だし、性格だって俺様な男だ。気性が荒くて血の気が多い。手や足はすぐに出る。機嫌の悪いときなんかもう最悪だ。だから、左馬刻のどこがいいのかなんて聞かれると、ちょっと困ってしまうんだ。
「銃兎。俺様のこと好きか?」
 
 
△▼△▼△
 
 
 本心を自白してしまうマイクなんて厄介で危険でしかない。俺の職業も所業も、その効果を発揮されたらとんだ損害を被るだろう。だから仕事休んで自宅待機してたのに、なんで来ちまうんだよコイツ。自室という安全でプライベートな空間がすべて無意味になった。今のところ変調は見られないが、自白の効果がどれ程なのか測れない現時点で、人と接触することは危険だ。左馬刻とあれば尚更、余計なことを言ってしまってはコトだ。しばらくやり過ごしていれば、そのうちマイクの効果も薄れてくるだろう。しかし、当の左馬刻が、薄れるより早く俺のマンションに来ちまった以上、やり過ごすことは不可能になった。
「銃兎」
「左馬刻……」
 よぉと片手を上げて玄関でブーツを脱いでいる。左馬刻め、よりにもよってなんで今日。風邪ひいたと連絡して誤魔化したのに「参ってるウサギの顔見に来てやるよ」とは一体どういう了見だ。そもそも、俺は左馬刻と一緒にいると変に意識しちまうから会いたくないんだ。付き合ってはいるが、ぜんぜん慣れないんだよ。俺の本心なんて、左馬刻の前で漏らすわけにはいかない。

「マジで休んでんのか」
「ああ、まぁな」
 既に左馬刻は来てしまっている。もう逃げられない。しかしまあそれならそれで、思わぬことを喋らないよう、余計な話をしなければいい。左馬刻がコーヒーを準備してくれるのを見ているのは好きだし、憎からず思う相手だから絆されてしまう。俺の顔をわざわざ見に来てくれたんだから、追い返すのは気が引けるしな。だからといって風邪ではなく本心を自白する違法マイクを食らっちまったんだなんて話せば、散々に弄られて遊ばれるに決まってる。
「コーヒー飲めるのか?」
「え?」
「いや、体調悪いんだろうが」
「飲めるよ。左馬刻のコーヒーなら毎日飲みたいくらいだから」
「……へえ?」
「!」
 まずい。なんだ今の。俺の口が言ったのか。そうだ。間違いなく俺の声で、今のは俺が言ったんだ……!
 左馬刻の視線はコーヒー豆に向けられていたのに、完全に俺に直撃している。俺が変なことを言ったせいで。なんとか誤魔化そうと思って開いた口は、しかしとんでもない言葉を吐き出した。
「お前が俺のために淹れてくれるんだから嬉しいに決まってる」
「……は、銃兎…」
「えっ」
 間抜けな声が出たのは、左馬刻だけではなかった。
────今、俺はなんて言った……?
 俺は自分の言葉に自分で驚いた。
 そりゃあ、嬉しくないと言ったら嘘になる。言わないが、会う予定のなかった恋人に偶然にでも会えたら、喜ぶなというほうが難しいだろう。コーヒーも美味い。だが、たとえ口が裂けてもそんな女々しいことは言わない。普段の俺だったら。
「珍しいじゃねぇか。いつもはそういうこと言わねぇのによ」
 予想外の答えが返ってきたからか「ウサちゃん甘えたくなってんのか?」と揶揄うみたいに笑った。それに対して俺の返したセリフがまた、とんでもないものだった。
「恥ずかしいから言わないだけだ。本当はお前に甘やかされんのも好きだよ。眠れない夜に背中トントンしてくれんのとか、ホッとするし落ち着くんだ」
「!」
「!」
 思わず口をついて出てしまった言葉に、今度こそ二人で固まった。
(こ、これはまずい……!)
 顔面から血の気が引いていくのがわかった。とんだアクシデントだ。こんなにペラペラと、言わないで隠してた秘密を喋ってしまうなんて、とんでもない。俺たち警察の仕事なんて三分の一はなくなってしまうだろう。尋問なんていらなくなりそうだ。どうなってやがる。
 気づくと、一時のショックから脱した左馬刻が、じっとこちらを見つめていた。
「なるほどなぁ……?」
 答えたくもないのに素直に出てしまう俺の言葉に、左馬刻は熟考するように腕を組んで視線を落とした。
 こんなとんでもない作用だと判明した以上、これ以上左馬刻の傍になんていれたもんじゃない。一刻も早くこの場から逃げ出し、もっと人気のない誰とも会わないような場所を探さなくては。しかし力強い手に腕を取られよろめき、そのまま台所で腰をホールドされる。
「お、おい左馬刻!」
「どっか行こうとしてンじゃねぇよ。用事でもあんのか?」
「ない!」
 ある!ときっぱり言い返そうと思った口はしかし、俺の意思とは正反対に「ない」と正直な答えを口にしてしまう。
「いいお返事だなぁ。だったらここにいろよ」
 左馬刻は逃がすまいとでもするように、俺の手の上から自分の手を重ねてしまった。皮手袋を嵌めていない甲をすりすり撫でられる。まずい。非常にまずい。
この左馬刻の様子からして、何か企んでいるのは明白だ。職務中に自白する違法マイクを食らったなんてことにまでは考えが及ばないと思うが、それでも何を仕掛けられるかわからない以上、左馬刻の前で楽観視は決してできない。どうすべきかと思考を巡らせていると、左馬刻がおもむろに口を開いた。
「俺と会えて嬉しいって言ったよな? いつも仏頂面してっけど、本当は喜んでんのかよ」
「……そうだよ」
「素直に口に出して言えや」
「そんなのできない。恥ずかしい」
「へぇ。ウサちゃん恥ずかしいのか?」
「左馬刻の前で、かっこ悪いとこ見せたくねぇんだよ。せっかく付き合えてんのに、嫌われたら凹むどころじゃねぇって分かってるんだ……」
「俺様に嫌われたら、ねぇ。でも今日は話してくれンのかよ?」
「……今だけだ」
俺の答えに左馬刻は満足そうに口角を上げる。
「先にコーヒー淹れてやんねぇとなァ、ウサちゃん」
 
 
 ああ、もう壮絶に嫌な予感しかしない。左馬刻はコーヒーを二人ぶん淹れてから、ソファに座ると待ってましたと言わんばかりに質問してきた。
「銃兎。俺様のこと好きか?」
「なっ……んでそんなこと…」
 急に真顔で問いかけてくんのやめろよ。俺は思わずたじろいで少し身を引いた。しかし左馬刻はその差を埋めるように、更に俺の方へと詰め寄ってくる。
「滅多にそういうこと言ってくんねぇだろ。セックスしてても言ってくれねぇよなァ? 聞かせろよ」
滅多に言わないのは、そんな言葉を口にするのがどうにも気恥ずかしいからで。
いい歳したマル暴のサツが、付き合ってるとはいえ年下のヤクザに向かって、まるで恋する少女のような────そんな言葉、絶対に言いたくなかったのに。

「…好、き……」
 観念したようにそう呟くと、左馬刻がニタリと笑った。
「へぇ……ヨコハマの45Rabbitは俺様のことが大好きだって?」
 大好きとまでは言ってねぇぞ!
 心の中でツッコんだところで、嫌な予感を覚えた。
 未だに左馬刻が、何かを含むような顔をして笑っている。その笑みは、この結末の分かりきった悪趣味がまだまだ続くということをありありと語っていて、俺は思わず腰を浮かせて逃げ出そうとした。しかし、左馬刻に押さえつけられた片手が脱兎の邪魔をする。
「どこが好きなんだ?」
しっかりと俺の手を握り直した左馬刻が、今度は俺の顔を覗き込むように聞いてきた。
「……ッ、それは、……いや、どこ、って……」
「今日は何でも答えてくれるんだろ。銃兎が好きなのは俺様のどんなところだよ」
 タチの悪い笑みで確実に詰めてくる左馬刻を、両手が自由だったら殴ってやったかもしれない。黙ってりゃあ調子に乗って好き勝手言いやがってボンクラヤクザ!!
 猛烈に腹が立ったが、しかしまあどうせ左馬刻の思惑通りにはいかないだろうから、ここはひとまず溜飲を下げてやろう。自慢じゃないが、俺は左馬刻の好きなところがどこかなんて具体的に考えたことがないんだよ。
 ざぁんねん!答えられませんねぇ。高らかに『好きなところ? ありません』とでも返してやればいい。しかし開口一番、俺は予想外な言葉を吐き出していた。
「優しいところ」
「へーぇ? 俺様にンなこと言う奴なかなかいねぇぞ」
 左馬刻は俺の口から出た言葉に満足そうな表情を浮かべると、煙草に火をつける。銃兎も吸うか?とか言うが、本心から首を振る。それどころじゃなかった。
 おいおい、なんだこの口は。トンチンカンだ。
 『優しいところ』だと?
 なんでそんな、思ってもないことを言いやがる。自白ってことは自分が思っていることを吐かされるモンだろう。つまり違法マイクの効果は自白じゃないのか?
 いやいや、そんなはずはない。さっきまでは、確かに隠しておきたかった俺の本心を口に出していた。ということはまさか。まさか、これが俺の本音……?

「それで? まだあんだろ」
 俺の混乱など露知らず、左馬刻がにやにやとそれは楽しそうに続きを促してくる。どっから湧くんだその自信。俺は動揺したまま、俺自身の口が意思に反して滑らかに言葉を紡いでいくのを聞いていた。
「ラップのスキルも最高だけど……意志の強さとか、ヤクザ者だけど筋の通ったところとか」
「へぇ。それから?」
「普段は偽悪的な振る舞いしてるくせに、実は情に厚くて仲間思いなところとか」
「そりゃテメェだろ」
「俺……? 違う、左馬刻の話だよ。意外と料理上手なところも好きだな。器用に動く手がすごいと思うし、俺には真似できない」
「……俺様は意外とじゃなくて普通に器用なんだって言ってンだろ」
「それと顔。造形として整った美しさも勿論あるが……真剣な表情してるお前も、笑ったときのお前も好きだ。声もすごく好きだ。お前が隣にいると安心するよ。ラップバトルしてる時も、そうじゃない時も……吐息交じりに囁いてくる声とか、色っぽくてドキドキして……すごく好きだ。その……夜に、あの…ふたりで、してるときとか……」
「…………」
 澱むことなく続いていく自分の声と言葉に、俺は段々と自分が俯いていくのが分かった。マジでなんだこれ。どうしてこんなに、すらすらと言葉が出てくるんだ。左馬刻の好きなところだぞ。深く考えたことなんてなかっただろ。
 意志の強さって。
 仲間思いなところって。
 挙句の果てには顔ってなんだ……!?
 しかも夜の話とか、もう恥ずかしすぎる。
 二人でしてるときだと?!
 何を言ってんだ俺は。
 まさかこれが本当に俺の本音なのか……!?
「それから………、……?」
 あまりの羞恥と居た堪れなさに俺はもう自分の膝しか目に入っていないような状態だったが、ふと好き勝手に滑らかに声を発する口を止め顔を上げた。

 左馬刻が、異様なまでに静かなことに気がついたからだ。
 さっきまでは確かに意地の悪い笑みを浮かべていた。
だから、俺がこんなことを言えば絶対に揶揄ってくると思っていたんだが、揶揄うどころか一向に喋ってくる気配がない。完全に無言だ。
不思議に思って隣を見てみると、左馬刻は両手で顔を覆って項垂れていた。
「左馬刻……?」
「……あ゙ー、くそ……ンだよこれ…」
 あまりの様子にどうかしたのかと声をかけてみたが、唸るように不明瞭な声だけが返ってきた。
「おい左馬刻……? だ、大丈夫か?」
「テメェ、くそ、この性悪ウサギ……ふざけてんじゃねぇぞ」
 左馬刻の耳が真っ赤に染まっているのに気がついた。よくよく見れば、襟に隠れている首元まで赤く色づいている。
「お、前……」
もしかして照れてんのか、と続けようとした言葉は、がばりと勢いよく顔を上げた左馬刻に遮られた。その顔はやっぱり耳まで真っ赤だ。
「おッ前なぁ!! マジで自分が何言ってんのかわかってんのか!? ぶっ殺すぞ!!」
「アァ!? わかってるに決まってんだろうが!」
「じゃあなんつーこと言ってくれてんだ!? 何すらすらペラペラ答えてんだ!!」
 お前が聞いたんだろうがクソボケ!
 と思ったが口に出す前に左馬刻がドスの効いた声を張り上げたからやめておく。大体そんな文句を付けられてもどうにもならない。今の俺は、素直な答えしか口にできないようになっているから。
「左馬刻……落ち着け。あのな、俺は本当のことを言っただけなんだ。怒鳴られたって好きだ。何されたって良い。それくらいお前のことが好…」
「バカヤロー! もう喋んじゃねぇよ!!」
 左馬刻は大声を上げてまたも俺の言葉を遮ると、せっかく上げていた顔を覆ってまた俯いてしまった。そのあまりの動揺っぷりに、俺の羞恥心はどこかに吹っ飛んでしまう。マジで照れてんのか。
……照れて聞けなくなるくらいなら、最初から聞かなきゃいいのに。案外なんつーか、純粋なところあるんだよな、左馬刻って。まあでも、
「……そういうところも可愛くて好きだけどな」
 そんな言葉が自然に出たところで、はっとした。
────ああ、そうか。
 左馬刻の好きなところ。
 意志の強さも、情の厚さも、料理の腕も、精悍な表情も。ヤクザの若頭で、元伝説のチームにいた有名人で、さぞモテたことだろう。爛れた恋愛経験しかなさそうなのに、根っこのところは結構純粋で、意外とロマンチストなところも。
 気づいてなかっただけで、俺は本当は左馬刻のそういうところ、全部好きだったんだ。そもそも、よくよく考えれば好きなところがなければ同性のヤクザとなんか付き合うはずがない。俺は、利益が目的で左馬刻と付き合っているわけじゃない。地位だとか金だとか関係なく、左馬刻の隣がいいんだ。左馬刻と並んで、共に歩みたいと思っている。今までもこれからも。そんな解りきったことを今更自覚するあたり我ながら難アリだなとも思うが、一度認めてしまえばストンと腑に落ちた。俺はこんなにも左馬刻が好きで、左馬刻の好きなところが沢山あるんだ。
「好きなところがありすぎて言いきれねぇな……お前のこと好きすぎて、困るくらいだ」
 知らず知らずに、そんな言葉が口をついて出ていた。
すると左馬刻が思わずといったように顔を上げた。その顔は相変わらず赤い。むしろ更に赤くなったように思う。
「お、ま……っ、あんま煽ってるとマジで襲っちまうからな! 俺様に抱き潰されたくなきゃ、」
「抱いていいよ、左馬刻なら」
「……はっ!?」
 左馬刻は両目が飛び出すのではないかというくらい目を剥いた。
「だっ……、だって銃兎お前、いつもイヤとかダメって……」
 いつもあんなにがっついてくるくせに、こんなにしどろもどろになるなんて。俺は段々この状況が楽しくなってきた。
「いつも嫌がってみせるのは恥ずかしいからで、俺は本気で嫌だったことなんて一度もねぇよ。何度もいっぱいエッチしたのに気づいてくれないんですか……?」
 煽ったのはわざと。挑発的な笑みを浮かべて正解の見え透いた問いを口にすると、左馬刻はがばっと勢いよく立ち上がり、煙草をぐしゃっと握り潰す。
「……ダァァクソが! んだこれ……!」
「ありえねぇ」「信じらんねぇ」「ドスケベウサギ」だの、不満が止まらない。流石に少し俺のボスを揶揄いすぎたかもしれない。
 俺は自分の口からうっかり飛び出すゴタが起こらないよう気をつけながら左馬刻を見上げた。
だが次の瞬間、俺のすぐ目の前に左馬刻の顔があった。
────ん? どうなってんだ?
 状況を理解する間もなく唇が塞がれ、ソファの上に押し倒されている。左馬刻は俺をギッと睨みつけてきた。何か文句でも言うのかと思い、じっと見つめ返す。しかし左馬刻は何も言わず、再びキスをしてきた。今度は舌まで入ってきて、口内を乱暴に蹂躙される。煙草とコーヒーの慣れ親しんだ味。唾液を啜って、従順に嚥下した。やがて唇が離れると、左馬刻は俺の首筋に顔を埋めた。
「ぁ、」
「抵抗すんな」
 首筋の薄い皮膚を吸われ、甘噛みされ、舐められ、時折歯を立てられる。俺はびくんっと身体を震わせた。うなじから背筋に快感が走る。
「ぁあっ、ぁ……んぅ、……ふふ、左馬刻」
「おいクソウサギ、調子乗ってんじゃねぇぞ……詰めて流されてぇかコラ」
 怒ったような、困ったような、何とも判別のつかない声。そんなに照れるなんて、お前、一体どれだけ俺のこと好きなんだよ。……まあ俺も、すごくお前のこと好きみたいだけど。左馬刻も俺と同じ気持ちなんだな。たまには素直になるのも悪くないかもしれない。
「なぁ、詰めて流す前に聞いてくれよ」
 俺の恋人はヤクザだし、それはもう言うまでもないが反社だし、性格だって俺様な男だ。気性が荒くて血の気が多い。手や足はすぐに出る。機嫌の悪いときなんかもう最悪だ。
 どこが好きかなんて聞かれたら答えに詰まる。
 意志の強さと、情の厚さと、料理の腕と、精悍な表情。ざらついた低い声。爛れたような恋愛経験しかなかっただろうに根っこのところは結構純粋で、意外とロマンチストなところ。舎弟にもヨコハマの住民にも慕われていて頼りになる、兄貴肌なところ。存外照れ屋で素直じゃないけど可愛げがあるところも悪くない。口は悪いが優しくて、今だって俺の隣に居てくれる。
 前置きが長くなったな。そう、挙げ連ねたらキリがない。好きなところがありすぎて。だから、左馬刻のどこがいいのかなんて聞かれると、ちょっと困ってしまうんだ。