第一印象から決めてました、幸せにします

「左馬刻が幸せになる為にも、お見合いすればいいと思ったんだよ」
「…………は?」
 現在位置、ヨコハマ。理鶯のテント内。目の前には入間銃兎。馴染みある場所の馴染みある景色だが、全く意味がわからない。銃兎に連れられるような形で、朝食のあとに問答無用でヨコハマ某所にある山の中、もとい理鶯の野営地にいる。この状況には左馬刻でなくとも「は?」である。
 銃兎は『お見合い』と言ったが、こんな山の中でお見合いというのもよく分からない。できるのは狩りくらいだろう。
「要するに、組の為にもそろそろ身を固めたらいかがですか? という話です。27ってのもいい頃合いでしょう」
「ンだそりゃ。意味が分からねぇ」
 だいたい、年齢に関して言うならば銃兎だって三十路を越えているのだからブーメランが突き刺さると思う。真面目に話してもらっているところ悪いが、全く意図が飲み込めない。
「お前はモテるくせに本命を作らないみたいだからな」
 銃兎は「まったく困ったもんだ」とでも言いたげに溜息なんかついてみせる。いややっぱ分かんねぇよなんだそれ、と左馬刻の眉間に皺が寄った。
「相手を信頼して懐に入れ、面倒を見たと思ったら裏切られる。年下を可愛がってみても裏切られる。それでもやっぱり頼られたりすれば放っておけない」
 銃兎の言わんとしていることが分からない訳ではない。一応、左馬刻自身のことなので。確かに仲間に、いや仲間だと思っていた人間に裏切られたことは何度もある。友人、相棒、舎弟。一生の宝だと思った仲間もいた。しかしチームの仲間に裏切られた過去があっても、左馬刻はこうしてヨコハマで暮らし、MAD TRIGGER CREWというチームを再び組んでいる。銃兎を誘ったのも自分からだった。俺達に裏切りは無しだというチームの信念は崩壊することもなく、年を経て一層揺るぎないものになっている。
「……俺様が甘いとでも言いてぇのか?」
「そうじゃない」
「ああん?」
「たしかに、お前はバカで直情的だ。でも……そこがお前の良いところだと俺は知ってる。だから幸せになってほしいと思ったんだよ」
 スクエアレンズの向こうで若草色の瞳が細められる。幸せになってほしい、と。馬鹿にしているのではなく、銃兎が本心からそう思っているのが分かってしまう。穏やかに笑う顔にドキリとした。
「身内につい甘くなるところも、世話焼きなところも……全部、左馬刻の良いところだろ。昨日も飯作ってくれて嬉しかったよ。デザートも食後のコーヒーも美味かった」
「ンだよ、珍しく素直じゃねぇかウサちゃん」
 特別なことはしていない。連休が取れたというから仕事でお疲れウサちゃんのリクエストを聞いてやっただけだ。こういうことは儘あった。銃兎の家だし何の変哲もない普通の食事だったと思うのだが、銃兎は左馬刻がもてなしてやるといつも瞳をキラキラさせて「お前ほんとにすげぇな」と褒めてくる。そんなに大したことではない、と思っているからこそ、こうやってストレートに言われるとむず痒くてしょうがないのだが、悪い気はしないのである。銃兎は銃兎で朝食のチーズオムレツのことまで思い出して口元を緩めたあと、そんな場合ではなかったと表情を引き締めた。言葉を続ける。
「左馬刻は男の俺から見ても間違いなく良い男だし、優しいし、頼りになる。それは誰よりも俺が知っている。だからこそ、お前に相応しい相手を見つけてほしいんだ」
 銃兎の真摯な言葉は、左馬刻の中にスッと入ってきた。急にこんな催しをしてくるのは滅茶苦茶だが、何しでかすか分からない45Rabbitとこうして共に過ごしている時点で今更である。それに銃兎の言葉に嘘や誤魔化しはないだろう。だから真っ直ぐに心に届いた。
「……分ぁったよ。これもウサポリのリクエストってことだろ」
 聞いたらお礼してくれるんだろうな?
 ニヤリと笑って言えば”お礼”の内容を思い出した銃兎が顔を赤くする。
「お前はまたそういうことを……」
「断んのか。なんの説明もなく俺様を振り回しといて?」
「だって本当に恥ずかしいんだ……その、触るのとか、かなり頑張ってるのに……昨日もしたじゃねぇか」
「銃兎と一緒に寝てるとすぐチンコ痛くなっちまうんだよ」
 ふとした時に左馬刻が見惚れてしまうくらい綺麗な顔立ちをしているし、普段きっちり隠されている素肌に左馬刻が触れればなんとも艶めかく熱を含んで色づくのだ。一度知ったらもう戻れない。可愛がってやる時と同じ声で「してくれねぇの?」と聞けば銃兎はますます赤くなった。こんなことを計画した銃兎には申し訳ないが、銃兎と過ごす時間の方が心地好いのだ。何やらよく分からない相手と見合いするより、銃兎と過ごす時間が増える方が良かった。この感情が恋なのか友情なのか分からなかったが、答えの出るきっかけは些細なことだった。

 銃兎の家で二人、宅飲みをして、泊まった夜。共に同じベッドに寝ているときだ。自身のペニスに血が集まって硬くなったことがあった。熱を持って確かに息づく下半身のそれは、意識するほど収まってくれなくなる。
 酔った勢いもあっただろう。左馬刻がもぞもぞと寝ている銃兎の腰に擦り付けると、銃兎はまだ眠っていなかったらしい。弱々しい声で「左馬刻、だめ」「起きてくれ、やだ……」「うう、左馬刻、なあ、変なもん当たってる……」などと可愛い声で訴えてくるから煽られて「銃兎どうしよう」「銃兎が触ってくれねぇとずっとこのままかも」「腫れちまって痛てぇ。治してくれよ」なんて可愛いげのある年下の仮面を被って、銃兎に下着の上から擦ってもらって放出した。
 それ以来、どちらかの家に泊まる夜は抜いてもらうようになった。今では下着の上からではなく直接触ってもらえるようになったし、銃兎のモノも反応しているからスッキリさせてやっている。毎回トイレに行くとかシャワー浴びてくるとか言って逃げようとするのだが、銃兎のも硬くなってんだろと言って、気持ちよくするからと宥めすかせば、絆されて大人しく触らせてくれる。
しかし、銃兎は左馬刻の前で射精する時に真っ赤な顔をして「もうでる」「見ないで」「手、離して、ティッシュに出すから……!」などと訴える(左馬刻が言うことを聞いたことは一度もない)。どうやら左馬刻に性欲処理をしてもらうことに対して罪悪感があるようだ。左馬刻からすれば全くそんなことはなく、なんだか銃兎ともっと近付けた気がして嬉しかった。チームメイトだから、という枠で収めるには少し行き過ぎた行為かもしれない。かつての仲間にそんな風に迫ったことは一度もないし考えたことすらない。それでも、左馬刻は銃兎になら触れたいし、触れられたいと思うのだ。

「……まあ、とにかく今はその見合いに付き合ってやるよ。何の話だったか」
「ううん……つまるところ、左馬刻が変わる必要はないんです。バカで直情的でチームメイトの男に妙なモノを擦り付けてきたとしても受け入れてくれる相手と結ばれれば、幸せになれるでしょう。流石に最後のは変態みたいだし、言わない方が良いと思うから黙っておいてやるよ」
「俺をちょいちょい馬鹿にしてンな? 仕置きすんぞ」
「してねぇよ! だからさっさと伴侶を見つけて落ち着いてくれって話で、」
 その時だ。にわかに野営地の入り口が騒がしくなり始め、左馬刻は警戒を顕にする。
「……!? なんだ、敵襲か? 理鶯に連絡、」
「その必要はありません。言ったでしょう? お見合いですよ。さすが理鶯、手際がいいですね」
 左馬刻は混乱を極め、銃兎を問い詰める。そこにいたのは、
「いや見合いもクソもねぇだろ! 見覚えしかねぇアホ面が勢揃いしてンじゃねぇか!」
「おや、神宮寺寂雷先生もアホ面ですか?」
「センセーは別だボケ!」
 向かって左から山田、山田、山田。それから寂雷、伊弉冉、観音坂。さらに夢野、乱数、有栖川。見合いせずとも既に知っている男たちが何故かピシッと隊列を組んでいる。統率を取っているのは理鶯だ。
「……まさかとは思うが」
「ええ、左馬刻の伴侶候補たちです。ナゴヤとオオサカはやっぱり無理でしたか……流石に遠いですもんね」
「すまない銃兎」
「いいえ、重畳ですよ」
 目眩がしてきた。銃兎ってこんなにブッ飛んだ奴だったか? 変なもんでもキメたんじゃねぇだろうな。いや、銃兎に限って絶対そんなはずはない。と思いたいのだが予想の斜め上をブッ飛んでいる。
「考えたんですよ。ウチのリーダーは顔が良い。それはもう最高に良い」
「お、おう」
「性格もね、ちょっと短気で単細胞で俺様なところはありますが頼りになります」
「おう」
 ちょいちょいディスってくる。が、咄嗟にそれを拾って「ンだと!?」と応戦できないほど左馬刻は混乱していた。
「左馬刻はモテる部類の男ですし、実際ケツ持ちしている店のお譲さん達には大層モテています。でも、表面だけじゃダメなんだ」
「どういうことだ?」
「ヤのつく稼業の若頭ですよ。左馬刻はいずれ必ず組長になる器を持った男ですから、どんな時も支えてくれる相手が必要です」
「……おー…」
「なので、左馬刻がヤクザの若頭であることを既に知っていて、私が知る中でもマイクスキルに信用の於ける方々を集めました。自分の身も守れないほど弱くては話になりませんからねぇ……その方が早いでしょう?」
「…………」
 もう相槌を打つ心の余裕がない。一体これから自分の身に何が起きてしまうというのか。
「銃兎、準備は完了した」
「ありがとうございます、理鶯。見事な手際です」
 察するに────察したくはなかったが、理鶯も一枚噛んでいるのだろう。左馬刻を見るなりコクリとひとつ力強く頷いてみせた。サムズアップもついてくる。
(何のコクリだよ! 何の励ましだ!)
「皆様にご説明は?」
「既に済んでいる。万事滞りないだろう」
「ありがとうございます。では、始めましょうか」
 かくして碧棺左馬刻のお見合いが、碧棺左馬刻本人の意思は全く関係なく、とてもスムーズに始まってしまった。
  
  
「……ども」
「……おう」
 一番手は、イケブクロディビジョンの山田一郎だ。こんな時まで一番一郎。入り口の布を掻き分けるようにテントに入ってくる姿は、またデカくなったなと感じさせた。
「へぇ……テントの中って意外と広いんだな。立ち上がっても頭ぶつけねぇし」
「まぁな、理鶯がデカいからよ」
「この寝袋もあったかくて良さそうだな。理鶯さんのか?」
「おう」
 ものすごく当たり障りのない話をしたところで会話が途切れた。一応断っておくが、一郎とは以前のような確執はない。腹を割って話し合いお互い潔く全てを水に流した。和解した今でもちょっとした挑発で火がつき、何発か殴り合うことはあるが、今は憎み合っているわけではない。が。
(だからってコイツが伴侶になるわけねぇだろ!)
 謂わばライバルのような距離感と関係性であって、どう考えても恋愛とは違う。伴侶候補にはならない。おそらく一郎も左馬刻と同じことを思っているんだろう。二人してそわそわと落ち着かず、一向に目も合わない。
「……すみません、後が控えていますので巻きで。五分以内でお願いしてもよろしいですか?」
 銃兎がレフェリーのように手を上げて発言する。片手には用意周到にストップウォッチを持っていた。本当になんなんだ。
「山田一郎さん、では一番からお願いします。簡潔に答えて頂けますか?」
「あ、ああ! えーと……」
 銃兎に言われ、一郎は手元の紙を見て「うーん」としばらく唸った後ようやく左馬刻に向き合った。
「俺は山田一郎だ。イケブクロディビジョンで『萬屋ヤマダ』っつー何でも屋をしてて、……まぁ、萬屋だから頼まれりゃ大抵のことは出来るぜ」
「知ってるわ」
「あー……だよな。じゃあ、次は二番か」
 一郎は再び紙を見る。何かしらの指示が書かれているらしいのだが、向かい合って座っているせいでこちらからは内容を覗き見ることができなかった。
「うーん、なんだろうな……俺的には最高の環境だけど、弟もいるし家ん中は毎日賑やかかな。いや、これ別にデメリットじゃねぇだろ。弟たちと食う飯は最高に美味いぜ。その日何があったとか話しながらさ、ワイワイ飯食うんだ」
「?? いいじゃねぇか」
「だろ! 良かったら左馬刻も来いよ」
「おう」
「あー、じゃあやっぱ二番は無しだな。最後は三番……まあ色々あったけどよ、俺はアンタの……自分の正義を曲げねぇところは悪くねぇと思ってるぜ」
「一郎……」
「ハイ、時間切れです」
「ええっ!?」
「私だって暇じゃないんです。次いきますよ、次」
「いやどう見たって暇だろ……」
 一郎はとっとと理鶯につまみ出されてしまった。あのデカい図体をつまみ出しちまう理鶯ってやっぱすげぇよな、と感心しつつ、何が何だか分からぬまま今度は山田家の次男がテントに入ってきた。
「ヨッ!」
「軽ぃんだよ、テメェはよ」
 一郎と過去の出来事に関して和解した後、この次男はあっという間に左馬刻に気安くなった。懐いていると言ってもいいのかもしれない。まあ年下の不良少年に懐かれて決して嫌な気はしない左馬刻である。
「テントって意外と広いんだなー!」
「……兄弟で脳みそ繋がってんのか?」
「へ?」
 思わず言ってしまうと不思議そうな顔をされた。
「なぁリオー、今度ここ泊めてくんね? 俺もこの寝袋で寝てみたい!」
「ふ、いいだろう」
 二郎は理鶯から了承を得て「やりィ〜!」なんて喜んでいる。その様子はお見合いとは無縁。普通にはしゃいでいる男子でしかない。
「はぁ……さっさと始めてください。分かりますか? 一番からですよ」
「ちぇっ、相変わらずうるせぇ眼鏡だぜ……えーと、一番な」
 二郎も一郎同様に何か指示が載っているらしい紙を持っており、それをしげしげと眺めた後ニッと快活に笑う。
「俺はサッカーがすげぇ上手い! そんでダチも多いぜ! 勉強すんのは好きじゃねぇけど……あ、これは二番か。んでまぁ三番は〜……」
 言いながらジロジロと左馬刻を四方八方から眺めてくる。
「んだよ、じろじろ見てんじゃねぇぞ」
「うーん、おっかねぇしガラ悪ィけどいい奴だよな。あと強ぇ! 兄貴には負けるけどな!」
「はい、三番まで言ったので終了ですね」
「あ、終わり?」
「はい、お疲れ様でした」
 銃兎が退室ならぬ退テントを促すと、二郎は「今度ラーメン博物館行こうぜ! 替え玉も奢ってくれよ!」と言って出て行った。何なんだ。ラーメンを奢ることに関しては別に構わねぇが未成年のガキ相手に見合い、つまりゆくゆくは結婚なんてイカれた話があってたまるかよ────ヤクザが良識的なことを考えていると今度は山田家の三男が顔を出した。
「帰りたいんだけど」
「帰れや」
「駄目です」
 銃兎と左馬刻が同時に言うので、三郎は理鶯に視線で助けを求める。しかし理鶯に「まぁ座るといい」と言われてしまい、やはり狂気のお見合いパーティに参加することになってしまった。
「つーかコイツと見合いってやべぇだろ。中学卒業したからって高1だぞ? 俺様にそんな趣味はねぇ」
「未成年でも双方の合意があればしょっぴかれませんよ」
「テメェの倫理観どうなってやがる」
「ヤクザが警察に倫理を説くんですか?」
「ハッ、悪徳ポリ公がよく言うわ!」
「ちょっと、下らないこと言ってケンカしてるんなら僕もう帰るけど?」
「……失礼しました」
 年齢が一回り以上も違う青少年に嗜められてはさすがの銃兎も大人しくせざるを得ない。いい気味だなウサちゃん。左馬刻が面白がってニヤつけば、銃兎の神経質そうなレンズの瞳とで再び小競り合いが始まりそうになる。
「まったくなんで僕がこんな……山田三郎、高校生。……一番は、そうだな、ネットに詳しいってところかな。絶対に安全なセキュリティーソフトも作れるし、どんなサーバーにも侵入してみせる。情報収集は得意だよ。それからうちには自慢の兄が……ひとり……ふ、ふたり、居る。うーん……この二番には、低脳がギャーギャー騒がしいことが相当するかな。勝手にゲームで遊ばれたりするし。三番は……まぁ、結構いい奴なんじゃない? こんなイカれたお見合いなんてしなくても、本当は好きな相手くらいいると思うけどね」
「いませんよ」
「なんで碧棺とケンカしてたアンタが先に答えてんだよ。アンタが知らないだけでいるかもしれないだろ」
「………そうなのか……? 俺が知らないだけで、左馬刻は……」
 銃兎の表情はどこかショックを受けているようだった。左馬刻に結婚を勧めるなら、左馬刻に好きな相手がいるかもしれないというのは主催する銃兎にとって喜ばしいはずなのに。銃兎の哀しみを察知した左馬刻が見合いの席など無視して立ち上がったのはコンマ3秒以下だった。他に目もくれずウサギの元へ向かう。
「銃兎」
「左馬刻、俺」
「なンも心配すんな。俺様だけ信じりゃ良い」
 レフェリーを庇うようにして立った左馬刻は、三郎が何事かを追撃する前に鋭い視線を尖らせ捩じ伏せた。
「おい、コイツに妙なこと吹き込んでんじゃねぇぞクソガキ」
「……はぁ。この時点で充分妙なことになってるだろ……じゃ、答えたしもういいよね。僕は行くから」
「え、ええ、ありがとうございます……?」
 帰り際、三郎も理鶯に「今度泊めてくれない? 僕も寝袋で寝てみたい」と言っていた。気に食わないところもあったが、やはり三兄弟たちは脳みそが繋がっているんだろうか。少し微笑ましい。ちょっと休憩させろや、と理鶯に言って、テントの中は左馬刻と銃兎の二人きりになった。
「……銃兎、俺は」
「さて、今のところどうです? めぼしいお相手はいましたか?」
「ったく……いるわけねぇだろうが。ダボ、アホ、ちんちくりんだわ。ガキに興味ねぇんだよ」
「はぁ……理想が高いですねぇ」
 銃兎はこれみよがしに溜息をついてみせる。
「つーかよぉ、さっきの一番二番三番ってのは何だ?」
 全員が紙切れを持ち、何かを発表するように喋っているのが妙に見えて仕方ないのだが。
「ああ……まぁ、そのうち分かるでしょう」
「ア? 今すぐ説明しろや」
「お断りします」
「テメェおちょくんのもいい加減に」
「きゃあ、怖いでありんす〜」
 ヨヨヨヨ……と泣き真似が聞こえる。見るとそこには既に選手交代して席に鎮座している夢野幻太郎がいた。いつの間にか入ってきたらしい。

「……銃兎、俺様コイツとほぼ面識ねぇんだが」
「おやおや、これはまた異なことを申される。あの日のことをお忘れか?」
 至極真面目な顔で言われ、左馬刻は(あの日のことってなんだ?)と記憶を手繰る。夢野幻太郎────シブヤディビジョン代表であるFling Posseに属している男だ。リーダーの乱数とは浅からぬ縁があるものの、そのチームメイトと左馬刻はあまり馴染みがないので実は年齢すらも知らないのだ。
「テメェは乱数んとこのチームの……作家先生だっけか」
「ええ」
「………」
「………」
 沈黙が降りた。というのも、以上が左馬刻の持つ情報の全てであり、他に言うことも特にないのだ。しかし夢野は酷く悲しそうな顔で、ぽつりと一言。
「……忘れて、しまったのですね。あの夜を」
「は……?」
「貴方と私はあの日、ヨコハマのとある酒場で出会いました。当時私は売れないフリーライター。二束三文の原稿料で毎日を食い繋ぐのがやっとでした。金に困った私は怪しげな宗教団体の内部調査をして告発文を書くという危険な仕事に手を出してしまったのです」
「宗教団体……?」
 火貂組が仕切るシマではそういった怪しい組織は片っ端から潰しているはずだ。洗脳して金を搾取する詐欺まがいのエセスピ宗教団体は、左馬刻だけでなく火貂退紅も嫌うところである。
「細心の注意を払っていたものの、私はついに身元がバレてしまいました。そして美しい満月の夜、命からがら逃げ込んだ先のバーで貴方と出会ったのです」
 果たしてそんなヤマがあっただろうか。もしくはこの男、別の誰かと左馬刻を勘違いしているのではないだろうか。だとしたらヨコハマにそういった怪しい宗教団体があるということで、今すぐにでも掃除にいかなければならない。
「おい、それ詳しく……」
「嘘ですけどね」
「……ハァ!?」
 夢野は悪びれもせずケロリと言ってのける。
「小生には売れない時代などございません。デビュー作から空前絶後の大ヒットでした故」
「てめぇ……ッ!」
 左馬刻のこめかみに血管が浮く。しかし当の夢野は涼しい顔だ。
「ですからお金には困りませんねぇ。一通りの家事もこなします。か弱いので力仕事は苦手ですが、そこは手伝ってくれる人間もおります故、問題ないかと。あえて二番を申すのであれば……小生、締め切り前は多忙を極めます」
 そう言った夢野が少し遠い目をする。虚構で塗り固めたような軽い口ぶりの中で、その部分だけは重く、とても現実味があった。
「お主はとても純粋な方でおじゃる。人や物事を真っ直ぐに見ることができるのはとても素晴らしい。しかし、なかなかどうして想い人は……いえ、これ以上は野暮というものでしょうね」
 では失礼。夢野は座ったことにより乱れた衣服の裾を直し、さっさとテントを後にした。完全に相手のペースであった。
「……あれはナシだな」
 レフェリーとして一部始終を眺めていた銃兎が疲れたように言うが、左馬刻も概ね同意するところである。続いてテントに入ってきたのは有栖川帝統だ。
「……左馬刻、私的にはこれもナシなんですが」
「どーでもいいからさっさと進めろ」
 そもそもこの大掛かりな茶番に自分は付き合ってやっているだけで、何も本気でお見合いしようだなんて思っていない。というか普通に考えてあり得ないだろう。ただ、手段はどうであれ銃兎と理鶯が自分のことを案じて行動してくれたことには義理を尽くそうと思っているだけなのだ。義理も何も頼んでいないが、そういうことにしておく。
「どーも! 俺は有栖川帝統でっす。借りた金を倍にして返すのが得意だぜ! まあ負けて素寒貧になっちまうこともあるけどよー……なはは、こりゃ二番だな!」
 『働けよ』と真っ当なツッコミをしたくなるが堪える。この男のギャンブル狂いは残念ながら嫌と言うほど見てきたし、左馬刻や銃兎が口で言ったところでどうなるものでもないのだ。シブヤのメンバーも放任している。グッドラックといえばそうなのかもしれない。でなきゃここまで生きていないし、周りに助けてくれる人間もいないだろうから。
「あと俺、借金取りに一晩中追っかけられたり、臓器とか仲間に売られそうになったり、マグロ漁船送りにされたり、仲間に借金しまくって地下送りにされかけたりもしたけどよ」
 こいつよく今まで生きてたな。
「でもま、あんたはヤクザっていっても理鶯さんとチーム組んでるんだろ? 結構いいやつなんじゃね? あ、これ三番な」
「ア?」
 左馬刻が凄みを利かせても有栖川は全く動じることなく「今度金貸してくれよ」ときた。
「泥水啜って生きてろ。俺にタカるんじゃねぇよ」
「にゃっははははは! じゃーな!」
 ……疲れる。今の奴もその前の奴も、普通ならば絶対に関わらないような人種だ。ともすれば有栖川あたりは追い回して締め上げる対象になるかもしれないが、仲良くおしゃべりして過ごせるような関係には決してならないだろう。銃兎も同じことを思っているのか、げんなりした顔をしていた。

「……おい左馬刻、大丈夫か?」
「疲れたから休憩させろ。テメェも座れや銃兎、」
「サマトキサマ♪ やっほー、ボクだよ!」
「……はぁ」
 ついた溜め息が重なる。まぁ順番的に確実にそうだろうなとは思っていたが、飴村乱数。やっぱり来るのか。レフェリーの銃兎も疲れているだろうし一度休ませてやりたかったが、ご機嫌な様子でぴょんとテントに飛び込んできてしまったものは無視できない。相手するしかないだろう。
 乱数との関係はとても複雑だ。何故なら彼もまた左馬刻を裏切ったからだ。
(いや、どうなんだ……)
 そこに乱数自身の意思があったのか、と言われれば答えは否だ。乱数にも事情があったし、本人が何の自己弁護や言い訳もしなかったので、今となっては左馬刻も問い詰めてやろうなんて思わない。チャラチャラしているように見えて頑固で厄介で、頭が回る。乱数が掴めない奴だということには変わりないのだが、これもまた水に流している過去だ。
「おい乱数、さっさと進めんぞ」
「サマトキサマこわひ〜☆」
 乱数は左馬刻と向かい合うかと思いきや、くるりと軽やかに方向転換して、テントの入り口にいた銃兎へ向かい、にーっこりと笑う。
「ねぇねぇウサちゃん、もしかしてぇ〜……サマトキサマの結婚相手探すのに疲れてるんじゃない?」
「え……?」
「だよねだよね〜! 分かる分かる! じゃあさ、ウサちゃんのことはボクが癒してあげるね☆」
「いや、私のことは良いですから」
「ボクといれば毎日楽しいヨン☆ カワイイお洋服もカッコいいお洋服も作ってあげる! ウサちゃんはどんな服が好き? ボクがウサちゃんに似合うファッションをコーディネートしてあげるのも良いね〜♡」
「あの、それは左馬刻に言ってほしいんですが」
「色とりどりでキラッキラな世界を見せてあげる☆ お金にも困らせないからさっ、ウサちゃんはボクと一緒に暮らそーよ!」
「は? ちょっと、スーツが傷むので引っ張らないでくださ」
「コイツはヨコハマの45Rabbitだ。テメェ勝手に連れ出そうとしてンじゃねぇぞ」
「うわっ、左馬刻……!?」
 銃兎の腕を掴んで引き寄せる。ウサギの翆色の目が驚いて大きくなっているが、絶対に離してやるつもりはなかった。これ以上、銃兎の近くに乱数を寄らせるわけにはいかない。左馬刻が睨みつけて威嚇すると、飴村は唇を尖らせた。
「むぅぅ、そんな怖い顔しないでよぉ。別に取って食べちゃおうとしてるわけじゃないんだからさ」
「寄るな。銃兎に触んじゃねぇ」
「ボク触ってないよ〜だ、サマトキがいっつもベタベタ触ってるんじゃん。そんなに強く腕握られちゃって痛いんじゃないの? ウサちゃんが傷ついちゃう! かわいそ〜!」
「アァ!? ブッ殺すぞ!!」
「ストップストップストップ! 左馬刻を焚きつけるのはやめてください!」
 銃兎が止めたところで反省もしていない。いつもどおり無邪気に笑う乱数に邪気しか感じない左馬刻を差し置いて「まったね〜!」とテントから出て行ってしまう。一番も二番も三番も全て無視である。
「なんだったんだ……」
「おい銃兎、一応言っておくがアイツと付き合うのはナシだからな。勝手に引っ越すのも許さねぇぞ」
「はぁ……俺だって御免だよ。左馬刻の相手を見つけるって話なのに、なんで俺なんか」
「それ言ったらお前も理鶯も俺様にイロ当てがおうなんてどういう了見だ、ふざけんな」
「それは……急に悪かった。でも、俺はお前のことを思ってだな。あとは理鶯も……だからあんまり怒らないでくれよ」
「チッ、ウダウダ言ってもしょうがねぇ……次は誰だ?」
「ああ、」
「こんにちは、左馬刻くん、銃兎くん。取り込み中だったかい?」
「お、おう。センセー……なんか悪いな。こんなとこまでよ」
 寂雷は長身なのでいくら広めとはいえテントは窮屈だろう。左馬刻が元いた場所に座り直しながらそう言うと寂雷は「いいえ」と微笑んだ。銃兎は左馬刻に抱き寄せられたことなどなかったかのようにストップウォッチをセットしている。
「こうしていると、なんだか昔を思い出しますね。私も野営をしていましたから」
 過去を詳しく聞いたことはないがずっと戦地に身を置いていたらしい。そこで様々な体験をし、苦労をし、そしてこんな人格者ができあがったのだ。
「さてと、私も左馬刻くんのお相手候補なんだよね」
「あ、ああ」
 寂雷がやたら楽しそうなのでつい反応に困ってしまった。そういえば彼のこういった方面の話は一切聞いたことがないし、想像すらしたことがなかった。
「君も知っての通り、私は医者なので健康面での手助けは十分にできるかと思います。お酒には少し弱いから一緒に晩酌なんかはできないかもしれないけどね。銃兎くん、これは二番の条件に当て嵌まるかな?」
「え、ええ、まぁ……そうですね」
 銃兎が引き攣った笑みで答える。彼も酒により”兄貴”と化した寂雷の傍若無人な振る舞いを目にしたことがあるのだ。
「あとは、そうだな……せっかくヨコハマの二人に呼ばれておいて申し訳ないんだけど、私は結婚は考えていないんだ。ごめんね」
「お、おう!」
 なんといきなりお断りされた。予想していなかった出来事に動揺するあまり元気いっぱいに答えてしまった。
(ん? いや、フラれたっていうのかこれ……? 別にショックでもねぇが……)
「左馬刻くんは仲間思いで優しい。きっといい人が見つかるよ。公私ともに支え合うことのできるパートナーがね」
「あ、ああ、そうだな……サンキュ……」
 まだ動揺が続いているが、ひとまず頷く。「ではまたね」とテントを捲って出て行く寂雷の背中をぼんやりとしたまま見送った。ついていけてない左馬刻に、銃兎がクスリと笑う。
「フラれちまったな、左馬刻様」
「ブッ殺すぞテメェ」
「お前結構好きだろ? 寂雷先生」
「アァん!? 好きっつか、……とにかくセンセーはそういうんじゃねぇ!」
「年下派か年上派か」
「年上!」
「ふふ、シンジュクを呼んで正解でしたね」
「シンジュク以外にもいるだろ」
 銃兎をまっすぐ見つめたが「ナゴヤとオオサカは呼べなかったんですよ」とだけ答えられた。ナゴヤとオオサカの話なんぞしていない。この森の中に六人を追加で呼んだところで左馬刻との縁談が成立するわけがないし、理鶯の野営地が更に混沌を極めるだけだ。
「チョリーッス! 伊奘冉一二三でっす!」
 入ってきたのは伊弉冉一二三で、途端にテント内が賑やかになった。
「相変わらず喧しいンだよテメェ。もういいわ帰れ」
「いやいやいや、帰れってまだ全然おしゃべりしてねぇじゃん!?」
「存在がうるせぇんだよ」
 ひでぇ〜!と言いながら楽しそうに笑う。いい加減疲れてきた。コイツと乱数に両脇を固められたら俺様はストレスで両方ぶっ殺しちまうんじゃねぇか?やっぱ俺様の仲間が一番だわ、と左馬刻は思った。
「改めまして、俺っちは伊弉冉一二三でっす! ひふみんって呼んでね♡」
「呼ばねぇよ、このスゲハムシ野郎!」
「え〜俺っち触覚なんか生えてなくね〜?」
「お、知ってンのか?」
 左馬刻は一瞬で伊弉冉を見直してしまった。ちなみにスゲハムシとは宝石甲虫と呼ばれ、美しい光沢をもつ虫である。6月から7月にかけて見ることができ、金色の色彩が美しい。
「それにもっと派手で強そうなやつが良い! ヘラクレスオオカブトとかさぁ、マジでパねぇよな〜!」
「すみませんが、虫についての談義は後ほどお願いします……ショッキングなことを思い出しそうなので」
「ふーん? りょーかい! えーと、なになにぃ……?」
 伊弉冉も紙切れを見て、うーんと唸る。だが然程沈黙することもなく、明朗に述べだした。
「俺っちは〜、家事全般得意だよ。料理も掃除も洗濯もカンペキ! そんで休みの日は、家に籠るってよりはアウトドア派かな〜! キャンプもそうだし、釣りに行くのも好き! 酒も強いから酔い潰れて迷惑かけるーみたいなことにはならねぇと思うしー、あとは流行り物とかも詳しいから好きな子を退屈させない自信がある!」
「おー。いいんじゃねぇか」
「二番は俺っちがモテすぎるってところと〜、マブダチの独歩ちんがめっちゃネガティブだからたまに爆発しちゃうかもしんないけどそこはメンゴリーンってところかな!」
「……なんつーか、言われなくても知ってたわ」
「三番は、そうだなぁ……サマちんってザーヤクなのに肌白くて睫毛長くて綺麗だよね!」
「ア? ンだよ、きめぇ」
「そんくらいかな!」
「は?」
 あっさり「バイビー」と出ていった伊奘冉に、銃兎が耐えきれず吹き出す。
「テメェ、笑ってんじゃねぇぞ」
「……くく、すみません、三番が、なかなかに傑作だったもので……見た目だけって……ふ、ふふ、あははッ!」
 腹を抱えて笑っている。銃兎は左馬刻と二人でいるときは遠慮もしない。こうやって大笑いすることも珍しくないのだ。左馬刻としてはこの状況で無邪気に笑われても複雑なものがあるけれど。
 伊奘冉が去り際に言ったことは本当で、左馬刻は肌が白い。顔立ちだって整っていて、スタイルもいい。黙っていればクールビューティーというやつである。だがその内面は喧嘩っぱやく短気で、すぐに手が出る。キレた時の言葉遣いは悪いなんてもんじゃない。銃兎はひとしきり笑うと、眼鏡を外して涙を拭った。泣くほど笑いやがってクソウサギが、と左馬刻は舌打ちをする。

「し、失礼しますっ!」
 テントの外から声がかかり、遠慮がちに入ってきたのは観音坂独歩だ。銃兎が眼鏡をかけ直して、どうぞと促す。観音坂はビクビクしながら、左馬刻と銃兎の前に座る。
「……ええと、俺なんかがトリで……すみません」
「別に。テメェは目が疲れねぇからいいわ」
 何と言っても色彩が地味だ。目に優しい。声に張りがない。つまり耳にも優しい。特に何の興味もないので、ただ座って話を聞けばこれでイカれた催しが全て終わる。いやもうここまで来れば終わったも同然だろう。
「え、っと……なんだか大変だったね。お疲れさま」
「おう……」
 ヨレヨレのスーツと目の下の色濃い隈を見て大変なのはテメェだろ、と思う。平日のド昼間から理鶯に拉致られてこんなヨコハマの山中までお越し頂き、ご苦労なことだ。
「うーん……、あの、入間さん、すみません」
「はい?」
「俺、一番が……特にないんですけど」
「観音坂さん……ルールなので、なんとか絞り出して下さい」
「はぁ……そうですか……」
 しばらく考えた観音坂が真剣な面持ちになり、左馬刻の方を見た。真っ赤な瞳にギロリと睨まれて身を竦めたが、それでもなんとか名乗る。
「観音坂独歩です。サラリーマンやってます。頼りないだろうけど……俺にできることなら、力になるよ」
「………」
「悩んでることがあれば、話を聞くよ。俺は口下手だから、うまく言葉は出てこないかもしれないけど……でも伝わるまで側にいます、から」
 観音坂独歩は、左馬刻にとってどうでもいい人間である。シンジュクディビジョンの代表メンバーであり、同じくシンジュクディビジョンの代表メンバーであるナンバーワンホスト、伊奘冉一二三の親友。それだけだ。しかもこの男、弱すぎて使えないと思うことが多々ある。バトルではマイクを使って攻撃してくるがすぐに倒れるし、ラップはヘタではないが、特別際立って上手でもない。なのに、なぜだろう。なぜかわからないが、この男の笑顔が嫌いではないと思う自分もいた。聞いていた銃兎も同じことを思ったのか、微かに笑みを零す。
「二番は……ううん、一二三かな……。あいつ、俺から離れる気ないとか言ってたから……無礼なところもあるけど、悪気はない奴なんです、すみません! えーと、最後に三番。左馬刻くんって、ホントに俺なんかが言うのもおこがましいけど……俺より年下なのに、しっかりしてて、立派だと思います。え、と……頑張ってる! うん、すごい!」
 ぐっと拳を握って励ましてくる姿に毒気を抜かれてしまう。なんで俺様はこいつに応援されてんだ、と思わなくもないが。
「だから、あんまり危ないことはやめてほしいかな……俺が言えることじゃないかもしれないし、入間さんが居れば大丈夫かな」
 最後にやたら大人びた保護者面をした観音坂は「し、失礼します!」と九十度のお辞儀をして出て行った。
「おい、リーマン野郎が帰ったぞ」
「ああ、はい。観音坂さんの優しさが伝わってきましたね」
「フン、てめぇだって大概危ねぇことしてるウサギなのにな」
「知らない方が良いことだってあるでしょう」
 銃兎は意味深に微笑むと眼鏡のブリッジを押し上げた。
「さて、以上で全員ですね。理鶯もありがとうございました。皆さんに帰宅して構わないと伝えていただけますか?」
「了解した」
 頷いた理鶯がメンバー達に解散の意向を告げる。全員とのお見合いが終了したので、もう誰も候補者はやってこない。二人きりのテントで空いた席に腰を下ろした銃兎が躊躇いがちに口を開いた。
「……ちょっと、グラッときたんじゃねぇか?」
「あ?」
「観音坂さん。好きだろ、お前……ああいう一生懸命な奴。それに年上だし」
「まだそれ言ってんのか」
 左馬刻は呆れて銃兎を見た。確かに観音坂独歩には悪い印象はなかったように思う。だがそれとこれとは話が別だ。あんな風に四六時中ビクビクされたらイラついてしょうがなくなるだろうと容易に想像がついたが、
「たしかにグラっときたかもなぁ。癒されそうだしアイツと付き合うか」
 わざとそんなセリフを口にしてから、左馬刻は煙草を取り出して火をつけた。紫煙を肺いっぱい吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。銃兎が自分に好意を持っていることは知っている。その好意が恋愛なのか友情なのか分からなかったのだが────
「……そうか」
 今、一瞬見せた銃兎の表情の翳りが、何よりも雄弁に本心を告げていた。このクソみたいな茶番に巻き込まれて、唯一良かった瞬間かもしれない。
「そういや分かったぜ、一番だの二番だの」
 おそらく一番は自己紹介とアピールポイントだ。二番は自分と付き合った際、デメリットになるであろう部分。左馬刻の推察は当たっていたらしく、
「正解です」
 よくできましたと笑う。子供扱いしやがって。
「で、三番は……アレだ、俺様の良いところ……」
 自分で言うには面映く、ついつい小さな声になってしまった。銃兎はそれにも頷く。やはり正解らしい。
「左馬刻の良いところを答えられねぇ奴に、左馬刻は渡せねぇ。お前は俺達の王様なんだから当然だろ」
 自慢げに言う銃兎を見て、左馬刻は吐息交じりに低く笑った。まったくこのウサギは、左馬刻が本当に欲しがっているものには気づかないくせに、左馬刻を喜ばせる言葉は誇りを持って投げかけてくれるんだから、本当にたまらない。左馬刻は見合いをしたことで、改めて自分の気持ちを自覚した。
「銃兎、他には?」
「え……?」
「俺様の良いところだっけか? ……それ答えられたらハイ分かりましたって許せるのかよ、お前は」
「あぁ……そうだな。本当はまだあるんだ」
 銃兎は少し困ったような顔をしたが、やがて左馬刻をまっすぐに見つめて淡く微笑む。
「……左馬刻は妹さんのことを凄く大切にしてるだろ? だから、妹さんとも仲良くやれる相手が良いと思う」
「へぇ……そうか」
「! いや、左馬刻の家族のことで部外者の俺がこんな風に言うのは余計な世話だったな……今のは忘れてくれ」
「あぁ? どこの誰が部外者だよ。俺様のこと一番よく分かってんじゃねぇかウサちゃん」
 立ち上がった左馬刻が銃兎の隣に腰を下ろしたのはわざとだった。銃兎の手に触れる。これも勿論わざとだった。銃兎が身を強張らせたのが分かる。それでも手を引っ込めなかったから、ゆっくりと手の甲に手のひらを重ねた。
「っ、」
「どうしたよ」
「ぁ、その……いや、別になんでもねぇ……!」
 なんでもない、らしいので腰を抱いて身体を引き寄せる。銃兎の匂いが強くなった。普段つけている香水の香りと混じり、いつまでも嗅いでいられるような匂いだ。左馬刻の心拍数が上がる。銃兎は逃げずに、ただ視線を逸らしていた。
「気になってるやつ、実は居るんだわ、一人」
「観音坂さんか……?」
「ウサちゃんはどう思うよ」
 指先で手の甲を撫でて遊ぶ。革手袋越しの緩い刺激だが、銃兎は小さく身じろぎをした。平静を装っているけれど、内心では動揺しているに違いない。
「俺様があのリーマン野郎と付き合って良いのか?」
「ッ、左馬刻が……好きになって、選んだ相手なら」
 その声は少し震えていて熱っぽかった。期待しても許されるだろうか、今の反応に。望んでも良いだろうか、この先に進むことを。戯れで手を出しているわけではないのだ。
「俺は……」
 言葉を探すように一度沈黙した銃兎が、意を決したかのように口を開く。
「……俺は、お前が幸せになれる相手と結ばれてほしいと思ってるから。だから応援するよ」
 いつだって左馬刻を一番に据えて考える銃兎らしいと思った。左馬刻の幸せばかり願って左馬刻のパートナーまで探そうとする。なんてお節介でいとおしいウサギだろう。左馬刻が一等気に入って、一番そばに置きたい存在になったって何ら不思議ではないくらいに。重ねた手を軽く握って、腰をスリ、と撫でる。ぴくんと反応したが気づかないフリをして尋ねた。
「じゅーと」
「っ、ん、なんだよ」
 二人きりで甘やかしてやる時を意識して囁いた。耳元に唇を寄せ、吐息交じりの掠れた声で名前を呼ぶと銃兎の頬が赤く染まる。甘だるく溶ける声を聞かせる相手は、特別で可愛いウサギだけ。左馬刻はもう確信を持っていた。自分が求めているのは銃兎だ。そして銃兎も自分に好意を持っている。ならばもう遠慮することは何もないはずだ。
「俺様が選んだ相手なら応援してくれんのか? もし俺様がリーマン野郎のこと好きになって付き合ったら、ウサちゃん祝ってくれんのかよ」
「……当然だろ。何のために俺と理鶯がメンバー集めたと思ってんだ」
 嘘を、ついている。左馬刻は銃兎の言葉に思わず舌打ちをしそうになった。銃兎はきっと、左馬刻が幸せならと思っているのだろう。しかしそれは本心の一部であり、全部ではない。本当はショックを受けているくせに、誤魔化せるとでも思っているのか。幸せになってほしいというなら、銃兎が候補になれば良いだけなのに。銃兎がこの先も自分と共にいる未来がほしかった。誤魔化しようのない左馬刻の本心を、分からせてやる必要がある。
「悪ィけどよ、候補にもう一人加えてくんね?」
「今から急に呼べるわけねぇだろ」
「すぐ近くにいるぜ。いま俺様が手ぇ握ってるやつ」
「!!」
 途端にひゅっと息を呑む。耳まで真っ赤になった銃兎がすぐに手を引っこめようとしたから、逃がさねぇぞと手首を掴んだ。引き寄せてバランスを崩したところを抱きしめる。そのまま唇を重ねてやりたいところだったが、さすがにそれは憚られた。銃兎が口元を押さえて涙目になっていたからだ。そんな顔されたら無理にできないし、キスしようとしたのがバレているという事実にも笑えてしまう。
「……分ァったよ、今はウサちゃん苛めねぇから。帰ってからな」
「うるせぇクソボケ! か、帰ってもしねぇし、ヘンなことやめろ!」
「ほら伴侶候補の口悪いウサちゃん、俺様と見合いすんぞ」
「バカ、なんで俺が……ッ!」
「文句は後で聞いてやっから一番から答えろや。候補ってだけで別にお前のこと選ばねぇかもしれねぇだろ?」
「う……」
 他の奴と見合いした時も選ばなかっただろ、試すだけだ。わざと軽い調子で言えば、反論の勢いが削がれたのか口ごもる。あと一押しだろう。
「他の奴らには散々言わせてたくせに、テメェは出来ねぇのかよ」
 ニヤリと笑って挑発してやると「出来るに決まってんだろうが!」とよく通る声で宣言した。自棄気味になってはいるが眼鏡のズレを直し、左馬刻の腕の中で深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
 いやもうこんな、左馬刻様に抱きしめられた状態で『お見合い』が始まる時点で、どう考えてもスタート前から他の参加者と扱いが違うということには気づいていないんだろうか。おバカで愛おしいウサギだ。
「ほらウサちゃん、お名前は?」
「……私は入間銃兎です。職業は」
「お前に決めたわ。これからも仲良くやってこうぜ」
「はぁ!? 話が違うだろ、まだ途中だし二番も三番も答えてねぇぞ!」
「ここまで来るのに何文字かけてんだよ。ンなもん最初っから必要ねぇ」