お前のことが好きだ。ずっと前から好きなんだ。
────伝えるつもりはない。どうせ墓まで持っていく恋だ。
だったら紙に綴ることくらいなら許されるだろう。許されてほしい。恋愛成就なんて願わないから、どうか。秘めてもなお捨て去れない想いを書き留めては仕舞っておく。これはそんな話だ。
入間銃兎が碧棺左馬刻に向けた道ならぬ『想い』をしたためた便箋は、もう何枚目になるだろうか。
最初の一枚目は、憧憬にも似た感情だった。二枚目のそれは、自分の気持ちを見つめ直すためのものだった。三枚目からは、ただひたすらに募っていくばかりのやりきれぬ感情を書き殴ったようなものだ。筆致も荒い。いよいよこの恋心を認めざるを得なくなってきたなと思う。
今日もまた、認めざるを得ないほど大きく膨らんだ恋心を閉じこめるように手紙に封をする。今書いてるのが何枚目かなんて数えたって無駄なことだからやめた。差出人は書かない。宛名も書けない。この恋文を誰かに読んでほしいわけではないし、読まれたくもないからだ。この恋は銃兎が秘めていれば済むことで、他の誰にも知られてはいけない。どこに送るわけでもないから、いつも寝室の引き出しにしまってある。この想いが消え去ったら、その時は役目を終えた紙束を全て燃やしてしまおうと密かに決めていた。その日が訪れるには、まだもう少し時間が足りないけれど。
銃兎が左馬刻のことを傍らで見つめるのは振り向いてほしいからではないのだ。むしろ、そんな事実は最期まで隠し通さなければならない。越えてはならない一線があることを自覚している。
DRBヨコハマディビジョン代表。MAD TRIGGER CREWというチームにおいて、リーダーである碧棺左馬刻とヨコハマ署組織犯罪対策部の巡査部長である入間銃兎の間に横たわるものは、あまりにも大きい。持ちつ持たれつの関係を貫き通すことが一番の得策だということは、火を見るより明らかだ。
惚れているなんてバレたら最後、才も武勇も並外れて優れた王の横に立つことすら叶わなくなるやもしれない。もしそんなことになれば、築いた関係も絆も壊れてしまうだろう。それだけは何としても避けなければならない。だから、絶対に隠し通す。もしも左馬刻に対して好意を抱いていることがバレてしまったらどんな反応を示すか────まず間違いなく嫌悪されるだろう、と考えただけで背筋に冷たいものが走る。
そもそもどうして今こんなことを考えているかというと、勝手に上がりこんできた左馬刻の相手をしているうちに書きかけの便箋を仕舞うタイミングを逃してしまったからだ。窮地、第一幕。
寝室に置きっぱなしになっていたそれを、遠慮なく寝室まで付いてきた左馬刻が見つけてしまった。待ってくれ、第二幕へ移るのが早すぎる。
「左馬刻! 大人しくリビングに、」
「銃兎ぉ、これ何だよ。誰かにオテガミでも書いてんのか?」
しまったと思ったときには遅かった。左馬刻の手には、銃兎が昨日したためたばかりの手紙があった。なんで出しっぱなしで寝室を出たんだ。そうだ、左馬刻が珍しく朝から電話かけてきて、浮かれて出しっぱなしにしたんだった。畜生、恋の馬鹿野郎。
「そ、れは……」
あまりのショックに取り繕う言葉も出てこなくて口ごもってしまう。まさか左馬刻を好きな気持ちが抑えきれずに手紙に書いてるんだなんて言えず、かといって上手い言い訳も見つからない。どうするべきか悩んでいる間に、左馬刻は勝手に中身を読み始めた。罫線の上に並ぶ恋は、今日までずっと銃兎一人だけの秘密だったのに。やめてくれ。頼むから読まないでくれ。そう思う反面、凍ってしまったように手足が動かない。左馬刻が読み進めていくのをじっと食い入るように見つめているしかなかった。
「……随分と熱烈な内容じゃねぇか、銃兎よォ。外はクソ寒いのにお熱いことだなァ」
左馬刻は不機嫌そうな表情を浮かべながら言った。終わった。全部終わりだ。今まで積み上げてきたものが崩れ落ちていく音がした。でも待てよ、まだ希望はある。だって、この手紙には宛名がない。
「誰に向けて書いてんだよ。貴方貴方って、名前がどこにもねぇじゃねぇか」
そうだ。内側にも外側にも、この恋文に宛名はない。名前を書いてしまえば一発でわかってしまう上に、左馬刻の名前を手紙に書くのが気恥ずかしくて。どう答えるべきか迷っていると、左馬刻は続けてこう問うた。
「ソイツが好きで、でも告白できねぇから代わりに手紙に書いてるっつう感じか?」
心臓が大きく跳ね上がった。図星を突かれた動揺が、左馬刻には伝わってしまったらしい。ニヤリとした笑みを浮かべられた。違う。別にそういうわけじゃない。これはあくまで自己満足のために書いているだけだ。そんなことを言えるはずもなく「返してくれ」とだけ答えたが、それは肯定とみなされたらしい。
「バーカ、返すわけねぇだろ」
「なっ……いい加減にしやがれ! 勝手に人のモン読んどいて返さねぇもクソもあるか! 返せっ、もう読むな!」
「貴方がすごく好きです。ずっとずっと好きでした。貴方は俺を選ばないでしょう。俺が相応しいとも思えないから、他の人を好きになってくれて構わない」
「も、もういいだろ! 返してくれ……そんな…汚いもん……」
「あ? 充分綺麗な字だろーが。突っ走って無茶するから心配だ、心から想ってるし心配くらいはさせてほしい。好きってことは変わらないけど、今の関係を大事にしたい……ンだよ告白する前から失恋かよ」
────俺が慰めてやろうか。
確かな意志を持った手が銃兎を引き寄せた時、あぁ、もう逃げられない、と悟った。今更、左馬刻のことが嫌なわけでも、逃げたいわけでもない。未知の世界への期待と何かが変わってしまうような不安が入り混じっただけだ。銃兎は左馬刻の隣に立つと決めた時から、左馬刻の仰せのまま。地獄の果てまでついていっても良いというほど腹は括っていた。
ただ、失恋したチームメイトの傷心を、左馬刻がこんな風に癒そうとするなんて知らなかったから。
薄い皮膚を擦り合わせるだけのキスだったのに、ぬるりと舌が割り入ってきた。奥に引っ込んでいた舌を、絡め取られて吸われる。ぞくぞくする気持ちよさ。身体が勝手に跳ねてしまう。左馬刻に手紙がバレて、なんでこんなことになってるんだっけか。なぐさめるって、なんだ。好き勝手に腔内をまさぐられ、卑猥な音が立つ。飲み込みきれなかった唾液が口端から溢れていく。言葉にならなかった声が鼻から抜けて、なんだか色めいた音が何度も漏れた。恥ずかしい。情報過多で脳内の処理が追いつかない。他の手紙は引き出しの中に仕舞ってあるからバレないとして、この状況に相応しい対処法は頭の中にある引き出しのどこにも仕舞っていなかった。左馬刻にキスされて舌を吸われたときの対処なんて一度も、考えたことすらなくて全然わからない。
気付けばきちんと閉めていたはずのシャツのボタンが下から外されそうになり、流されていた銃兎はハッと我に返って身じろいだ。いや、自分は左馬刻にどこまでケアさせようというのか。流石にそれはまずい。左馬刻が身内に優しいからって、こんなことに付き合わせるなんて逸脱しすぎている。
「左馬刻、こんなことしなくて良い……! 俺なら大丈夫だから、」
「……あんな手紙書いて、情けねぇ顔してたくせに何言ってんだよ。大人しくしてりゃ朝までヨくしてやっから、イイ子にしてろや」
「……ッ!?」
「テメェ、まさか知らねぇとは言わねぇだろうな? 男同士のセックスの仕方くらい知ってンだろ?」
「そ……れは、まぁ……」
「ふ……お前のここに……俺様のちんこ突っ込んで、一緒に気持ちよくなるんだよ」
「ん、ぅ……っ」
「ウサちゃん処女だろ。……優しくしてやるよ」
「は、…ん、うるさい、黙れ……」
「ハハッ、可愛いなァ」
左馬刻は会話している最中でも構わず唇を合わせてくる。本物のフワフワした兎じゃあるまいし『可愛い』なんて言われたのは初めてだった。舌を差し入れられて、歯列をなぞったり、上顎のざらついたところを撫でられたりする度に身体の芯まで甘く痺れた。角度を僅かに変えながら、何度も貪られる。気持ちいい。もっとしてほしい。ぼんやりとした頭でそんなことを考えていると、ベッドに横たえられてしまう。
「銃兎、この部屋明るいけど良いのか?」
「ゃ、あの……消してほしい」
「全部暗くすると見えなくなっちまうだろ」
暖色の常夜灯だけが点けられた、薄暗い室内。左馬刻に抱かれないという選択肢を除かれてしまっていることに気づくが、主導権が握られている以上どうしようもない。ダークグレイの肌触りの良いシーツは銃兎のお気に入りだったが、そのシーツの上で左馬刻に服を脱がされ、裸を見られてしまうのは銃兎にとって羞恥の極みだった。身を捩ると、逃さないとばかりに強く抱きしめられた。
「俺しか見てねぇよ。誰も聞いてねぇし、鍵もドアも窓もカーテンも全部閉めてある」
「………」
「好きなんだろ、ソイツのこと。……なあ、銃兎」
「……ああ、そうだよ、悪ィかよ……」
胸の奥が詰まって苦しい。まさか想いを寄せる相手が左馬刻だなんて、本人が目の前にいるのに言えるわけがない。そもそも銃兎は男だし、左馬刻だって男だ。同性愛に対して偏見があるわけではないが、世間的にはまだまだマイノリティだ。ましてやチームメイトなんて。
「……早く諦めなきゃいけないのは、分かってるんだ。でも好きでいることだけは許してほしくて……」
「だからああやってオテガミ書いて大好きですって告白してんのか」
「こ……ッ、告白、とか……そういうつもりじゃないんだ。告白なんか出来ない。俺な、見てるだけで良いんだ。満足してるし、これで良いんだよ」
左馬刻が銃兎のことを恋愛対象に見てくれる可能性は考えるまでもない。銃兎の独白を聞いて左馬刻はどう思ったんだろう。馬鹿だなと笑われても、左馬刻が好きだった。双眸の紅の中で、シアンの炎が盛んに揺らめいている。この瞳に見つめられると弱い。躊躇いなく手が伸びてきて耳の裏を撫でられた。皮膚が薄くて敏感なところ。思わず肩が竦んでしまう。
「銃兎よォ、……テメェがそんな必死に思うくらい特別な相手、一人しか知らねぇんだわ」
そう言った左馬刻の顔が近付いてきて、また唇同士が触れ合う。甘やかすようなキスだと思った。下唇を食むようにして啄まれて、軽く吸われた。粘膜を交わらせていないのに、それだけのキスでも意識してしまう。
銃兎の視線が向かう人間────左馬刻の言う通り、そんなのは世界中を探したって一人しかいない。心の中だけに留めておいたはずの想いを暴かれてしまいそうなくらい、左馬刻は確信を持った声をしていた。暴かれてしまう、のか。
銃兎を好きになるはずもないのに、どうしてこんな風に追い詰めるようなことばかり言うんだろう。なんて酷い男だ。唇の裏を噛んで、目尻を火照らせる熱やツンとする鼻の奥の痛みを誤魔化す。そんなこと知る由もない左馬刻の指先が銃兎の頬を滑り落ちていき、首筋を通って鎖骨に触れた。そのままゆっくりと降りていって、はだけられたシャツの上を滑る。心臓が痛いくらいに高鳴っていた。
「……ウサちゃんが片想いしてる相手教えろよ。ソイツに名前呼ばれんの? ウサちゃんのことなんて呼ぶんだ?」
「! いやだっ……言いたくねぇ」
「言いたくねぇってことは入間さんとか他人行儀な呼び方してこねぇ相手だなァ。つーことは仲が良いんだろ」
「ヤクザがポリの尋問してんじゃねぇよ……!」
銃兎は左馬刻の身体を押し返そうとしたが、ビクともしなかった。それどころか手首を押さえつけられてしまえば、もう抵抗する術はない。
銃兎の身体に覆い被さったまま、左馬刻は首筋へと顔を埋めてくる。吐息がくすぐったかった。鎖骨を舐められ、その上から強く肌を噛まれた。
「い……っ! おい左馬刻!」
「俺様以外の奴にこんなこと許すんじゃねぇぞ」
「お前以外にこんなことするやついるわけねぇだろ……!」
「ハハッ! そりゃそうだなぁ」
左馬刻は楽しそうに笑いを含ませながら、銃兎の首元に顔を近づけてきた。何をされるのか察した時には、既に遅かった。ぢゅっと皮膚を吸われる感覚があって、鈍く痛みが走る。左馬刻に所有印をつけられている。その事実に気が付いた瞬間、カッと頬に熱が集まった。赤い舌が労るように這わせられるが、冷めることなどない。熱い。もう全身が火照っている。ぢゅっ、ちゅぅ、と何度も繰り返し吸い付かれて、不意に歯を立てられて。銃兎は自分のものじゃないみたいにびくびく跳ねる腰を抑えようと必死だった。左馬刻は満足するまで銃兎に自分の証をつけて、ようやく離れてくれた。
「ぁ……くそ、痛いって言ってんのに、なんでするんだよ……」
「……こんなに跡が付くほど吸われちまって、他のヤツに見せらんねぇな」
「だ、誰のせいでっ」
「俺様だな。これでテメェは他の野郎の前で脱げねぇだろ」
そんな風に独占欲めいたものを見せられたら期待してしまう。とうとう視界が潤み始めて、涙で滲んだ世界には、左馬刻だけが映っている。喉の奥が震える。
「ん、だよそれ……もう…クソボケが……お前……、っ、なんでこんな……」
好きだ。好きだと思ってしまった。左馬刻と出会って初めて、恋をしたのだ。それを晒して粉々にする勇気はなかったのに。銃兎の瞳から溢れた雫を指先で拭ってくれたが、もう取り繕えない。左馬刻のことを好きじゃないフリなんてできないくらい、心を奪われてしまっている。片想いの相手は、銃兎の心の中に居座って出て行ってくれない男は、碧棺左馬刻、ただ一人だけだ。
「……銃兎」
名前を呼ばれただけで心臓が高鳴ってしまう。鼓動が早くなる。
「……告白してほしいと思ってるぜ、ソイツ。そりゃお互いムカつくこともあるし喧嘩もするけどよ……何だかんだお前が気に入ってンだわ。一途で可愛いウサちゃん貰えたらすげぇ嬉しいし、誰にもやらねぇ。大事にしてやるよ」
優しく微笑んでくれる。ずっと見たかった表情に胸がいっぱいになって言葉が出てこない。黙ってしまった銃兎に、左馬刻は少し焦りを含んだ声になる。
「オイまだ不安かよ……そうだ、付き合ったら美味い朝飯とコーヒーも出してやるぜ。好きなやつには尽くすタイプなんだわ」
二人きりの部屋で、荒っぽいハマの狂犬が静穏になると知った。眼差しすら柔らかく甘い。こんなに想われているなんて、シナプスのすべてが歓喜に震えるようだ。
こくりと小さく喉を鳴らし、銃兎は唇を開いた。罫線には載せきれず、文字に代えてもなお捨て去れない想いに、差出人と宛名を付けよう。念のため追記しておくが、決して美味しい朝食とコーヒーに釣られたわけではない。