夜溜まりを睥睨

 苦しい。何もできないのに、焦がれる想いばかり募っていくのが。近くにいるほど思い知らされる。その視線の先にあるのは期待を打ち砕くものばかりだということを。
 
 
 
 ぐるぐると思考ばかりが回っていた。小料理屋の一室。銃兎は上司に呼ばれ、酒の席に座している最中である。
 今夜は堅苦しい酒席ではない、無礼講だからと口からはそう言われて臨んだものの、最初は落ち着かないものだった。しかしアルコールが程よく回ってきた現在では然程気にならなくなっていて、むしろ、己の思考そのものが銃兎を落ち着かなくさせていた。こんな時でも頭から離れてくれないのは、ただ一人。荒くれたリリックで有象無象を圧倒する強さを持ったリーダー。こんなに一人の人間へ惹きつけられたことは、今までの人生で一度もなかった。
 それは、銃兎の生来の嗜好にも深く関わっているのかもしれない。銃兎は、男を性的対象にする性質だった。だから、といっては少しおかしいのかもしれないが、恋というものをしたことがなかった。本来こういう嗜好の者だって恋するものだろう。しかし、銃兎に関して言えばその原理は通用しなかった。
 女に恋したことも夢中になったこともないけれど、抱けないというわけではない。アレは欲情ではなく生理反応のようなものだと思う。興奮して愉しんだという自覚がないからだ。
 反面、男に興奮したり欲情することはある。しかし、欲情は欲情だけなのだ。そこに胸を突かれるような恋しい思いが付随したことは、なかった。
 幼い頃に両親を喪い、公私ともに慕っていた先輩を亡くし、薬物根絶を掲げて生きてきた。職業柄もあって男女の恋愛の縺れなら腐るほど見聞してきたが、同性の恋愛は隠されてしかるべきという風潮の中で、踏襲するべき情操面に欠如を抱えてここまで来てしまったように思う。
 男が男を求める場所はあるが、一夜限りが多い。身体だけの関係で満足せざるを得ないといった現状を抱える者たちばかりで溢れている。それもまた、情操面の欠如を招く一因になっていた。
 信頼で結ばれる関係は作れていると思う。MAD TRIGGER CREWは銃兎にとって確かな繋がりや温かみを感じることができる唯一の存在だったし、そしてその存在のおかげで、銃兎は左馬刻に出会うことができた。左馬刻とチームを組んだ日を忘れることはない。抗えないほど強い力で、左馬刻に惹き寄せられたのを今でも覚えている。これから先の人生で、左馬刻以上の存在と出会うことはないだろうというくらいに────言ってしまえば運命的な出会いだった。でも左馬刻の横へ引き寄せられるままに碧棺左馬刻という男を意識し理解が深まるにつれて、すぐにそこには痛みしか生じないことを知ってしまった。

 長年、そういう人間を見てきたから分かってしまう。左馬刻は、男を性的対象にはしない。まごうことなきノンケだった。気安く触れられるたびに、距離を近づけられるたびに、親しげに笑いかけられるたびに、何度もその視線の先に、その態度の奥に、微かな期待を芽生えさせた。しかし、いつも左馬刻の周囲を囲むのは美しい女達だった。
 当たり前のことに気づくのも何度目になるだろう。なんで左馬刻なんか好きになっちまってんだよと、銃兎は自分で自分を罵った。とはいえ左馬刻には、頼りになる兄貴肌の一面だけでなく年相応に可愛いところなんかもあって、我儘を言われても許してしまう。これは惚れても仕方ねぇよなと、半ば諦めるような気持ちすら湧いててしまうのだ。
 左馬刻への恋慕に気づいてからは左馬刻にしか欲情できなくなっていたから、疼く身体は一人で慰めるしかない。左馬刻のことを思い出しながら一人で慰める夜も珍しくなかった。
 死ぬも生きるも一緒の運命共同体だと口にした左馬刻の覚悟を知っている。そんな相手に心まで捕らわれてしまった銃兎は囚われているも同然だった。ずっと囚われたままの心と幾重にも層を重ねている想いが、酒の酩酊と混じって絡まって現実感を失わせていた。銃兎は、喉を通り抜ける酒の味が微かに変化したことに、気づかなかったのである。

「……ああ、入間君。私は少し急用ができたから、お先に失礼するよ。君も、いいところで切り上げるといい。それではまた」
 上司はそう言うと、同席していた直属の部下であろう数人を残して退席してしまった。この杯を空けたら己も出ようか。上司に声を掛けられたことで先ほどよりややクリアになった頭で酒を喉に流し込む。
と、そこでやっと銃兎は酒の変化に気づいた。
 ────おかしい。身体が、熱い。
 異物。クスリ。瞬間、ぐうっと身体が拒否反応を示すように咳き込んで、嚥下してしまった酒を吐き出そうとする。横隔膜が不随意に波打つ。ゲホゲホと腰を折って何度も咳きこんで嗚咽する姿に、何事かと訝るように数人が寄ってくる気配がした。
「どうした、入間。大丈夫か?」
「休んだほうがいい」
 肩を掴まれた。ぞわぞわとした妙な感覚に、何を飲まされたのか知る。同時に、周囲の不穏な気配を感じ取り、総毛立った。
 ────冗談じゃねぇぞ!
 銃兎は肩を掴んで触れてくる下種共を持てうる力で容赦なく突き飛ばすと、転がるようにして廊下に出た。ともかく、今すぐにでも離れたい。ここから逃げ出さなくては。言い訳は後でなんとでもしよう。のぼせ上がったようにだるく、もつれそうになる足で駆け、店の外に出る。よろよろとふらつくこんな身体では人目につきすぎる。銃兎は人の気配のないような路地裏に転がりこみ、ぐったりと地面に腰を下ろした。
 尻の下は冷たいアスファルト。しかし這い上がる熱は、腰に絡みつくようにジュクジュクと苛んでいた。ぎゅっと肩を掻き抱いて体内に熱を押し込めようとするが、どくり、どくりと絶え間なく下肢に送り込まれる熱はとどまることを知らず、苦しさに思わず呻き声が洩れた。
「…っぅ、……ぐ。あ…っく……は、ぁ…ッ…」
 おそらく、あの上司は弱みを握りたかったのだろう。闇で暗躍する兎に首輪を嵌めて、忠実な僕に変えてしまう一手を。銃兎を良いように使う、そのための首輪が欲しかったのだ。だから自分の手を汚さずに、いざとなれば簡単に切ることのできる手下だけ残してお膳立てした。悪徳警官の弱みを握ることができるようになる事態が起これば万々歳。もし銃兎にその事態を打破されるようなことがあっても「自分は何も知らなかった」といえる状況は作っておいたのだ。
 ────油断した。それくらいの危険を察知できないでどうするんだ。
 本来ならもっとスマートに回避できた事柄に、その妨げになった原因を思い浮かべ舌打ちする。
 憎むべきは、左馬刻ではない。あんな感傷に浸って注意を怠った自分の脆弱さだ。熱に攪拌されている脳みその中でも、それだけは理解している。

「あの……大丈夫ですか?」
 ふっと目の前が翳り、はっと顔を上げる。人好きのしそうな、害のない相貌に心配そうな色を浮かべた男が、そこにいた。どうやら倒れるように壁に寄りかかっていた銃兎に気づいて、通りがかった人が声をかけてくれたようだ。
「ああ……だ、大丈夫、です……少しこうしていれば、治まりますので……」
 さすがに媚薬を盛られた、とは言えない。考えただけでまた吐き気がこみ上げそうだ。放っておいてもらおうと、差し障りのない受け答えをする。

「でも、すごく具合悪そうですよ? ……ほら、こことか、苦しいんじゃない?」
「あぅ…ッ! ッ、!? …ぁぁ…っ…」
 スーツの布地の上から下肢を擦られて、びくりと身体が跳ねた。決定的な刺激に襲われ、革靴が意味もなく地面を掻く。気づかれていた、らしい。そんなに自分は物欲しそうな顔でもしているのかと、羞恥に目元が熱くなるのを感じた。
「……俺でいいなら、手貸すよ。あんた、すごく色っぽいし」
 ここは飲み屋の立ち並ぶ繁華街の一角だ。一歩細い道に入ればラブホテルも数多く存在する。一服盛られるような客も、もしかしたら珍しくないのかもしれない。腐ってやがる、と思う。耳元で気安い言葉に変化した見知らぬ男の声を聞きながら、心が諦念に満たされていくのを感じていた。
 もう、いいんじゃないか。
 左馬刻が好きだから、何になる。
 どう足掻いたって性的嗜好は変えられない。
 銃兎が一度も女に欲情できなかったように、左馬刻が銃兎に欲情することだってない。
 この男は、今、銃兎に欲を向けている。丁度いいぞ、おあつらえ向きじゃねぇか、と陰で囁くのは、早く捨て去りたい自分自身の恋心だった。
 左馬刻のことが好き、なんて、一途に片想いして何になるのか。左馬刻のことが好きだと自覚するたびに哀しくなるだけだ。咲いたところで実をつけず、最後は枯れていく徒花と同じ。
 ここで見知らぬ優男の手を取れば、左馬刻に囚われたままでいる欲望も、儘ならない恋も、違う形で昇華できるかもしれない。そうだ、左馬刻に出会う前と同じように、冷めた心を取り戻すことができるかもしれない。
 それが肉体だけの繋がりでしかないとしても構わなかった。どうせ左馬刻に囚われている今の銃兎は、誰とも繋がることなんかできないのだから。
 左馬刻は振り向いてくれない。銃兎がいくら好きだったところで、左馬刻にその想いは届かない。ならばせめて一時だけでも忘れたい。束の間でも左馬刻を忘れて、自分を誤魔化せるなら、それで良いんじゃないか。そうやって生きて、左馬刻への不必要な恋が朽ちる日を待つんだ。
 銃兎に抵抗する気配がないと見ると、名も知らぬ男はグイッと力任せに腕を引いた。そのまま男に抱き込まれる。鼻腔を突くのは全く馴染まない香水。他人の臭いだ。現役警官で、身長だって恵まれている。抵抗しようと思えばできたはずだった。しかし銃兎は、もうされるがままだった。
 こいつ、俺より背が小さくて、ヒョロい。収まりが悪いな、と思う。銃兎より背の高い男などそう何人もいないのだ。だが、別に収まりが悪くてもどうでも良かった。どうせ今だけだ。心は冷めているのに、無理矢理に表面上の熱を帯びていく身体が煩わしい。
「していい?」
「…………」
 路地裏の奥まった暗がりの中に銃兎を覆い隠すようにして迫ると、唇を寄せてきた。もはや逃げようもないし拒否するつもりもなかったが、左馬刻ならどんな風に女とキスするんだろう、とかこの期に及んでまだ考えている自分は、流石に諦めが悪すぎて笑えた。キスもセックスも形だけの睦言も、目の前のどうでもいい男にされれば途端に陳腐な行為になるだろう。早く、早くどうでも良くなりたかった。陳腐にしてほしい。取るに足らないことだと思わせてくれ、今すぐ。
 
 
「……おい、テメェ」
 投げかけられたその声は幻聴かと思った。地を這うように低い声だった。身体の奥から湧き上がってくる情欲を抑え込んでもなお霞む視界で、俯いていた銃兎は弾かれたように顔を上げる。やはり見間違いようもなく堂々と地を踏みしめて立っていた。ヨコハマで何者も寄せ付け得ない絶対的な王が、闇の中でも確かな存在感と威圧を放ち、不穏な路地裏の行為を睨みつけている。
 どうしてこんな路地裏に左馬刻がいるんだろう。ここにケツ持ちしている風俗店は無かったはずだ。それなのに、なぜ。左馬刻の姿を見た瞬間、ぞくりと背筋を駆け上ったのは紛れもない歓喜の震えだった。触れてもらえなくても、その声が好きで、威風に惚れこみ、ずっと焦がれ続けている。
「さま、……ッ! ……」
 思わず名を呼んだのは無意識だった。慌てて口を閉じる。黙れ。何をやってる。呼んだりしてどうする。馬鹿か俺は。黙れ。身体の芯がじくじくと熱い。そうだ。じくじくして、疼いている。これから自分は、知らない男に抱かれるところなんだ。左馬刻が来てしまっては、達成できない。黙れ。黙っていればやり過ごせる。
 きっと夜の暗がりだから気づかれない。左馬刻が何の理由で怒っているのかは不明だが、まだ距離がある。眩い色を持つ左馬刻より目立たない己の黒色は、そのまま闇に溶けこめるだろう。たった今、僅かに漏らしてしまっただけの銃兎の声なんか絶対に聞こえていないし、これから銃兎が路地裏やホテルで何をしようとしているかなんて、左馬刻には分からないはずだ。怖気付く内心へ必死に言い聞かせる。
 だがしかし、これは、恐ろしいことなのだが。
 不意に、こちらを見据える左馬刻と視線が交わった気がしたのだ。澱む暗闇の中を総て掻い潜って尚、鋭く銃兎を凝視するシグナルレッドの瞳と対峙したとき、心臓が止まる思いがした。捕らえられたまま逸らせない。次の瞬間、遠かったはずの左馬刻は一気に間合いを詰め、男を容赦なく殴りつけていた。銃兎を下手くそに抱き込んでいた手が離れ、呆気なく男が吹っ飛ぶ。壁にぶつかった衝撃でずるり、と地面にくずおれたところを、左馬刻のブーツの爪先が容赦無く踏み抜いた。
「ぐあァっ……! ア、あおひつ、ゥグっ」
「汚ねぇ手で触ってんじゃねぇぞフナムシ野郎」
「……ぁ゙、が……っ」
 男の顔が苦悶に歪む。息ができないらしい。左馬刻の靴底が男の手を踏みにじる。
「おい答えろ。テメェがウサギ弱らせたのか。コイツに手ぇ出すなんざよっぽど死に晒してぇンだよなァ?」
「ぐ、ぅ……っ」
「銃兎。テメェもだ」
 左馬刻がこちらを見る。射抜くような強い眼差しに、びくり、と肩が跳ねた。
「……なんで、ここ、」
「うるせぇ。つまんねぇことしてンじゃねぇブッ殺すぞ」
 どんな表情をしているのかは逆光でよく見えないけれど、名も知らない男は恐ろしく狼狽えている様子だった。左馬刻の靴底の下で、ごきり、と嫌な音がする。
 左馬刻は、身内以外の人間には容赦しない。それは分かっていたはずなのに、いざ目の当たりにすると、その苛烈さは恐ろしい。この男は危険だと誰が見ても思うだろう。
「……さ、まとき」
「お、お、俺のせいじゃないっ! 俺は違うんだ、しらない、なにも、なんにもしてない! 面倒はごめんだ! ……ヒイッ!?」
「……とっとと失せろ」
 男の胸ぐらを掴み上げた左馬刻が低く吐き捨てると、ぐらつきながら弾かれたように逃げていった。一目散の背中を目で追いながら、男の言葉を反芻する。そうだ。普通は、面倒ごとはごめんなのだ。あの男だって、夜の相手を探していたら丁度都合が良さそうなのが見つかったから声をかけたに過ぎない。でも、左馬刻は────?
 わざわざ自ら面倒ごとに首を突っ込むような真似をした目の前のヤクザの真意が解らない。
 お膳立てされたようなこの状況。酒と媚薬による酩酊で、銃兎の思考は破滅的なほうへ向かっていた。
 どうせ振り向いてくれないなら、徹底的に壊れてしまえばいい。左馬刻に徹底的に嫌われて、蔑まれて、俺の視界になんか映りたくもねぇと消えてくれたら。
 銃兎は、壊すための言葉を、露悪的な笑みを浮かべながら口に乗せていた。
「……あーあ、どうしてくれんだよ。……せっかく…向こうも乗り気だったのに」
「あ……?」
「お前が脅すから逃げちまったじゃねぇか。邪魔しやがって、……ッぐ、ぅ゙!?」
 ぐしゃりと強く前髪を掴まれ、上を向かされる。痛みに顔を顰めれば、ぞっとするほど昏い目が銃兎を見ていた。
「俺様が来たんだから他の奴ら全員キャンセルしやがれ。……逃がさねぇぞ」
 闇に混じって淀んだ紅の中、シアンの焔だけがちろちろと燃え盛っていた。
「っ、」
「銃兎ォ。お前あんなザコが好きなのか」
「わ、悪いかよ……!」
「オトコ見る目ねぇんだな」
 馬鹿にしたような声で銃兎を嗤うから惨めな気分になった。見る目がないだと? お前とチーム組んでる時点であるに決まってるだろ。こんなところ一番見られたくなかったのに。
 髪を掴みあげられる痛みから解放されて俯くが、見つかってしまった時点で左馬刻が立ち去るわけもないと分かりきっている。
「そうやってそこでグズグズうずくまってんのか? 食われ待ちでもしてんのかよ」
「………」
「……あの程度の男とヨロシクやりてぇならそれでも良いけどな。立ちんぼウサギ一発1000円ですって売ってやろうか?」
「……っ、くそ……ぅ、ッ」
「チッ……泣いてんじゃねぇよ。……分かってんぜ、俺様は。そんな顔、ホントだったら誰にも見られたくねぇだろ。立ちんぼウサちゃんするのも嫌なんだろ? 知らねぇ野郎に抱かれんのも、汚ねぇし嫌だし怖いよなぁ?」
「さまとき……ッ」
「だったら俺様を選べばいいだろ、銃兎」
 見たことのないその眼差しにまた囚われ、いつのまにか銃兎は左馬刻に触れていた。気づいたら、踏み出していた。まるで脳と身体の神経が切り離されて独立しているかのようだ。
「初めっからそうしろや。……ほら、来いよ」
 片想いしている相手の腕の中に飛び込むなんて、冷静な自分なら絶対にしないはずなのに。左馬刻の腕が銃兎を抱き寄せ、そのまま唇を重ねた。最初は啄むように軽く触れていたキスが次第に深くなっていく。
「ふ、ぅ……っ、」
「……ン、」
「はっ……、ん、ん……っ、」
 舌を差し込まれ、口腔を嬲られる。熱が煽られるようで苦しいのに、気持ち良くて頭がぼうっとした。左馬刻は遊び慣れているんだろうか。きっとそうだ。左馬刻はいつも、こんな風に女とキスしているんだろう。
「俺の方が上手くやるぜ。あんな腰抜け野郎、ヘタクソに決まってる」
 上顎を撫でられ、歯列をなぞられて、舌を吸われて。キスひとつが、息継ぎの合間に漏れた吐息が、自分でも驚くくらい甘く蕩けて濡れていく。羞じらう気持ちより、堪らなく欲しいと思う気持ちが押し寄せてくる。暗闇の中でも分かる左馬刻の瞳は銃兎だけを映していた。見てしまったら、気づいてしまったら、ダメだった。左馬刻の近くにいればいるほど患った恋は焦げついて、もう、隠せなかった。
 今までずっと隠してきた本心が、左馬刻の言葉で絡め取られ、呆気なく引きずり出された。
 左馬刻が欲しくて堪らない。あんな男とは全然違う。比較対象にすらならない。もっとたくさん触ってほしい。めちゃくちゃにされてしまいたい。
 それをしたら、左馬刻に全部暴かれてしまうだろう。
────ああ、もうそれでもいい。
 左馬刻が望むまま、銃兎は己の欲望を口にしていた。
「……して、くれ」
「俺様に全部寄越せるのか?」
 そうじゃなきゃこの話はナシだ、とすげなく言われる。胸の奥がぎゅうっと締め付けられるように狭くなって痛い。視界が水分を含んで揺れる。やがて頬に伝った。
「……できるっ、だから、ほしい……!」
 左馬刻の指がおもむろに銃兎の唇をなぞる。口に含まされた。
「そういや手が汚れたんだよ。綺麗にできるよな、銃兎」
 チェインスモークする指先に煙草の匂いが染みついていることを知った。その事実は官能をひどく疼かせた。独占欲と言ってもいい。舌で辿って、吸って、少ししょっぱい左馬刻の指を味わった。裏側を見ることのできた優越感と歪んだ愉悦と溢れてくる唾液を、零さぬように啜っては飲み込んでいる。

 

 抗うこともしないまま、銃兎は左馬刻の自宅があるマンションへ連れ込まれていた。
 剥ぐような乱雑さでスーツとシャツを脱がされ、バスルームに押し込まれる。辛うじて眼鏡を外すことだけは出来たが、それ以外は全ておざなりだった。頭上から熱いシャワーが降り注ぎ、その湯の刺激すらぞくぞくと快感にすり替える身体に、左馬刻の手が触れれば更にびくりと身体が跳ねた。
「ッん……は、ゔっ…ぁ…っ…」
「……おいおい、ちっと掴んだだけで……どんだけ淫乱なんだ、お前」
 蔑まれるように言われれば、ずくりと胸が疼く。薬のせいだと言い訳する気はなかった。少しでも、徹底的に左馬刻に嫌われる要素が多いほうが、期待しなくて済む。羞恥が襲ってくるのを堪えながら、少しずつ、溢れ出てくる嬌声を噛み殺す顎の力を緩めていった。
「ぅ、ぁ゙あ……っ、は、あ、あぁ……ッんく、」
「……なぁ、男食ってるんじゃねぇのか? こんな触るだけでとろとろになっちまう弱っちい身体のくせに余裕ぶって、どうするつもりだったんだよ……銃兎」
 左馬刻の指先が乳首を掠めるたび、ぴくんっと身体が震える。銃兎の反応を見て、左馬刻は執拗にそこばかり責め立てる。片方は捏ねくり回すように擦られ、もう片方は親指と中指できゅっと摘ままれる。時折引っ張られ、痛みとも快感ともつかない感覚に喘ぐ。散々弄ばれた銃兎の胸の先端は、勃起してツンと上を向いていた。左馬刻の指先はその尖りを宥めようとするかのように優しく撫で回し、また苛む。
「乳首でそんな気持ちよくなれんのかよ。変態オマワリが」
「ひ、ぅう……ッふ……!」
 嘲るような言葉を浴びせられると、胸の奥の柔らかいところを抉られるような息苦しさで心臓がどくんどくんと早鐘を打つ。息苦しさに喘ぎながら、それでも懸命に呼吸を整えて平静を取り繕おうとしていたけれど、左馬刻の言葉ひとつで、平静なんて簡単に崩れ去ってしまう。
そうしているうちに、いつの間にか銃兎の陰茎は痛々しいほど勃起していた。腿を擦り合わせるようにしても、隠しようがないほどに。
「は、……すげぇな」
左馬刻がそれに触れると、銃兎の腰は大袈裟なくらい大きく跳ね上がった。
「あっ! ……ああっ、ぃや、だめ……さ、さまとき……」
「駄目じゃねぇだろオイ。こんなにしといて何言ってんだ」
 左馬刻は鼻で笑いながら、先走りでぬらぬらと光っている銃兎の亀頭を指の腹でグチャグチャと擦った。
「ぁああッ!! やめ、……ッ!! ァアアッ」
 強すぎる刺激に銃兎は仰け反り、ガクガクと身体を痙攣させる。しかし左馬刻はその手を休めないどころか、竿全体を包み込んで激しく上下させ始めた。まるで絞り出すかのような動きに翻弄され、銃兎は悲鳴のような声を上げる。ぐぢゅぐぢゅと粘着質な音。出しっぱなしになっているシャワーの音。左馬刻の荒い吐息。銃兎の甘えたような鼻にかかった声。それらの音が混ざってバスルーム内に反響する。
「や、やだ……ッあ、も、イく……ぅ……ッ!」
 限界まで高められた快感が弾ける寸前、不意に手が止まった。銃兎は信じられないといった顔で、自分の股間を見下ろした。
 あと少しだったのにどうして止めてしまうんだと、涙に濡れた瞳が訴えかける。
「苦しいかよ。もっとしてほしいか?」
 左馬刻は、銃兎の答えなどわかりきっているだろうに、わざとらしく訊ねてくる。その表情は愉悦に歪んでいるのかと思えば、予想に反していた。目が合った左馬刻は、途方に暮れたような顔をしていた。どうして。淫乱だと軽蔑して、俺を嫌いになるんじゃなかったのか────と、すぐに剣呑な目つきに変わり、尻をピシャリと打擲される。
「何してんだ。さっさと後ろ向いて股開け」
 銃兎はこくりと喉を鳴らし、左馬刻に背を向けるとおずおずと脚を開く。今のは気のせいだったかもしれない。
「疼いてるとこ、あんだろ? ちゃんと拡げろや。俺様に見えるように」
 左馬刻が耳元で囁けば、それだけでも感じてしまい、銃兎の口から小さな声が漏れる。なじられ、虐められてもそれをする左馬刻が相手なら悦んでしまう。早く。はやく。疼くところを慰めてほしい。その一心で銃兎は自分の指を後孔に這わせた。そっと臀部へ手を伸ばし、薄い尻肉を掴むと、左右に割り広げた。そこはもう完全に熟れきり、物足りなさを訴えているようだった。左馬刻の目の前に、赤く色づく秘部を晒している。やがて、ゆっくりと指を埋められる。内壁を掻き分け、奥へと侵入していく。ヌルついているのは、バスルームで使うボディ用のオイルを使っているせいか。そんなの使われたら、もう。
 二本三本と増やされるほど、自然と銃兎の身体が前のめりになっていった。薬のせいで敏感になった粘膜がヒクついている。そこは左馬刻の前戯で柔らかくほどけ、挿入をスムーズにしている。タイルにつく腕が力をなくし、くたりと上体を倒した銃兎の体勢は、腰だけ左馬刻に支えられ引き上げられているという、なんとも淫猥極まりないものだった。
「はっ……あ、ぁ……」
 銃兎の中は熱くうねって、左馬刻の指を締め付け、離そうとしない。中指の腹で前立腺を刺激され、銃兎は切なく眉を寄せた。
「ひっ……ん、く……ぅ……」
「勝手にイくんじゃねぇぞ。俺様の挿れる前にイッたら許さねぇ」
「……ッ! わか、った」
「中ぬるぬるして、女のマンコみてぇになってるぜ? ケツの穴弄られンのが好きかよ」
 冷え冷えとした苦笑と嘲りが、聞こえる。身体をすりぬけて心を凍らせていく言葉は、それでも身体を巣食っている熱に抗えず、ただひたすら冷えていく痛みを受け止めることしかできない。抽挿される。シャワーの水音に混じり、くちゅ、ぬちゅと粘着質な音が聞こえてきた。
「ち、違……っあ、ぅあ……ッ!」
 否定の言葉を口にしながらも、銃兎が感じていることは明らかだった。左手で乳首を摘まみ、右手の人差し指と中指で尻穴を犯しながら、時折思い出したように陰茎をしごく。その度に銃兎の口からは甘い声が溢れ、左馬刻の手の動きに合わせて腰が揺れていた。
「じゅーと。自分でチンコ弄れ……俺が見ててやるから」
「……っ!」
 銃兎は震えながら上体を起こし、言われた通りに自らの性器を握る。そこは先走りでぐしょ濡れになっていた。
 羞恥と屈辱で、頭がおかしくなりそうだ。
 しかし銃兎の指先は止まらない。
「ぁ、あ……っ、はぁ、っく、んんん」
 左馬刻に見つめられていると思うだけで、身体が火照っていく。
左馬刻が見ている。自分の雄の場所を。熱を持って勃起する、恥ずかしくて浅ましい姿を。
片想いしている左馬刻に、自慰を見られているという倒錯的な状況が、銃兎の思考回路を麻痺させていた。銃兎は夢中で陰茎から溢れるカウパー汁を絡めて、手のひらで扱いた。指で、先っぽをいじめる。腰を揺らし、快感を追い求めながら。
「やらしいなぁ、銃兎。女みたいに濡らしながらチンコ擦って」
 左馬刻の声は笑っていた。揶揄するようにそう言うと、銃兎の耳に舌を差し入れ、ぴちゃぴちゃ音を立てて舐める。
「ひい……ッ、あっ、さま、ぁ……ぁあ! だめだ……ッ!」
「だめ? 何がだよ?」
「耳……ッやだ……ッ!」
「嘘つけ。ここが好きだろ」
 複雑な形をした耳殻をなぞるように舌が這い回る。
同時に後孔に差し入れた左馬刻の指は前立腺を押し潰したり、抜き挿しを繰り返したりと忙しなかった。前も後ろも同時に刺激され、銃兎は狂ったように喘いだ。
「ふ、あァああ!! ア、ァッ、〜〜っ、も、いく……ッ!」
「あぁ? まだだっつってんだろ我慢しろ。……おい手が止まってんぞ、俺様が良いって言うまでチンコ扱いてろや」
「むり……ぃ、さまとき……っ!」
「しょうがねぇな」
 左馬刻は銃兎の手首を掴み、強引に動かす。
「あ、あぁッ!? ひっ、いィ゙……!!」
「ちゃんと握れ。こうやって動かせ」
 教えられるれるがままに左手を上下させる。左馬刻が「イイコだな。ほらもっと」と耳元で囁いて、乳首を捏ねる。そして三本の指で後孔を掻き回しては穿つ。銃兎のナカの弱いところは懸命に腰を引こうとしたって見逃してもらえない。ああ、そんなにしたらいく。いっちゃだめ、なのに、ヒクヒクが止まらない。
「ぅ、く……ッ! う、あ、」
「銃兎、まんこひくひく止めねーと。イっちまうぞ」
「ひっ、あぅ……ッ!」
 無理だ。こんな状態で耐えられるわけがない。銃兎は泣きじゃくりながら懇願した。
「頼む、もう……っ、ひくひくするの、ひくひく、しないから……っ!」
「おーおー、何言ってンのか分かんねぇよ。必死になって可愛いなぁ、……じゅーと」
 左馬刻はうっとりと低くなった声で囁いた。それから銃兎の、ひくひく、しているところに頼もしい指を三本、付け根まで挿れてしまうと、ぐちょぐちょ掻き混ぜた。銃兎は先程の堪えていた時とは違う、伸びやかな甘い声を迸らせる。左馬刻が見つめていることより、ぐちょぐちょされているところが熱かった。
ピンクの粘膜色を晒す肉茎の先端からは絶えず白濁した樹液が溢れ、ついに羞じらいが決壊して、もう何も考えられない。ただひたすらに気持ち良かった。口の端からは唾液が流れ落ち、喉を伝っている。痴態を見ている左馬刻が、どんな表情をしているのか、もう分からない。
 銃兎の心は冷たく凍らされたまま、身体を支配する欲に灼かれていく。心を取り戻す間もなく灼かれて、蒸発してしまった。心を失くしてしまえば、残るのは淫蕩な身体のみだ。心は要らない。左馬刻に徹底的に嫌われるにはお誂え向きで、好都合だ。銃兎は理性を手放した。
 
 
 
「あぁっ…ん、あ、ふあ……、うぅ…っ、さまとき、あ、あ、っ」
 引き抜こうとすれば必死に引き留めるように絡みつく視線と、熱く濡れそぼった内壁。
 呆れるほど敏感で淫乱な身体を解して拓くほど、先ほど路地裏でまったく見知らぬ男と関係を持とうとしていた銃兎の姿が左馬刻の脳裏にフラッシュバックのように浮かび、苛立つ。それは身体が震えるほどだった。
 酷薄な現実を突きつけられたゆえの、底冷えするような寒さのせいか。いや違う。
 初見の男に身を委ねるのならどうして俺のところに来ない、という身勝手な嫉妬による怒りのせいだ。
 腹が立つ。ムカつく。殺してやりたいくらいに。テキトーに引っ掛けた知らない男に、こんな声を聞かせるつもりか。蕩けていく様を余すことなく見せていたかもしれないと思うと、ぐつぐつと腹の底が煮える。畜生。こんな状況が作用して、海綿体まで滾る。
 あまりに淫奔な反応を示す銃兎の身体を、左馬刻は責めるように罵った。心が冷えていくのを感じるたびに、冷たい言葉で傷つけてやろうと吐き出した。最初は微かに反応していたが、今では左馬刻の言葉は銃兎に届きもしないようだった。
 それなのに。
「あ、あ、さまとき、ん、ひん、うぅ…っは、きもちい……さまとき、ああぁ……ッ!」
 時が経ち、銃兎が淫楽に堕ちるほど呼ばれる頻度を増してきた己の名前に、切なげな甘さを感じる。
 震えながらも背中にしがみついてくれるその手に、切実な懇願を感じる。
 これは自分だけに向けられるものではない。だってそうだろ、銃兎は誰でも良かったんだ。俺が優しくしたって意味なんかねーだろ。優しくなんてすんじゃねぇよ馬鹿野郎。銃兎は俺のことなんか、なんとも。
 そうして訴えてくる自分の理性的な声を頭の後ろで遠くに聞きながら、左馬刻はもう、銃兎を強く抱きしめていた。頬を撫でてやれば、水分を含んで潤んだ瞳が幸せそうに細められる。堪らなくなった。どうして、仲間を無理矢理ブチ犯しているような男をそんな目で見るんだ。
 さすがに肌がふやけてしまうから浴室での行為を中断してベッドに移動してやろうと思って、未だに天を仰ぐ肉竿を引き抜けば、銃兎は泣きそうに表情を歪めて「いやだっ」「もっとしてくれ」「やめるな」と縋りついてきた。終わりだと勘違いしているんだろう。軽くバスタオルで包んだだけの肢体をシーツに転がし、「さまとき、さまとき」と存在を乞われるままに正常位で身体を繋いだ。
「は、あァぁ……ッ!! あ、あぁあ、や、ひ、くうぅ……ッ!」
 侵入しただけでびゅくびゅくと何度目かの白濁を吐き出した銃兎は、左馬刻を貰えて嬉しかったのか、涙でいっぱいの瞳をこちらに向け嬉しそうに笑った。とても綺麗な笑みに、先ほど胸の奥で芽吹いてしまった期待が育っていく。暗い路地裏で潰したはずの期待が。
 それにまだ抗う心の存在は無視できず、また罵りの言葉を吐いていた。
「……突っ込まれてイきやがって、どんだけ男が好きなんだよ、テメェのケツはよォ……っ!」
「ひ、あぅ、あっあっ、だめ、ァ! おれ……、また、や、ああぁ…ッッ!」
 怒りに身を任せて強いストロークで何度も奥を突き上げれば、ざわざわと射精の余韻で蠢いていた内壁は途端にキュウゥッと引き絞るような働きをしはじめる。絶頂の近い証拠だとこちらが判別できるようになるくらい、銃兎は既に幾度も精を放っていた。短い間隔の中、再び濃度の低下した薄い白濁を放った銃兎は、しばらくしてから左馬刻がどくり、どくりと中に精液を放ったのを感じてそれにすら腰を震わせ、ぎゅうっと首に回した腕にできるかぎりの力を込めてきた。
「…あ…っ……さま、もっと、」
 恍惚とした音色で紡がれる台詞に、惑わされそうになる自分をどうしたらいいのだろう。
 やはり、この膨れ上がりはじめた期待を確かめなければならないのだろうか。
 それが更なる落胆と怒りに変わってしまうかもしれないとしても、こんなに掻き乱され翻弄されるだけの状況をぶち壊すしかない、と思った。
「……銃兎……なあ、別に俺様じゃなくてもいいんじゃねぇか? まだ足りねぇなら他の奴に抱いてもらえよ」
「え……っ?」
 潤んだマゼンタの瞳が、戸惑いに揺れる。先ほどまで左馬刻がどれだけ罵っても、発情しきった声で喘ぐばかりで反応しなかったのに。
「や…やだっ……いやだ…! さまときっ、さまときが、いい!」
 必死で俺の背中を掻き抱いてくる銃兎に、期待がまた、育っていく。
「……なんで俺様がいいんだ?」
「……ッ、ッ…」
 核心をついた問いを投げかけられた銃兎は、泣きそうに瞳を揺らしたものの、ただ、すがりつく腕にぎゅうっと力を込めるだけ。もう一押し、この兎には意地悪が必要だろうか。
「……理由も言えねぇってことはやっぱり誰でもいいんだな。やめるわ」
「そんな、やだッ……行くな! さまとき、やめるなよ……っ!」
 ぎゅっと縋るように長い足が腰をホールドしてくる。
「……お前は俺様がいいのか?」
「左馬刻っ……俺は、左馬刻がいい……!」
「だったらどうして、俺様以外の野郎に抱かれようとしたんだよ!」
 突き放すような口調で言って、ずるりと中にはめていた雄芯を抜きかける。
「だ、だって…っ……かなわないと、思った、から………っ…」
「かなわねぇ……?」
「……いいんだ。お前は、俺なんか好きにならないって、知ってるんだ、俺」
 とうとう紡ぎ出された愛しい言葉は失速してひどく頼りなかったが、今この瞬間、左馬刻だけに届けば、それで何の問題もないのであった。期待が確かに実を結んでいることを知り、安堵の息が漏れた。
「……はっ……マジでふざけんなよ。勘弁しろやテメェ……クソ…」
 本心を引きずり出されたことに気づき、更に左馬刻の否定的にも取れるリアクションを受けびくりと大きく身体を強張らせた銃兎に、安堵したのは自分だけだったと思い出して優しく頬を撫でる。こちらからも愛しい思いを告げてやる番だろう。
「俺様が見つけてなかったらって思うと……お前まで殺しちまうところだったかもしんねぇ。俺様が居なかったらテメェは今頃、知らねぇ男に……あ゙ぁ゙クソ胸糞悪ィ。もっと早く俺のモンにしときゃよかったぜ。おいウサ公、俺がどれだけ好きな奴を傷つける言葉吐かされたか、わかってんのかよ」
「……え、」
 少し恨みがましい八つ当たりもついでに言ってしまったが、これくらい言わないと銃兎の暴挙は再発しかねない。釘を刺すとともに、冷たく凍りついた心が、愛しいと思う熱で溶かされていくようだった。
 まったく危なっかしすぎる。どこまでいっても左馬刻に弱くて、左馬刻に優しくて、左馬刻を許してくれる目の前の兎は、逃げるのが上手い。しっかりと目を逸らさず見つめていないと、哀しさも弱さも綻びも簡単に見せてくれないのだ。手くらい握っても良いだろう。指を絡めて握って、
「テメェが好きだ」
 手離せない存在を手に入れた喜びを言葉に託した。先ほど抜きかけた楔をずちゅ、と奥まではめ込む。高ぶっている雄の象徴を思い知らせるように腰を揺する。心に引っかかっていた懸念は、あっけなくいやらしい形で蕩かされ霧散してしまった。銃兎は涙目で逃げようとしたが、もう逃がしはしない。心も身体も。
「ひっ……ああッ、ばか、ばか、セックスしろなんて言ってない、ん、ぁ、ああ……っ」
「ほら……聞かせろよ。大体、叶わねぇってのはなんだ? 俺様が銃兎のこと好きにならねーって? ンなの、誰が決めたんだ、よッ」
「んぅぅっ! ……ぅっ、ぁあッ……俺も、すきだ! ……ずっとすきだ、左馬刻…ッ」
「銃兎。……テメェの望みは俺様が全部叶えてやる。始めからそう言っただろ」
「……ああ」
 今まで必死に堰きとめていたものを抑える必要はもうないのだと知り、銃兎はまた一つ叶えてほしいことができてしまった。想いが通い合った今それをしたら、どんなに嬉しいだろうかと。左馬刻ならきっと叶えてくれる。
「なぁ、キスしてほしい。できるか……? 左馬刻と……好きなやつと、したい」
「わざわざンなことお願いしやがって……俺様がカッコ悪ィみてぇになんだろうが」
 苦笑して、左馬刻は銃兎の唇を塞いだ。その柔らかさと心地よさに酔いしれる。満たされた心も明け渡すように口づけた。熱を煽りたてて混ぜるような、湿度の高い口づけではない。ただ唇を唇に押しつけて感じる体温に冷えた夜が温まっていく。震えることは、きっともうない。銃兎の望みどおり唇を重ね、角度を変えて何度も啄んだ。
「ん、……んっ、さま、とき……、」
「ンだよ……」
 「銃兎テメェもう喋んな」と文句の一つも言いたくなるが、代わりに深く口づけてやる。あー、やっぱ気持ちイイ。自分の顔まで熱い、のはとりあえず気づかないフリをする。舌を絡ませて吸い上げると、お返しのつもりか、ちゅうっと甘えるように左馬刻の舌も吸われた。粘膜同士を優しく擦り合わせて、唾液を交換しあう。心地良さに溶かされていくような幸せに身を委ねる。
「……カッコ悪くなんかねぇ。いつもカッコいいよ、お前」
 口許を綻ばせた銃兎が、吐息のような笑いを零したあと、眩しそうに言った。