チーズハムトーストの盛り付けに使った白い皿を、ダイニングボードに戻している時だった。
「なあ左馬刻、」
「あン? なんだよ」
「……いや、その」
名前を呼ばれたのでリビングに戻ってみると、銃兎は浮かない表情でテーブルに頬杖をついていた。灰皿に押しつけられている煙草はまだ長い。リラックスタイムすら手につかないことがあるんだろうか。
ところで、両手で頬杖をつく成人男性を左馬刻は乱数以外で初めて見た。その仕草はあざと可愛さの演出というよりは素なんだろう。自分より四つ年上の男がする仕草にしては頑是無いが銃兎はまったく意識していないようだったし、左馬刻も、可愛いウサちゃんだな、と思いこそすれ────へにゃん、と腕の中に突っ伏してしまった。困る。これでは顔が隠れて見えない。
「銃兎?」
「……聞きたいことがある」
「だからなんだよ。ちゃんとこっち見ろ」
銃兎が顔を上げる。テーブルにおでこをぶつけたとかそういう理由ではなく、頬が赤らんでいる。うっすらとだが赤面しているようだ。言いにくそうにしていた銃兎は、やがて意を決したように「あの」と口火を切る。
「左馬刻は……どうでしたか、昨日の夜……とか。今も……」
カップに注がれたコーヒーは手つかずのままだ。銃兎は敬語になるくらい緊張した面持ちでそんな質問をする。
昨日の夜は初めて銃兎とセックスをして、今日はその翌朝だった。銃兎と一緒に朝食。ヨコハマの街はタワマンの景色から見る限りでは、未だに半分眠っているような空気に包まれている。クローズアップにするとその限りではないだろうが。
「左馬刻が、俺で満足できたのか……気になってるんだ」
「俺様が……?」
「実際やってみたら……その、やっぱり合わなかったとか、あるんじゃねぇかって。……俺は男だ。女じゃないし、左馬刻が」
「俺様が銃兎を抱くのを気に入ったかって?」
「……ああ」
「んなこと聞かれるなんざ思わなかったわ。……たしかに野郎の身体は女とは違うよなァ。胸もねぇし、女みてぇに柔らかくもねぇし。銃兎なんか身体も薄い方だろ。そんで当然チンコ付いてるし、イッたらザーメン飛ばして俺様のベッドシーツ汚しちまったもんな。もう洗濯したけどよ」
「………っ」
「女と違って濡れねぇし、慣らすのには時間かかるし……挿れた時だって苦しそうにしてただろ」
「さ、最初だけだ! ……初めてが苦しいことくらい分かってたから、お前は気にしなくて良い」
「そんで? 銃兎はどうだったよ」
「どうって、なんだよ」
「また抱かれてやってもいいと思えるセックスだったか? 気になるから教えろや。100点満点中で何点だ? 満点合格は無理でも及第点くらいは取れたか? 今までしてきたセックスと比べて、銃兎のお眼鏡に適ったかよ?」
「んなっ……そんなこと言うなよ、バカじゃねぇのか! ご、合格とか、そんなのねぇに決まってんだろ……! 左馬刻と、好きなやつとセックスできたんだから…………あ、」
「ったく鈍感ウサギ。ンな泣きそうになってから気づいてんじゃねぇよ」
ちゅっ。左馬刻は可愛いらしい音を立てて唇を重ねた。拍子に瞳から零れ落ちてしまったしょっぱい一滴も舐めてやる。柔らかくて心地よかった。銃兎の頬も、唇も。それからもう一度キスをした。今度は舌を差し入れるキスだ。応えるように銃兎も左馬刻の舌を吸い上げてくる。吐息まで絡ませ合って、唾液を交換し合うみたいに深く口づけた。何度も何度も。半分眠ったようなヨコハマの街で、ここだけが鮮明だ。唇が離れると、銃兎はとろんとした瞳で左馬刻を見つめてくる。
「ウサちゃん、腹とか壊してねぇか……? 調子悪かったらすぐ俺に言えよ」
可愛いくて、声が甘やかしモードに入っているのが左馬刻自身にも解った。
「おなか……」
銃兎がそっと左手で下腹部を押さえるので、これはきっと何かあるなと、目顔で先を促してやる。
「……左馬刻がきてたところな、痛てぇとかじゃねぇんだけど……なんだろうな、少し変だ……いつもと違う」
まだ腹の中に異物感があるらしい。銃兎は言語化できない感覚に恥ずかしそうな顔をして俯いた。その様子を見ながら、左馬刻は改めて昨夜のことを思い返す。昨夜は、本当に特別な夜だった。生まれて初めて愛した相手に全て捧げて、想いを遂げた一夜だったのだ。自然と表情がゆるんでしまう。それはきっと銃兎も同じだろう。この瞬間世界で一番幸せなのは俺様だな、とか言えるようなガラでもないけれど、
「……テメェの男になれたんだと思って、昨日の夜からずーっと、今だって浮かれてンだよ。テメェは違うのか」
左馬刻に問われた銃兎は今度こそ本格的に赤面して、俺も同じだ、と言った。
カップは未だ手つかずのままになっている。せっかく淹れたんだし、ひとまずコーヒーを飲んでもらおうか。