ツンデレーション - 1/2

(なんで今日に限って左馬刻のやつ、俺の家に来ちまうんだよ!!)
 左馬刻の気配を感じながらニンジンの皮を剥く銃兎は、心の中で悪態を吐いた。
理鶯に手伝ってもらいながら、最近は休日に料理の練習をするようになっていた。
 左馬刻が訪れた時に銃兎が温かな手料理でもてなしてやれば左馬刻もきっと喜ぶだろう、とは理鶯曰く。今日は理鶯の手を借りずに自分一人で料理の練習をするつもりだった。うまく作れるようになったら左馬刻に振る舞ってやるつもりだったが、それは”うまく作れるようになったら”だ。決して一人料理初日の今日ではない。
(クソッ。失敗してるところなんか見られたくないのになんで左馬刻が居るんだ……!)
 銃兎は本日何度目かになる葛藤をした。状況が状況のため、左馬刻が同じ空間にいると思うと緊張して落ち着かない。いつもと違うことをしているせいだ。
 ダメ元で「今日は帰ってくれないか、何も構ってやれねぇぞ」と言ってみたのだが、銃兎からの指図なんて俺様な左馬刻様が聞き入れてくれるはずもなかった。ところでジャガイモってどう持つのが正解なんだ? 形が一個一個違うし。
「ッ、いって……!」
 支えていた指がツルリと滑る。考えに耽っていたせいで包丁で怪我してしまうなんて、どマヌケか俺は。とんだ醜態だ。しかもリビングに左馬刻がいるのに。ひりつく痛みと出血。思いのほか深くやったらしい。くそ、駄目だ。ぜんぜん駄目だ。まったく集中出来ない。俺の動揺が左馬刻にも伝わってるんじゃねぇか。いきなり怪我なんかして、格好悪すぎる。
 一時しのぎではあるが、指に絆創膏を巻かなくては。こそこそ取りに行って指に巻きながら、恐る恐る左馬刻のいるリビングを覗いてみた。
 銃兎の予想に反し、果たして左馬刻はソファに横になってすぅすぅ寝息を立てていた。寝ているなんて珍しい。シノギの回収確認に火貂組本邸で執り行われる会合に舎弟の取りまとめや尻拭い、他所の組や半グレ共との諍い。若頭というのは暇じゃない。疲れていたんだろうか。閉じられている薄い瞼。長い睫毛がすんなりと伸びていてとても綺麗だ。警戒を放棄した穏やかな寝顔に思わず表情筋が綻ぶ。
「左馬刻、待ってろよ。美味しい晩飯……は、無理かもしれねぇけど。今日は、なるべく俺なりに頑張るからな……」
 元来、世話を焼くのは嫌いじゃない方だ。好きな相手なら尚更で、我儘を通されても甘くなる。ついつい構いたくなって、怪我してない左手で寝ている左馬刻の頭を撫でた。頭の上で双葉がぴょいんと揺れたりするのを可愛いらしいと思っているのは秘密である。普段だったら絶対に触らせてくれないだろう。……それにしても触っても起きないなんてよっぽど疲れてるんだろう。こうなったら左馬刻の為にも気合い入れて料理してやるしかねぇ。銃兎は開き直って張りきることにしたのだが────

「んん……? なんかコレ味が薄いな……いつものカレーより水っぽいような……?」
 カレーの味見をしながら首を捻る。おかしい。ちゃんと理鶯に教えてもらったレシピ通りに作ったはずなのに。ルーが足りないんだろうか。それなら確か戸棚にストックがあったはずだと、左馬刻がカレーを作ってくれた時のことを思い出して戸棚を探る。すると違うメーカーのルーは確かにあった。でも違う種類のルーを混ぜて良いものか、初心者の銃兎には判断がつかない。寝ている左馬刻を起こして聞くのも憚られた。他に何かないだろうか。戸棚の奥を覗こうと身を乗り出したとき、急に眩暈が襲ってきた。まずい、ここのところ不摂生だったから。
「っ、ぅ……っ!」
 平衡感覚が失せる。思わず咄嗟に手を伸ばした先にあったのは鍋だった。ぐつぐつ沸騰するカレーの入った鍋。
 銃兎の手が当たる。熱々のカレー鍋が揺れ、銃兎の後を追うように傾いてきた。
「っ、ぐ……!」
 焦るものの、頽れかけた状態では受け身を取るのが精一杯で熱々の鍋まで処理しきれない。銃兎は反射的に強く目を閉じた。すぐに襲ってくるだろう、熱くて酷く痛むであろう責め苦に備えたのだが。
 いつまで経っても、煮えた鍋の中身が銃兎に降りかかってくることはなかった。それどころか、自分の身体が倒れて床に叩きつけられる衝撃もない。
「────っぶねぇだろが!」
 恐る恐る瞼を開けた。助けてくれたのは、ソファで寝入っていたはずの左馬刻だった。左馬刻は銃兎を抱きしめ、吐息が顔に掛かるほど近くで、少しだけ焦ったように銃兎を見下ろしていた。左馬刻の腕の中に抱きとめられて、銃兎はようやく理解した。ああ、俺は今、左馬刻に助けられたんだ。
 そのときの銃兎の感想は率直に『左馬刻カッコいいな』だった。だって今の左馬刻は最高にカッコよかった。ヤクザだけどヒーローみたいだった。アウトローのカリスマ、半端じゃない。自分の窮地をこうもサクッと何でもないように救ってくれるなんて、かっこいい。好き。抱いてほしい。いや、抱かれてはいるんだが────とにかく、左馬刻がカッコよすぎてすっかり見惚れてしまった銃兎である。ときめいていると最高にカッコいいヒーローは言った。
「なにやってんだドジ。間抜けウサギ」
 面倒臭そうな口調で吐き捨てられ、銃兎は我に返った。そうだ。呆けている場合ではない。
「あっ、さま……左馬刻、な、鍋は?」
「んなもんすぐコンロに戻したわ」
「怪我は!? や、ヤケドとか大丈夫か!?」
「キーキーうるせぇな、取っ手持ったから平気だわ」
 距離感無視でデカい声を出してくる銃兎を如何にも面倒そうにあしらうと、左馬刻は乱暴に立ち上がった。そのせいで左馬刻の胸にいた銃兎は床に転げ落ちる。
「ったく勘弁しろや。俺様があと少し起きるの遅かったら大惨事だったじゃねぇか……ただでさえ寝起きはイライラするってのに余計イラつかせやがって全部クソウサポリ公のせいだわ」
 平生より不機嫌な左馬刻は文句を並べたて、銃兎の作った料理を勝手に味見した。カレーのルーを一口舐めてから遠慮なく顔を顰める。マズイことを言外に伝えながら、テキパキと鍋に香辛料を突っ込んだ。使いかけのルーも溶かされていく。一連の動きは淀みなく、銃兎のような逡巡が一切ない。途中から台所に立ったのにも関わらず、何をどのくらい入れれば良いのか、丁度いい塩梅を全部知っているようだった。
「体調悪いんなら一人で飯なんざ作ってんじゃねぇよへなちょこウサギ。俺様が、……チッ、なんでもねぇ」
「すまない、迷惑かけて……でもありがとう。左馬刻がいなかったらヤケドじゃ済まなかった」
「二度と危ねぇことすんな。俺様が味調整してやったからこれ以上カレーの中身弄ンじゃねぇぞ……それとお前、そこに書いたレシピ見ながら作ったのか?」
 銃兎のカレー作りを”危ないこと”にカテゴライズした左馬刻は、顎を軽くしゃくってキッチンの隅を差す。そこには銃兎が理鶯に教わった料理のメモがあった。頷くと、左馬刻は呆れたように溜息をつく。
「はぁぁ……テメェが理鶯と同じようにやって上手くできるわけねぇだろ、アイロンもまともにかけらんねぇくせに。理鶯の料理は美味いけどな、不器用なウサ公には無理に決まってんだろ。ンなことも分かんねぇのかよ巡査部長サマは」
「う、うるせぇな……! 料理とか……作ったら、左馬刻が喜ぶって……理鶯が言ったから、俺は」
「……俺を喜ばせてぇんだったら頼る相手がそもそも違ェんだよ。理鶯理鶯って、なんで理鶯にばっか……あーあームカつく。カレーすらマトモに作れねぇうえに事故起こしかけて……あ? その指どうした」
「……あの、少し、手が滑って」
「………ったくよぉ」

 銃兎は、しょんぼりと肩を落とした。返す言葉もない。左馬刻もそれからは押し黙って、銃兎の代わりにカレーと野菜サラダを完成させた。美味しい夕飯が完成したけれど気持ちは晴れなかった。
 
 
▲▽▲▽
 
 
 次の日、銃兎は職務の休憩中にメモのページを開いた。昨日の復習でもしようと考えたのだ。昨日は失敗したが、次こそは上手くやってみせる────そしてメモ帳を開いた銃兎は目を見張った。
 そこには赤ペンで昨晩の銃兎のカレーがいかにマズかったか書いてあった。味が薄すぎる、野菜が硬い、切り方が下手くそ。こまごまとしたダメ出し(文句とも言える)が延々続く腹立たしい文章だったが、よく読むと料理を失敗した原因や、銃兎が気づきもしなかった注意点や改善点が見えてきた。そういえば昨夜は左馬刻がずっと傍にいて、なんだかんだと悪態つきつつも銃兎を手伝ってくれた。後片付けも傷に沁みて悪化したら面倒だと言って、左馬刻がしてくれた。
ページの最後には『ケガ治るまで料理すんな。メシ作りてぇんだったら俺が作ってやる。火も包丁も俺がする。理鶯じゃなくて俺を呼べ。俺様以外のやつ家に呼んだら殺す』とぶっきらぼうな字で記してあった。……ツンデレかよ。
銃兎はスマホを取り出して左馬刻に電話をかける。しかし電話は繋がらなかった。左馬刻だって仕事中なのだから当然である。メッセンジャーアプリで『昨日はありがとう。メシはケータリングにするから大丈夫』と送信してから、銃兎は何度も何度も赤ペンの字を読み返してしまった。そうしているうちに既読がついて、間髪入れずに着信がくる。
『よぉウサポリ公、俺様に何か言うことは?』
「色々と心配かけちまったみたいですまない。今度から気をつけるし、昨日は助かったよ。……だから、その、ありがとう、左馬刻」
『…………』
「左馬刻……? 怒ってんのか……?」
『あぁ? ンなんじゃねぇよ、……アレだ、ケータリングじゃ栄養偏ンだろうが……どうしてもってんなら俺様がメシ作ってやらなくもねぇぜ』
「え? いや、いいよ。子供じゃねぇんだ、お前にこれ以上面倒は」
『アァ!? 作ってやるって言ってンだろうがテメェ俺様をナメてんのか!?』
「別にそんなつもりじゃねぇよ! でもお前だって忙しいだろ。俺のために時間使わせるのも悪いし」
『っせーな!! 俺様が作るって言ってんだから大人しくしてりゃいいンだよ!!』
「えぇ……?」
 左馬刻に怒鳴られて困惑する。思わず眉を八の字にした。確かに栄養という面では左馬刻の言う通りかもしれないが、これ以上左馬刻に甘えてしまって良いんだろうか。左馬刻はどうしてそこまでしてくれるんだろう。左馬刻は優しい男だが、こんな風に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるようなタイプではない。一体なぜ? ────銃兎はハッとした。まさか、左馬刻は自分が好きなのではないか。いや、まさか。セックスしているだけで好かれているなんて自意識過剰にも程がある。左馬刻は溜まったから銃兎を抱いているだけだ。
自分勝手で乱暴で横暴なところはあるが、根っこの部分では優しくて情の深い人間だということを銃兎はよく知っている。その優しさを勘違いしてはならない。
『分かったな? 余計なこと考えんなよウサ公。俺様に変な遠慮とかしてみろ、ブッ殺すぞ』
「わ、わかった」
『おう』
 左馬刻は満足げに返事をして通話を終えた。銃兎は「ふぅ」と息をつく。左馬刻の気まぐれとはいえ、やはり嬉しいものは嬉しかった。左馬刻の筆跡で赤ペンの文字が並ぶメモを読み返す。きゅんきゅん高鳴りまくる鼓動を抑えながら、そっとページを閉じた。……なんだアレ可愛いすぎるだろ。ホントにヤクザの若頭か?
 こんなの誰だって惚れちまうに決まってる。左馬刻が好きだ、左馬刻、左馬刻、ああ早く左馬刻に会いたい────と沸き上がる好きの気持ちを声に出してしまいたくなったが、職場であるからして、寸前で堪える。どんな厄介事が飛び込んでこようとも、さっきの一部始終を思い出すだけで残りの業務も充分に頑張れそうだった。左馬刻が夕飯を作ってくれるなんて。左馬刻が自分のために食事を準備してくれているのだと思うと、まだ何も食べぬうちから、心と身体が温いもので満たされ一杯になるようだった。今日は定時で帰ろう、絶対に。