踪跡を濁す驟雨

 参列者が沢山いた。見知った顔も、もちろん沢山あった。みんなが穏やかな、そのくせ酷く悲しい顔をしていた。ぼうっと歩いていた俺は、何人もの参列者につかまった。「このたびはほんとうに」。「本当にね、」。それから、街の住民や見知った顔が訥々と語り始める。

「わたし、左馬刻さんに贔屓にしてもらってた中華屋の……ええ、三人ともよく来てくれたわよね。嬉しかったわ。歳は二十も私の方が上だから、なんだか息子みたいに思える時もあってねぇ……本当に、左馬刻さんにはよくしてもらったのよ」

「店に来てたお客さんからセクハラされたことがあって。でもアタシなんかこんな見た目だし、ブスがそんなこと言ったって、信じてくれない人と笑う人しかいなかった。左馬刻様だけ違ったの。アタシと一緒になって怒って、客に怒鳴ってくれたのは左馬刻様だけ。今でも、あんな優しくてカッコいい男の人、二度といないって思うもん。あのとき、アタシ思わず泣いちゃったんだよね、うれしくて」

「久しぶりですね入間さん。俺のこと覚えてます? はい、っス。覚えててくだすって……へへ、嬉しいですよ。俺も兄貴には昔から世話になって……ほ、ほんとに……すんません。俺でこんなにつらいんだからなぁ、入間さんは……兄貴、最高の男だったっスよね。俺すごい馬鹿で、勉強なんも出来なくて、喧嘩っ早くて、学校の先生にも嫌われてみんなに馬鹿にされてて、でも兄貴だけ違ったんだ。俺が初めてハジキ持ったときなんか、実は怖くて固まっちまって……でも、兄貴は嫌な顔ひとつしなかったんだ。いい思い出っス、今では。本当に仲間うちの集まりで、今までのテメーの人生に恩師が居たかみたいな話になると、俺、ほんとに本気で、碧棺左馬刻さんって答えてますもん。はは、兄貴は教師じゃなくて、ヤクザ者ですけどね……」

 様々な人が、泣きながら、でも本当に癒されたような表情で、左馬刻を語る。
 なんだよ。スーパーマンかよ。めちゃくちゃ良い男じゃねぇか。偉人伝みたいに語られやがって。すごいなほんと、みんな泣いてたよ。俺も聞いててうっかり泣きそうだったよ。そもそもこの場所にめちゃくちゃ人いっぱい来てるし。好かれすぎだろ、ヤクザの若頭。悪徳警官やってる俺が死んでもこの半分も来ないんじゃないか?
昔っから人気あったもんな。昔っから格好よかったもんな、左馬刻。自分勝手な王様なのに。
 俺の恥ずかしい記憶の中にはいつも左馬刻が居る。性格悪そうに笑っていやがる。笑われた俺は情けなくて恥ずかしくて仕方なかった。料理、洗濯、掃除だとか細々した日常。突発的にその日常の記憶を思い出しては、さっさと消えてくれと願った。ふざけろよ。こんな記憶が山程あったって、どうしろってんだ。
 消したいよ。俺だって。忘れたい。なあ、さっさと忘させてくれ。いらねぇよ、こんな格好悪くて恥ずかしい記憶。人生の汚点だ。さっさと脳みそのメモリから消去してしまいたい。
 あんなに美味かったコーヒーも、もう飲めねぇんだ。バリスタ目指せるだろってくらい美味いコーヒーだった。俺の知ってる中で一番うまいコーヒーだった。左馬刻のせいで、俺はこんな記憶を全部、死ぬまで覚えてなきゃならない。生きて味だけ覚えてても俺の腕じゃ再現なんか絶対できねぇのに。自慢じゃねぇけどコーヒーメーカーの使い方すら怪しいんだぞ俺は。お前が急に、いなくなったりなんかするから。でも俺が忘れたら、左馬刻が良い奴になっちまうから。ヤクザで俺様だったくせに、見送りの式じゃ綺麗な話ばっかりされて、そんなのは碧棺左馬刻じゃない。俺の知ってる碧棺左馬刻が本当に消えてしまう。
 だから、俺だけでもお前のことを全部覚えておくことにするよ。お前の顔も声も、仕草も、言葉も全部、一生覚えてるよ。死ぬまで覚えておく。何回でも俺が思い出してやる。まったく全部お前のせいだ。お前のせいで俺はこれからもずっと脳のメモリの一部を不名誉な記憶に占領されたままだよ。ざまぁねぇな、お前が死んだりしなきゃ俺は。つーか、ほんとに死んだのか?遺体だってまだ出てきてねぇし、信じてねぇからな俺は。絶対信じてやんねぇからな。信じてたまるかクソボケ。俺が今どんな気持ちでお前のこと待ってると思ってんだ。
 なあ、左馬刻。俺のこと、置いていくんじゃねぇよ。お前の作る飯が食いたい。お前と一緒に酒が飲みたい。乾杯はとっておきのワインを出してやるから。
 なあ、左馬刻。サツの俺に一生分の迷惑かけやがって。この貸しは高いぞ。
 なあ、左馬刻。忘れさせてくれよ。俺がいくら忘れても困らねぇくらいにまた迷惑かけろよ。
 なあ、左馬刻。お前の声が聞きたい。ウサちゃん何ぐすぐす泣いてんだって笑って、馬鹿にしてくれよ、なあ。