ピタゴラフイッチ

「えっと……その、なんだ……左馬刻?」
「ンだよ」
「お前って俺のこと好きなのか?」
「急に何言ってんだお前。バカじゃねぇのか」
「はぁ……そうか。うん。そうだよな」
「そうに決まってんだろ。ンだその溜め息」
「本当に好きじゃねぇのかよ」
「自意識過剰な野郎はモテねぇぞ」
「じゃあ今すぐ離れてくれ、動きにくい」
「ア? 嫌に決まってんだろ俺様はウサギ捕まえる訓練してんだよ今」
「理鶯じゃあるまいし!」
「何だっていいだろ。シメるやり方までは聞いてねぇからこうやって捕まえて逃がさねぇようにしてんだわ」
「俺を殺す気か。シメられるもんならシメてみろ……おい、抱きしめろとは言ってねぇぞ」
「テメェの腰が丁度いい場所にあるせいだろうが」
「それはお前がっ、俺を膝の上になんか座らせるからだろ! 落ち着かねぇんだよこの体勢!」
「うるせぇウサギだな、プリプリ怒ったって可愛くねぇぞ」
「膝の間に座らせんなクソボケ」
「ア? テメ俺様の家で俺様が抱きしめてやってんのがどんだけスゲェことなのか分かってんのか。写真撮って投稿してやっても良いんだぜ? どうせなら撮ってやろーか」
「分かってるし炎上するからやめろ! お前のファンに色々言われるんだよ俺がっ」
「? 俺様は文句言われたことなんかねぇぞ」
「それはお前が左馬刻様だからだ! おい、手握んな。リモコン取れねぇからせめて片手は解放しろ」
「ウサギ捕まえる訓練だって言ってんだろテレビなんか見せねぇぞコラ」
「ぁ、やだ、左馬刻っ顔が近いから……向かい合わせはマジで」
「おらこっち見ろや。なんだ銃兎、俺様とこうやってんのが恥ずかしいのか? 男同士のくせに意識してんのかよ」
「は、恥ずかしくなんかねぇ……! だけどお前の顔が良すぎてしんどいんだよ! もう離せ!」
「顔が良くてしんどいだァ? もっとマシな言い訳しろや」
「言い訳じゃねぇよ! うぅ、その握り方はやめろ……それは付き合ってるカップルがするヤツだ……」
「カップルなわけねぇだろ。いつ俺様がウサギと付き合ったんだ」
「分かんねぇ……もう何も分からなくなってきた……なぁ、左馬刻、俺のこと好きじゃないのか? ほんとに、マジで好きじゃねぇのか?」
「またソレかよ好きなんかじゃねぇわ……ん、ウサギの耳たぶってツルツルしてんなぁ、穴空けてねぇから?」
「ぁぁ…っ、ひぅ、やだ……お前の舌、ぬるぬるして、っ……うぁ、噛んだら痛いって…」
「溝んとこ可愛いなぁ。ふっ……俺がなぞってやるためについてんだろ? そうだよな?」
 耳殻を舌でなぞられるとたまらない気分になる。背筋がぞわぞわして、妙に掠れた声が出てしまう。耳たぶの感触を唇で確かめるように食まれて、必死に文句を言った。
「ひぃんッ……はぁ、ッ、やだ、さま……」
「んだよさっきからエロい声出しやがって、発情期かウサちゃん」
「発情期じゃねぇし全部お前のせいだろうが!」
「へぇ。俺のこと好きなのかよ銃兎」
「す、好きじゃねぇ! お前こそ俺にンなこと言って自意識過剰、」
「あぁ?」
「んんん……っ、きす、するな、バカ」
「うるせぇウサギの口塞いでんだよ」
「ウソだ! こんなのちがうぅ、っんむ……ん、さ、まときぃ」
「はは、……もっと中まで食わせろ」
「ふぅん、んぅ、んんん……っ!」
 じゅるじゅる、ちゅっちゅ。水っぽい音が生々しくて聞いていられないのに、左馬刻とするキスは気持ちいい。左馬刻の舌が俺のに触れている。舌裏の粘膜を探るように舐められると身体の奥が疼くような感覚に襲われて、頭がぼうっとしてしまう。コイツは本当に俺を好きじゃないのか。こんなキスするくせに。分からない。心臓がドキドキして、苦しい。
 気のせいかもしれないが、俺より少し体温の高い手が、まるで服の上から身体をまさぐってくるような動きをしてくる。胸板を撫でられ、慌てて左馬刻を押し返した。
「さま、ときっ、俺の口、とける、だめっ、ん」
「溶けちまえば良いじゃねぇか。ほら、舌出せ」
「や、やだって、もういい、もぉいいから、っ、んぅーっ!」
「良くねぇ。俺様がこんなんで満足するとでも思ってんのか」
「んんっ、っ!? うう、さぁときぃ……っ、も、おわり、おしまいっ、ふ、っ〜!」
「こういう時もよく喋るんだなウサちゃんは。首まで真っ赤じゃねぇか」
「言うな! お前だって赤いくせにっ!」
「あぁ? 俺様はウサギの体温が移っただけだ。じゅるじゅるヨダレ溢れさせてたのはテメェだろ」
「左馬刻があちこち変な風に弄るからだろ! 俺のこと好きじゃねぇのに、なんでこんなこと……」
「だったら惚れさせてみろよ、俺を」
 不遜な態度でそう言い放ちやがった左馬刻にムカついた。ふざけるな、俺がどれだけ悩んでると思ってんだ。好きなのかと聞けば「好きじゃねぇ」と返され、それなのにこうして向かい合って抱きしめられて、耳を噛まれたりキスされたり。意味が分からない。こんな気まぐれな男を俺に惚れさせるなんて、そんなのできるわけねぇだろ。ただでさえ左馬刻はモテるし、人気があるのだって知っている。
「……っ、左馬刻のバカ。嫌いだ」
「あぁ? 誰がバカで嫌いだ。てめぇ俺を惚れさせる気あンのかよ」
 俺には、お前を惚れさせることなんてできない。どうにもならない事実を口にするのは悔しかった。明後日の方を向いて黙秘したが、顎に手を添えられ強引に振り向かされる。
またキスされると分かっていても抵抗できなかった。
「んぅ……っ、さまと、き……」
「……かわい」
「ん、ん……? 左馬刻、今、なんか言ったか?」
「はぁ? ……言ってねぇわ」
 何か言われた気がしたのに、よく分からなかった。左馬刻が「何も言ってねぇぞ」と続けて言う。そうか。左馬刻が何も言ってないって言うなら、そうかもしれねぇな。俺の聞き間違いか。
 綺麗な紅い瞳がじっと俺を見据えている。宝石みたいな、いやそんな市場価格のついた石ころよりもずっと深く惹かれてしまう。つい吸い寄せられるように顔を近づけてしまった。左馬刻は嫌がる素ぶりもなく受け入れてくれる。────ああ、やっぱり好きだ。左馬刻は俺を好きじゃないけど、俺は、左馬刻が好きなんだ。自覚してしまえば止まらない。
 もうどうにでもなれ。左馬刻のことが好きなんだから仕方がない。開き直って、自分の気持ちに正直になった。ちゅっ、ちゅっ……と、触れるだけの優しいキスを繰り返す。唇が触れ合う度に幸せを感じた。左馬刻の吐息が熱っぽく感じられた。このままずっとこうしていたいと思った瞬間に、左馬刻の体温が離れていってしまう。
「ぁ、……なんで、」
「っ、これ以上は、なんつーか、ヤベぇ」
「………」

 チームメイトの俺とキスするのが変だってことに左馬刻様はやっと気づいたのか。
 だとすれば気づくのが遅すぎる。散々人のことを弄びやがって……。心の中で文句を言ってみたところで虚しいだけだった。
「……おい、どうした? 何考えてんだ」
「別に……なんでもねぇ。もう帰る、明日も仕事だから」
「嘘ついてンじゃねぇぞ銃兎。明日休みだから俺ンとこ来たんだろうが」
「……っ、」
 ヤクザとサツではあるが、俺とコイツはツーカーと言っても違和感のない仲だ。そのくらいのこと簡単に分かられてしまっているのが気まずい。左馬刻の顔が見れなくて俯いた。だってこんなのズルいだろ。キスしたくせに、好きじゃないとか言い出すし。俺の気持ちにはちっとも気づかないし。俺だけ馬鹿みたいじゃねぇか。
「銃兎、帰んなよ。泊まってけ」
「もういい。左馬刻のこと、惚れさせるなんて無理だから……もういいんだ」
「あぁ? ……なんだよそれ」
「……だって、左馬刻は俺のことを好きじゃねぇんだろ! 何回キスしたって、好きになってもらえねぇしっ……どうせ意識もしてねぇんだろ! 俺の片想いでしかないなんて、そんなのは、寂しいし辛いだけだ……!」
 喉がぐっと狭くなって、ひりつく。瞳から雫がこぼれ落ちた。ぐじゅぐじゅに視界が滲む。こんなの俺らしくないと思うのに止められなかった。息も意気も、情けなく震えて、みっともない。同じチームのリーダーでもある左馬刻様にこんな体たらくを見せて、余計に幻滅されるだけなのに。
 次の瞬間、俺の身体が強く引かれた。離れたはずの腕に抱き締められる。力強い腕に拘束され、痛いくらいの力で抱きすくめられた。息が詰まりそうだ。反射的に閉じた目から溢れた涙が頬を伝うのを指で拭ってくれる左馬刻が────俺が心底惚れている男が、愛おしくて堪らなかった。だけど俺が本当に欲しいのは、こんな勢い任せに慰めるやり方じゃない。慰めなんかじゃなくて、俺は左馬刻からの愛情を感じたかったんだ。
「……やめろ、こんなの……俺が惨めになるだけだ。もういいから」
「俺様がこんなことするのはテメェだけだ! ……クソ、んなの考えなくても分かんだろ……」
 悪態混じりの言葉が胸を打つ。左馬刻の言葉の意味を理解して、応えてやりたいと思うのに、いっぱいいっぱいで何も言えなかった。心臓の音ばかりが雄弁で過剰にうるさい。
「……銃兎」
 左馬刻が耳元で囁いてくる。甘ったるい声で名前を呼ばれると、それだけで緊張も抵抗する力も抜けていく。左馬刻の声が好きだ。左馬刻の低くて掠れた甘い響きのある声が、俺の鼓膜を震わせ脳を蕩かせる。
「俺様を惚れさせるのなんか無理って、お前は言うけどよ……無理なんかじゃねぇよ。キスした時点でそんくらい分かンだろ」
「分かんねぇよ! だってお前、ウサギを捕まえる訓練って言ったじゃねぇか……! 自意識過剰、って」
「意地悪しすぎちまったなぁ? 普段はズル賢いくせに時々バカなこと考えるウサちゃんが好みなんだわ俺。知ってるか? そういうとこすげぇ可愛いって」
「そんなめんどくせぇ兎、知らねぇ。どこも可愛くねぇ」
「へぇ、……自覚ねぇンだな、ウサちゃん」
  愉しげに口角を吊り上げる左馬刻と目が合う。身じろいだが逃がしてもらえるはずもなかった。逃がされるどころか強く抱きしめられる。左馬刻の匂いに包まれると、温かくて心地良くて安心してしまう。
「……さ、左馬刻」
「ん?」
「もう少しだけ、このまま」
「おう。つーか泊まってけ」
「……ああ。そうする」
「ん」
 つかまえとかねぇとな。左馬刻が低い声で吐息混じりに笑うと、微かに音の振動が伝わった。それは俺のセリフだと思うんだが。つかまえておくために、とりあえず左馬刻のアロハシャツをぎゅっと握ってみた。