好きって言う違法マイクの話

 火貂組、碧棺事務所。若頭ではなく舎弟からの連絡を受けて急いで向かってみれば、現在進行形で平常じゃないらしい若頭の容態を心配して応接間に集まっていた彼らが、駆けつけた俺を見て目に見えてホッとした。だが次の瞬間、若頭────左馬刻は俺をまっすぐに見つめて「銃兎……俺はテメェが好きだ」と言った。
 
 

 
 
「聞いてんのか銃兎ぉ……?」
「ああ、聞いてるよ」
「なぁ、すげぇ好き。ただの好きじゃねぇぞ。本気の好き。お前にしか興味ねぇんだよ俺様は」
「……分かったからもう勘弁してくれ」
「ふざけんな。全然足りねーよ」
 左馬刻は不満げに視線を尖らせて俺を見るが、俺としては全然足りねーだとか全く思わない。やめてくれ。今すぐこの場から逃げ去りたい。恥ずかしくて死ぬ。
 けれどそんなことは許されず、頬に唇が触れた。左馬刻の唇が柔らかいことなんて、今まで知らなかった。
ちゅっ…ちゅっ…と短く音を立てて何度も啄まれる。もう観念して流されてしまいたくなるが、違法マイクの効果が解けた後の左馬刻がどう思うか。
 左馬刻のことを案じると、完全に受け入れてしまうわけにはいかない。ここは俺がしっかりしないと。
それにしたって近くにいるヤツに好きって言いたくなる違法マイクなんて厄介すぎるだろクソが。左馬刻に好きだと言われるのはこれで何度目だろう。不毛すぎて数えるのはとっくにやめた。もちろん左馬刻が本気で俺に告白しているわけじゃない。だが、よりによって左馬刻様に────ヨコハマの王にこんな効果をぶつけてくるなんてふざけてる。ヨコハマの街に波乱を起こしたいとしか思えない効果だが、その状況に冒された左馬刻が俺を見るなりまっすぐ自宅のタワマンに引っ張り込んだから、被害は最小限で済んだ。良くも悪くも、俺だけだ。
 ……俺だけ。左馬刻が他の誰でもなく、俺のことを好きだって、そう言ってる。
 聞いたことがないので実際のところ知らないが、日本有数のヤクザの若頭だったらイロの一人や二人や三人、いやそれ以上の数の愛人を囲っていたとしても全くおかしくない。それなのにわざわざ俺を選ぶ意味。それはきっと信頼だ。信頼、してくれているんだろう、と思う。
 好きと言ったところで本気にならないし面倒なことにもならない相手。本気にならないが、何かあれば本気で止めてくれる相手。俺はきっと、そういう相手に選ばれたわけだ。だとしたら仲間として左馬刻から向けられている信頼を裏切るわけにはいかない。
 そうだ。いくら好きって言われても、蜂蜜でも溶かしてるんじゃないかって声で名前を呼ばれても、頬にキスされたって俺は負けない。好きでもない俺に好きだって言わされてるコイツが一番辛いはずだ。俺が逃げて堪るか。
「!? さ、さまとき……っ!!」
「ンだよ」
 と、考えていたら隙を突かれて口にまでキスされそうになったから慌てて押し返した。制止された左馬刻の瞳が不満そうに眇められる。メンチ切ってくんなバカ。
「口はダメだろいくらなんでもっ」
「あんで口にしたらダメなんだよ。させろ」
「ダメだ!」
「だって銃兎、俺が腰抱いても抵抗しねーし。俺だからだろ」
 ……よくご存知で。はっきり言って左馬刻に甘いことなんかとっくに自覚してるし、今更急に冷たく突き放すなんて、出来るわけがない。今の左馬刻はいつもの左馬刻じゃないから心配なのもある。何も否定できない俺を見て、左馬刻はそれ見たことかと満足げだ。畜生。
「俺様が好きって言ってもウサちゃん逃げねぇし……ほっぺたやわっこくてつるつるしてるし……俺になら何されても許してくれんじゃねぇのかって思っちまう……勘違いか?」
「………っ」
「そうやって俺のこと意識してんのすげぇかわいい、銃兎。キスしてぇ。銃兎としたら気持ちイイから」
「ッ、ダメなものはダメだ! そんな顔したって俺は……えっと、あの、許さねぇからな!」
 ダメだ、パニクってて言語能力が低下してる。左馬刻が変なことばっかり言うせいだ。俺は悪くない断じて。
「じゅーとぉ、どんな顔してんだよ俺?」
「左馬刻、近い……っ」
「いいだろこンくらい。なぁ、教えろや」
 甘えるような声色で耳元に囁かれる。こういうズルいところがあるから困ってしまう。左馬刻の声には抗えない。普段の威圧的な態度からは想像できないほど甘い声でねだられると言うこと聞いてやりたくなるだろバカ。思わず飲んだ呼吸の遣り場に困って、もう言うしかなくなった。
「だ、から……その、こ、子犬……みてぇな」
「子犬? ……へぇ、随分かわいいじゃねーか。だったら俺のこと銃兎が拾ってくれよ。銃兎にしか懐かねぇよ?」
「バカ……左馬刻が俺を拾ったんだろ、あの時」
「そーだったなァ。気に入ったから、俺のモンにしてやろうと思って……ふ、今だって気に入ってるぜ。お前は俺のモンにするって決めてんだから、抵抗すんのナシだろ」
「自覚してないだろうがお前は今、熱が出てるようなもんなんだ。治るまでは俺が居てやるけど、」
「銃兎……さっきから何言ってやがんだ。俺様は熱なんかねぇ。マジで好きなんだよ、お前のこと」
「ああ、もう分かったって……」
「分かってねェだろ何にも」
「…………」
「好きだ、銃兎。早くお前も認めちまえよ。そうしたら楽になるぜ?」
 言葉に詰まる。認めるって何をだよ。左馬刻が好きかどうかってことか?
 左馬刻の、こと────考えたくないが、答えなんか分かりきっている。でも認めたくなくて目を逸らす。左馬刻の家にはよく来るし見慣れているのに、今は落ち着かない。心臓のあたりが苦しくて胸の奥が疼くような、苦しいけど、どこか心地いいような感覚を左馬刻に知られるわけにはいかない。
「……銃兎ぉ」
「っ、やめろ……」
 吐息ごと吹き込むように耳元で名前を呼ばれ、背筋がゾクッとした。同時に下腹部にも鈍い痺れを感じる。これはまずい。このままでは本当に『熱』のある左馬刻に好きにされそうで。
「さまとき頼む、ほんとに、だめだからっ……」
「なんでそんなにイヤがんだよ。なら銃兎は俺様のこと嫌いなのか」
 むっと整った顔が不機嫌そうになり、唇がツンと尖る。年下の顔して拗ねるような声。ああもう、どうすればいいんだ俺は。今すぐにでもこの場を離れたかった。けれどそんなことはできない。左馬刻を放っておくこともできなかった。俺はもう半ばヤケクソになって、ついうっかり「好きに決まってる」と言った。すると一瞬で左馬刻の顔つきが変わった。獲物を狙う獣のような目だ。瞳孔が開いてギラついている。マズイと思った時にはもう遅かった。俺は寝室に引き摺り込まれ、ベッドに押し倒されていた。
「さ、まとき、! 待て、STOP!」
「うるせえな黙ってろ」
「ちょ、まっ……ぅあっ」
 ぢゅうっと痛いくらい首筋に吸い付かれ、変な声が出た。俺は必死に左馬刻を引き剥がそうとするが、びくともしてくれない。それどころか着ているシャツの下から裾に手を入れられ、素肌に熱い手のひらが触れた。腹を撫でられる。俺は慌てて身を捩るが無駄だった。脇腹をつうとなぞられて鳥肌が立つ。胸の一番先にあるところを、乳首を、左馬刻の指がするすると撫ぜた。電気が流れるみたいに、くすぐったさと同時に甘い刺激が駆け巡っていく。
「ひ、っァあ……ッ……や、んぁっ」
 俺の反応を見て左馬刻はニヤリと笑う。そして指先で、何度もそこを捏ねるようにいじめられる。何だよこれ。こんな状況なのに、頭がぼうっとしてきて。おかしい。俺の身体がおかしくなってるんだ。俺が、左馬刻を好きなせいで。左馬刻が正常だったら俺にこんなことするわけないのに、左馬刻に触れられて嫌じゃない、もっとしてほしい、と思ってしまう自分がいる。やめてくれと思うのにやめてほしくないと思っている自分がいて、酷いエゴだ。喉が重苦しく詰まったように痛む。口を開けば情けない声が出そうだ。浅ましい俺を左馬刻が好きになってくれるわけないのに、このまま流されたらとか考えそうになるなんて、最低だろう。
 俺は今どんな顔をしているのか、左馬刻がごくりと唾を飲んで、尖った喉仏が上下したのが分かってしまった。やめろ見るな。そんな顔しないでくれ。知られたくなかったんだ。俺がお前のこと好きだって、ずっと隠し通すつもりだったのに。好きって言われて嬉しいなんて絶対に知られちゃいけなかったのに、こんなのもう、どうやって拒めば良いんだよ。鼻の奥がツンと痛む。目の縁が勝手に濡れていき、ついに溢れそうになった時、大好きな緋色と目が合う。ハッとしたように瞬きし、その度に長い睫毛が震え、ギラついていた目が丸くなったのが、分かった。
「……銃兎、」
「え、……」
 ────抱きしめられているのだと理解できたのは少し経ってからだった。ドクン、ドクンと鼓動を打つ心臓の音が聞こえる。左馬刻の腕の中で、それがどちらのものか分からなくなる。俺は恐る恐る左馬刻の背中に腕を回す。そこに確かな温もりがあって、異常事態の中でそれだけはいつも通りだった。左馬刻はしばらく無言で俺を抱きしめていたが、やがてふーっと息を吐き出す。俺はそれにビクリとする。怒らせた、んだろうか。
 しかし次の瞬間「悪かった」と呟く声。どうして左馬刻が謝る必要があるんだ、悪いのは俺の方じゃないか。何か考え事をしているような声音で、また「銃兎」と呼ばれる。抱きしめられている体勢だから顔は見えないが、
「左馬刻……どうした……?」
「……泣くなよ。俺様は銃兎のことが好きで、今もすげぇ抱きてぇと思ってる。けど、銃兎は違うんだよな」
 迷った。本当は俺だって左馬刻に抱かれても良いくらい好きだった。でもそれは、今の────違法マイクを食らった左馬刻を利用しているようで、そんなことは俺自身が許せなかった。
「……そうだ。俺は、左馬刻とキスしたいとは思わないし、抱かれたいなんてちっとも思ってない」
 これは本心ではなく、俺の大切な王様を守るための一手だ。左馬刻は本当のことだと受け取ってくれたのか、激昂するでもなく、茶化すでもなく、俺をぎゅっと抱き寄せた。有り余る好きが体温と一緒に伝わって苦しかった。左馬刻が哀しくなっているのが伝わってくる。俺だってお前のこと、憎からず思ってるんだって本当は言ってやりたい。
「だったらそれでもいい。それでもいいから側に居ろ……お前と居るだけでいいから」
「………左馬刻」
「もし銃兎が、俺のこと少しでも想ってくれてンなら、ッつーか……俺は、マジで銃兎のこと好きだからよ……今すぐ俺のことフんのはナシにしてくんねぇ?」
「わ、分かった、考える。……お前のこと、ちゃんと考えておくから」
「! ……おう」
 俺のことを好きだと言う左馬刻は、今だけのものだ。ありふれた保留のセリフに、左馬刻が安堵したのが分かる。緊張が緩んだんだろう。少し重くなった左馬刻の身体。ダメだ。愛おしいとか思うなんて、こんな気持ちになるのは間違ってる。俺は左馬刻のためにもお前とは付き合えないって突き放さないといけないのに。それなのに、俺を抱きしめる左馬刻が愛おしくて仕方なくて、離れがたくて。
 結局「一緒に寝ようぜ、銃兎。寝るだけ。何もしねーから」と甘えてくる左馬刻に頷いてしまった。
 
 

 
 
 宣言通り何事もなく二人で一つのベッドに眠った翌朝、左馬刻の『熱』はすっかり引いているようだった。あれほどまでに左馬刻の精神を蝕んでいた厄介な効果が跡形もなく消え失せていて、ほっとした。俺が目覚めた時には左馬刻は既に起きていて、キッチンに立っていた。今はコーヒーを淹れてくれているんだろう。ほんのり甘さのある香ばしいアロマがリビングにまで漂っている。ほっとする香りを嗅いでいると、昨日のことが嘘のように思えた。
「左馬刻、おはよう……身体は何ともないのか?」
「おー。まぁ一晩ぐっすり眠りゃ治るってこったろ。お前のぶんもメシあっから食ってけよ」
「……ああ、ありがとう」
 左馬刻は全くいつも通りで、俺が横に来ても何もしてこない。それが当然なのに妙な感じだ。あの時確かに左馬刻の目は欲情していたし、ギラついて濡れていた。それなのに今はそんな気配を微塵も感じさせない。あんなに求めてきたのに、まるで俺だけが一方的に左馬刻のプライベートなところを暴いてしまったみたいで恥ずかしくなる。頬にキスされて、腰を抱かれて、好きだと沢山言われたんだ。ベッドでは────ダメだ、思い出すなんて。意識しちまう。
「……ウサちゃん顔すげぇ真っ赤。朝からどうしたよ」
「ッ、あ、あの……違うんだこれは……気にしないでくれ」
「昨日のお前、めちゃくちゃエロく見えてよぉ……困ってんのすら色っぽいから堪んなかったぜ。昨日は、だけどな」
 昨日、は。
 左馬刻は昨日のことを覚えてるんだ。俺は何と答えれば良いのか分からなくて、視線を床に落とす。不意に左馬刻が俺の頭を撫でて、それから耳元に唇を寄せた。吐息が耳にかかって、ゾクゾクして、これは完全に『昨日』のデジャヴだ。左馬刻は俺が狼狽えているのが面白くて揶揄ってるんだ、そうに違いない。
「左馬刻っ、やめろ! もうマイクの効果は解けたんだろうが! 悪ふざけも大概にしろって、」
「俺はふざけてなんかねぇよずっと真剣だわ。昨日はお前がやたらエロく見えたけどよぉ、いつも通りのウサ公になったって言ってんだ」
「だからそれはっ」
「いつも通り、すげぇ可愛いウサちゃんだわ」
「は、……え、……?」
 何を言われているのか分からなくなった。俺が目を白黒させているうちに左馬刻は俺の髪を優しくかき混ぜる。それから頬にキスをした。チュッと音を立てて触れるだけのキスを何度も、何度も。俺はどうしていいか分からない。どうするのが正解なのか。というかこれもまたデジャヴだ。
「う、嘘だ……っ! 左馬刻が俺にこんなことするなんて」
「はぁ? お前のこと好きならすンだろ」
「左馬刻は俺のこと好きじゃねぇだろうが! マイクのせいで誰でもいいから好きって言いたくなっただけで、」
「おい銃兎……俺様が食らったマイク、誰彼構わず好きって言いたくなるマイクだと思ってんのか」
「そうだろ!」
「俺は舎弟の奴らに一言も好きなんか言ってねぇぞ」
「…………?!」
 舎弟からの連絡を受けて急いで向かってみれば、現在進行形で左馬刻を心配して集まっていた彼らが、駆けつけた俺を見て目に見えてホッとした。だが次の瞬間、左馬刻は俺をまっすぐに見つめて「好きだ」と言ったから────まさかその時から俺は、とんでもない勘違いをしていたのか。
「さ、左馬刻………」
「分かったかよ」
「……わか、った」
「いい子だなァ……そんで、いい子のウサちゃんなら、俺様が心底惚れてんのが誰かってのも分かっただろ」
「そ……それは、」
「それで? 考えてくれるんだったよな?」
 左馬刻が言葉尻を攫ってニヤリと笑う。信じられない。これは現実か。
 だって、そんなはずがないんだ。だけど今までの態度が嘘だったとは思えない。俺のことが、好きだと。左馬刻が俺のことを好き。そんなのあるわけない、はずだったのに。俺はきっと間抜けな顔をしていたんだろう。左馬刻が「おーおー、固まっちまって。やっと信じたのかよ」とおかしそうに笑う。頬を包んで鼻先にキスしてくる仕草が慣れてると思うくせに可愛くて、性懲りもなく胸の奥がきゅっとした。
「………考えるも何も、……今更だった。改めて考えなくてもお前のことばっかり考えてて、……」
「ウサちゃんいっぱい考えてくれてたんだな」
 俺の腰を引き寄せる。顎を指先で掬い上げられた。視界の端でモノクロの天然石が揺れ、シグナルレッドの瞳が近づく。睫毛も触れそうになって目を閉じると、今度こそ口づけられた。柔らかくて温かい感触が触れるだけのキスはすぐに離れたが、まだそこに熱が灯っているようにじんじんする。
「…………左馬刻、俺、その」
「ったくもう考えなくていいだろうが!」
 左馬刻の右手が俺の背中に回る。左馬刻の首に腕を回して、そのままくっつくように抱きついた。左馬刻に抱きしめられたら心臓がドキドキすると思ったが、これは安心する……むしろ案外落ち着くかもしれない。昨日はそんな余裕なんかなかったから新しい発見をした気分だ。
「そういや昨日は俺様とキスしたくねぇし抱かれんのも嫌だとか言われたっけなァ……」
 今ソレ待ち出してくんのかよ。応えないわけにはいかないから少し背伸びして、意地悪なことばかり言う口にキスをした。