起きたらコーヒー淹れてやる

「左馬刻……!」
 仕事上がったら俺様んとこな。一方的に連絡してきたのは言うまでもなく左馬刻だった。
 それなのに俺が左馬刻の住むマンションの直通エレベーターを通って部屋のインターホンを鳴らしてみても全く出迎えがないから不審に思う。まさか変なことに巻き込まれてるんじゃないだろうな、と心配してスペアキーで部屋に上がってみれば、
「え………寝て、るのか……?」
 拍子抜けした。なんということもない。ただ晩酌中に寝入ってしまっただけのようだった。
「……まったくコイツは。心配させやがって……」
 ただでさえ冷える屋外の風に吹かれていたというのに余計に肝の冷える心地にさせられて、眉間に皺が寄る。だが、テーブルの上に並んでいる赤身の生ハムと真っ白なリコッタチーズを見て思わず瞬きしたら、一緒に憤りも霧散してしまった。生ハムとチーズだけじゃない。ポテトサラダもある。きっと俺と二人で飲むために、手ずから作ってくれていたんだろう。チーズを乗せるためのクラッカーまで準備してある。こういう時、左馬刻は世話を焼くのが上手いなと思う。そういう方面につけて何かと不器用な俺とは大違いだ。
 トレードマークの手袋を外して手を洗ってから上着を革張りのソファにかける。
 眠っている左馬刻の隣に腰を下ろすと、ようやくひと心地つけた。起こした方が良いのかもしれないが、まぁ無理に起こすこともないだろう。特に火急の用もないし、隣で無防備に眠る姿を見ているのは悪くない。それに何より、気持ちよさそうにしている好きな相手を起こすのは忍びなかった。そうだ、呼び出されたから仕方なく来たなんていうのは結局ただの言い訳だし、左馬刻の強引なところに救われている自覚がある。仲間としての親しみだとしても、ハマの王様に────自分のボスに必要とされているのは嬉しい。

「……お疲れさん」
 ぴょん、と跳ねっけのある銀髪を労るように撫でた。俺より四つ年下の左馬刻は、指折りの組織で若頭を張っている身だ。本人の気性もあってゆっくりと眺めるような機会はあまりないけれど、やっぱり左馬刻は綺麗だよなと思う。顔立ちは勿論、まつ毛の色合いや長さまで、格別に誂えたみたいに整ってるんだから。
 酒のせいでほんのり淡く桜色に染まる白い頬も、少しだけ開いた唇も、いつもより幼げに見える表情も、惚れた欲目を差し引いたって、こんなに魅力的な男がこの世に存在することが奇跡みたいだとすら思えた。
 左馬刻に惹きつけられる女も、男だって、数知れないだろう。そのことに嫉妬する俺自身が嫌になる。お門違いすぎだろ、そんなの。それでもやっぱり俺にとって左馬刻の存在は特別で、そんな相手に気を許されているという事実は何にも代え難いものだった。
「左馬刻……」
 ────寝てるんだから、今くらい言ってみても良いんじゃないか?
 それは魔が差したようなものだった。普段なら絶対に言えないことを口走ってみたくなって、いざ言おうとなると勇気が必要なんだと知った。心の内側を自分で暴くのは、胸の奥底がぎゅうと絞られるように苦しくなることだった。
 好きだ。どうしようもなく俺はお前が、
「……好き、なんだ」
 眠っている今なら、隠していた気持ちを言葉にすることだって許される。赦されたい。だって、左馬刻は聞いてないんだから。俺以外、誰も。
「好きになっちまったんだよ。……あの時、お前に助けられて、お前に願いを叶えてやるって言われて、チーム組んだ日からずっと、お前は俺にとって特別なんだ。今日だってこうやって呼び出されて、馬鹿正直にお前の家に来て……そしたらお前は寝てたけど、それだって、可愛いって思ったりするんだよ。可愛いなんて言ったら怒るよな、サマトキサマは」
 言葉にしてみたけれど、それ以上どんな言葉を並べてみれば良いのかも分からなくて、左馬刻の寝顔をただ見つめる。
 想いを口にするのは初めてだった。情けない告白を聞いているのは、静寂に包まれた室内だけだ。聞かれていないと分かっていても滅茶苦茶緊張するもんだな。声にならない吐息を漏らして、微かに笑う。今になってじわじわと羞恥心が湧いてきた。
 いや、何だよこれ。
 いくら寝ているとはいえ、本人相手に何を言ってるんだ俺は。まるで愛の告白めいたこと。愛おしい相手に好きだと言っているのは、告白めいた、というか、完全に告白だろう。
「……じゅーと……」
「!?」
 いつの間にか見つめすぎてしまっていたらしい。瞼の下に隠されていた瞳が現れて、ぱちりと視線が合う。紅玉みたいに煌めく目が俺を見つめてくるから途端に心臓が大きく脈打った。ドキドキしていることを悟られないよう咄嵯に手を引っ込めて姿勢を正す。左馬刻はそんな俺を眺めて何を考えたのか、ふっと息混じりの柔い笑みを零した。
「ん……? ウサちゃん畏まってどうしたよ」
「ああ、いや、その……待たせた、か? お前、俺が来たら寝てたから」
「別に……んな待っちゃいねーけどよ……じゅーと、」
 腰に腕を巻きつけられた。ぐいっと引き寄せられてバランスを崩し、左馬刻の方へ倒れ込む形になってしまう。重いだろうに左馬刻はそのまま俺を抱きしめて、肩口に鼻先を埋めてくる。なんだこれ。めちゃくちゃ可愛い。普段なら絶対してこない甘え方じゃねぇか。思わず叫び出したくなるような衝動を抑えて、されるがままになっていた。酔っぱらいのすることだ。左馬刻もどうせ明日には忘れてるんだろうし、今だけでも存分に堪能しておく。
「……うまそー」
「ん、そうだな……、チーズ、俺が前に好きって言ったから作ってくれたんだろ? ありがとう」
「……かわいい」
「そうか……? かわいいというか、盛り付けが綺麗……?」
「すきだろ」
「……好きだよ」
 答えてからすぐだった。チュ、と頬に触れるだけのキスをされて、ぶわりと全身の肌が粟立った。
「~~ッ! な、っ!?」
 動揺を隠しきれずに変に声が上擦った。左馬刻はまだ眠たそうな顔をしてこちらを見上げている。どうやら寝ぼけているらしいと、そこでようやく理解した。つまり俺に何をしているのかも、よく分かってないんだろう。クッションや枕を抱きしめていたようなものだ。分かっていても頬が熱くなるのを抑えられない。初めてキスなんかされた。初めて。平静を装うために眼鏡を押し上げようとしたところで、手を重ねられ、手のひらの素肌同士が擦れる。左馬刻の手は熱かった。アルコールと煙草の匂いの中にほんのりと、甘いムスクのラストノート。左馬刻の匂いだ。タバコと香水と左馬刻の匂いが入り混じった香り。
「ダメ、だ……ッ!」
 首筋を舐め上げられて、濡れた熱い舌の生々しさを知る。ダメだ、このまま流されてはいけない。左馬刻のためにも、事故が起こらないように。顎先にキスされたからいよいよ焦って身を捩ると、左馬刻はあからさまに不機嫌な顔をした。
「おいなんで抵抗すンだよ……俺のこと好きって言っただろ」
「左馬刻のことじゃない! 俺はお前の、料理が好きって言ったんだ……!」
「ア!? だったらさっき、……ッ」
「………!」
 さっき。その先に何を言おうとしたのか予測できてしまい血の気が引いた。頭の天辺から爪先まで、恐怖と似た心許なさに、侵されていく。

* * *

 うっかり口が滑ったとしか言いようがなかった。まさか俺様が寝たフリをしてたなんて思ってなかったんだろう。火照っていた銃兎の顔色が目に見えて白くなっていくのを目にして、やべぇと思った。いや、銃兎が部屋に入ってくるまでは俺だって寝てたんだ。でもコイツが慌てて俺の名前呼びながら入ってきた辺りで目なんかすぐに覚めた。
 説教でもしてくんのかと思ったらテーブルの上のサプライズに嬉しそうにしたり、帰っちまうんじゃねぇかと思ったら俺様の隣に座って、やたらと俺の方ばっかり見つめてきたり。興味津々な兎みてぇでおかしくて、寝てるって勘違いしてるみたいだから、ちょっと揶揄ってやろうかと思っただけだった。
 まさか、あんな告白されるとは思ってなかったわけだが。
 銃兎が俺に惚れてるとは気づかなかったし、まさかそれを本人の口から聞けるなんて。銃兎に好きって言われるのはこんなにも嬉しいもんなのか。今まで野郎に告白なんかされたことはなかったし、これから先も男なんか有り得ねぇと思ってた。全く知りもしねぇ野郎は言うまでもねぇが、例えば昔組んでたチーム内でそんな風に迫られたらとか想像しただけで寒気がする。やめろマジで身体中ゾワゾワしてくるから。
 それを全部すんなり越えてきちまうんだから、銃兎ってスゲェと思った。寒気もしてこねぇし、むしろアツくなった。やっぱり俺様の目に狂いなんざなかったわけだ。だから嬉しくなって、つい、魔が差した。
 銃兎のことは好きだ。でもそれが恋愛感情なのかと言われると、そんなのは考えたこともなかった。ただ、特別ではある。コイツは俺の人生になくてはならない存在だって確信がある。そのくらいに気に入ってる俺様のウサちゃん。たった今起きましたってフリをして、銃兎に触れた。銃兎の息遣いを聞いていると心が満たされる。これはラップバトルの時も同じだ。
 好きだろ、と囁けば銃兎の身体が震えた。唇を押し当てれば銃兎の心臓が跳ね上がるのが分かった。へぇ。なんて言や良いんだこれ。なんつーか、かなりイイ。もっとしてぇと思う。
 それなのに銃兎が、俺じゃなくて俺のメシが好きなんだとか言うから、カッとなって口を滑らせたんだ。
「………左馬刻……お前」
「…………」
 思わず視線を斜め下へ逃がしたのは、俺だってこんなことになるとは予想してなかったからだ。ちょっと揶揄うだけのはずだった。いっそアレは冗談なんだろって茶化して言えたら良かったが、俺のキャパがその時はいっぱいになっちまってて、ンな余裕なかった。惚れた腫れたなんてのは俺にとっちゃゲームみてぇなもんで、攻めるも躱すも巧く立ち回ってきたのに。
 銃兎は何か言おうとしたが、続きを諦めたんだろう。すまない、と、それだけ言った。気丈に見えるが、そのぶんだけ悲しいのが分かっちまう。
「俺はもう帰る。そうだな、鍵も返すから」
「おい銃兎……っ、銃兎!」
 さっきまですぐ近くにいた銃兎が、俺の身体を押し退けて抜け出す。上着を掴んで、俺が渡した合鍵をキーケースから引き抜いて、足早に出て行こうとする。手袋を忘れていってるが、気づいてないんだかソレも諦めたんだか、目もくれない。捨てていいとか言うのが簡単に想像できた。
「待てやオイ! アレだ、全部お前のために作ったんだから無駄にすんじゃねーよメシが勿体ねぇだろうが!」
 引き留めたくて咄嗟に思いついた口実がそれくらいしかなくて、流石にカッコ悪すぎた。だが銃兎は違ったらしい。俺の声に振り返った銃兎は眉を下げて、困ったように笑っていた。

「お前なぁ……、ああ、もしかして……してくれるのか……」
「あ……?」
「なかったことにしてくれるのか、左馬刻」
「…………!」
 どうして。どうしてそんなに、嬉しそうな顔が出来るんだ。
 なかったことにして俺と酒飲んで、お前の好きって気持ちを俺がこのまま忘れたら、誰がソレを拾ってやるんだよ。お前自身の気持ちまで、要らねぇから捨てていいって言うのかよ。
 銃兎は俺の沈黙を肯定と受け取ったのか「お前が優しいリーダーで良かった」と続けた。どこが優しいんだよクソウサギ。勝手に呼びつけて、お前のこと揶揄って、好きって言われたのに聞かなかったフリする奴の、どこが。
「……そうだな。せっかくお前が作ってくれたんだし、食って帰るよ。実は腹減ってたんだ」
「銃兎、」
「左馬刻は飲むんだろ? 俺は車だから飲めねぇけど」
「銃兎ッ!」
 おいなんだこれ。俺は何してんだ。なんで銃兎を抱きしめたり、なんか。でも無理だ離せねぇ。今ここで離したらそれこそ全部『なかったこと』にされちまうんだろう。銃兎が俺を好きだって、特別だって言ったことも、全部が。
「左馬、刻……」
 嫌だ。そんなのはぜってーに嫌だ。俺の腕を振り払えもせずに、いつだって俺のしたいようにさせてくれるお前のことを俺は、離したくねぇって思うんだ。銃兎じゃなきゃダメだ。お前だから傍に居てほしい。一人で飲むのは味気なくて、決まって見たくなるのはお前の顔だった。文句でも何でも、お前の声が聞きたくなった。飯を作る時にお前の好みに合わせたりして、こんなに執着して、独占したいって思うんだ。こういうの多分、そうだ────好きだとか愛おしいって、言うんじゃねぇのかよ。

「なぁ銃兎」
「っ、」
「こっち向けや。顔隠すな」
 つーか隠しても無駄だわ、ウサちゃんのお耳まで真っ赤になってるんだから。
「泊まってけよ、別に何もしねーし……俺様一人で酒飲んだってつまんねぇだろうが」
「左馬刻……」
 腕の中で銃兎が身じろいだ。恐る恐るではあるが振り返って見上げてくる。
 やべぇ、かわいい。
 思った時にはもう遅かった。俺は自分でも驚くほど自然に、銃兎の唇を奪っていた。眼鏡のフレームが邪魔になるかと思えば、角度によってはそうでもねぇんだな。
「……っ!?」
 翠色の銃兎の目が丸くなるのを見て、我に返ってすぐに離れた。心臓が痛いくらいに暴れている。今更ながらに勢いでとんでもないことをしたと気づいた。銃兎の顔を見られない。
「あ……その、ワリ、つい……」
 何を言っていいのか迷って、言い訳にもならない言葉が漏れる。
「……お前って、俺にキスできるんだな」
 身体ごと正面に向き直った銃兎が、俺をまっすぐ見つめていた。その視線は今まで見たこともないくらい穏やかで、眩しいものでも見ているようだった。いや、本当は今までもずっと、銃兎はそうだったのかもしれない。俺が気づいてなかっただけで。
「……で、できるに決まってンだろうが! ナメてんじゃねぇぞ!?」
 何もしないって言ったばかりの野郎にいきなりキスされたのに、コイツはキレて文句を言うどころかクスクス笑う。
「……そうか、…それは、さすがに知らなかった」
 銃兎が俺の頬に触れた。指先で優しく撫でられる。
 ああ、この手も好きなんだ。
 やっと分かった。俺様の作るメシやコーヒーを美味いと言ってくれたり、いつも必ず礼を言ってくる律儀なところが好きだ。俺が絡めばヤレヤレ仕方ねぇ奴だなって、面倒くさがりながら相手してくれるところだって好きなんだ。こんな風に銃兎に触れられてドキッとするのも、肩やら腰やら、つい引き寄せたくなるし銃兎を近くに置きたくなるのも、きっと。俺以外の奴が銃兎の手の温度を知ってたらなんて、考えるだけですげぇムカつくし殺してぇ。
「言葉にしたら始まっちまって、そしたらすぐに終わりが来るだろ。今のままじゃいられなくなると思ったんだ」
「始まらねぇことに喜んでんじゃねーよ。……鍵も俺様が渡したモンなんだからちゃんと持っとけや」
「……返せって言われても返さないからな」
 そう言った銃兎があんまり幸せそうな顔をするから思いきり抱きしめた。
「銃兎……!」
 本当にコイツは俺様のことが好きなんだろう。たまんねぇ。俺も好きだ。
「なぁおい、次はいつ会えンだよ。休みの日教えろ今すぐ」
「次……」
「終わりになんかさせねぇって約束してやる」
 銃兎は何も答えなかった。ただ黙って俺を抱きしめ返して、ほんの少し、頷くような仕草をしたように思う。
 それから二人で今更の乾杯をして、クラッカーに俺様自信作のリコッタチーズをたっぷり乗せてやった。言っておくが今夜は帰さねぇし、問答無用で俺様のベッドの中に引きずり込んで抱き枕にしてやる予定だ。付き合ってんだからそのくらいしたって良いだろ。とりあえず、次また会える時まではそれで我慢しておいてやんよ。
 おやすみって言ってキスしたら、隣で銃兎の寝顔を見るのも悪くない。