安全圏からお送りします

「ほら、銃兎。今日バレンタインだろ。……やるよ」
「あ、……ありがとう」
 二月十四日、バレンタイン。こんな日にまで俺の家に来ることはないと思うんだが、左馬刻がくれたチョコレートは一目で高級路線だと分かった。開封してみれば、パリで有名なショコラティエの名前が記されたカード。厳選されたカカオを使っていて、フランスのチョコレート愛好家に愛されているらしい。さながら宝物のように一粒一粒が上品な輝きを纏って、箱の中に収まっている。
「俺様がコーヒー淹れてやんよ」
「ああ。というか左馬刻も食べてくれ。左馬刻がもらったチョコレートだろ?」
「俺様が……?」
 俺の手の中にある、既にリボンの解かれた箱を見て左馬刻は意味が分からねぇと言いたげな顔をした。なんでそんな顔をするんだ。
「おいおい、見るからに義理だとは思えないぞ。きっと高かったんじゃないか? 俺に横流しなんかして良いのかよ」
「…………」
「左馬刻?」
「それは女から貰ったモンじゃねぇわ。……俺様が用意したんだよ」
「……は、え、ッ、さま、左馬刻が……!?!?」
「ンな驚くことかよ」
 いや驚くだろ。あの左馬刻が、誰かにチョコレートを渡すなんて。しかもその誰かが俺だなんて、予想もしていなかった。それこそ横流しだとばかり。左馬刻は俺の間抜けだろう顔を見て、あからさまに舌打ちをした。
「あーあー、本命にしようかと思ったけどやっぱやめたわ。せっかく気合い入れて用意したけどよ……今のままじゃ絶対オトせねぇし」
「……? 碧棺左馬刻様にオトせない相手なんか存在するんだな」
 ボフンと腰掛けた革張りのソファの上。苦い顔をしまくってる左馬刻を見て、少なからず同情した。
 それにしても、悩むことがあるんだな。こんな高級チョコレートと一緒に『お前が俺の本命だぜ』なんて言われれば、それだけで、その一言だけで、誰だって惚れると思う。本命の相手は、左馬刻が本命にするだけあって、よっぽど難攻不落らしい。どんな女だ。普通なら泣いて喜んで感謝していいくらいだと思うぞ。
「左馬刻……大丈夫だ。また来年だってあるし、きっとその子だってお前のことを好きになるよ」
「……そう思うか?」
 ああ、元気になったな。よかった。
 しおれてた双葉がぴょこんと揺れて、左馬刻は俺をじっと見つめてきた。やけに真剣だから「当たり前だろ」と笑って頷いてやる。俺にできるのは、安全圏から応援することくらい。どろどろした本音が融け出さないように綺麗に固めて差し出した言葉だが、本心だ。
「左馬刻は良い男だよ。同じ男として俺が保証してやる」
「銃兎、そういやお前の部屋にはチョコねぇじゃん」
「ああ、一律お断りしてるので。俺に恨みを持ってるやつが何人いると思ってんだ。どんな手を使ってくるか分かんねぇ」
「……へぇ。じゃあ俺のチョコだけかよ。俺のも断るか?」
「はは、左馬刻からのチョコならもらうに決まってんだろ。すげぇ美味そうだし……なぁ、やっぱり左馬刻も一緒に食べないか?」
「お前にやったんだって。ウサちゃんが美味そうに食ってるとこ見れたらそれで良いわ」
「俺がもらったんだからどうしたって良いだろ。……きっと二人で食べた方が、うまいし」
 俺の言葉を聞いて左馬刻は少し驚いたような顔をしてから、口角を上げて笑った。

 コーヒーを淹れてもらってから、チョコレートを口に運んだ。
 深みのあるビターだが、甘さも感じられる。ゆっくり味わうように舌の上で転がして飲み込むと、一粒でもすごく満たされた。左馬刻の淹れてくれたコーヒーとも相性が良い。まるで誂えたみたいに。
「どうだよ」
「めちゃくちゃ美味い」
「ったりめーだ。チョコレートからコーヒー豆まで、全部俺様が選んだんだからな」
 嬉しそうに言ってから、自分もポイとチョコを口に放り込んだ。ん、やっぱうめぇな、と呟く左馬刻を見ていると心臓が落ち着かない。
 左馬刻は優しい。俺が困っているときはなんだかんだ助けてくれるし、嫌なことがあれば本気で怒ってくれる。間違ったときは、仲間として叱ってくれる。だから、左馬刻の隣では安心して息ができるんだ。俺の好きな人は、俺を大事にしてくれる人。だから左馬刻が好きなんだ。
そしてその分だけ、胸の奥がちりちりと痛くなった。────だって俺が食べてるこれは、
「……本命にするつもりだったチョコだろ。俺が食べちまって……本当に良かったのか……?」
「あ? いーんだよ、本命は来年また渡せば良いし……なぁ、手作りってどう思うよ? 俺様が渡したら引くか」
「……ちょっと重いかもしれねぇけど」
「うっ……だよなぁ」
「でも俺なら……もし、お前から貰えたら嬉しいよ。三人で前にケーキ作った時も、美味かったよな」
「へぇ……?」
 そりゃ参考になるわ、と呟いた左馬刻が、ウサちゃん俺にアーンしろよと言った。いや脈絡なさすぎんだろ、なんだそれ。同封された丁寧な説明書きを読みつつ吟味して、ラム酒が入っているらしい一粒を選び取った俺は、もっと馬鹿だと思うけど。