≠ウサギ扱い

 どう考えても左馬刻は俺のことをウサギ扱いしている。きっと、いや、絶対そうに決まってる……!
 
 
「ウ~サちゃん」
「んっ……おい、また」
 そう。また、だ。左馬刻と二人で飲めば必ずチュッと、唇で触れてくるようなスキンシップ(左馬刻はこれがキスだと理解してるのか謎だ)をされる。
何度もされてるせいで、もうキスされるタイミングが予測できるまでになった。次の課題は【左馬刻にキスをやめさせること】。
……と解ってはいるんだが、俺様がルールと言い切るMr.Hc相手にそれは未だ達成できていない。しかも凄く機嫌が良さそうで、どんな良いことがあったんだか知らないが俺まで絆されてしまう。
 俺の身体を後ろからきっちり抱きこんでいるせいで、首の後ろにされたキス。後ろから抱きこんでいる時しかされない、というわけではない。左馬刻が俺と向かい合った体勢にいる時は、俺の頬や額にチュッとされる。口にしていないからセーフ、なんだろうか。これはキスじゃないのか?
 左馬刻の行動の理由は分からないが、最近の俺はある結論に行き着いている。
 左馬刻は俺のことをウサギ扱いしている。これはあくまでも私の推測ですが、かなり自信がある推測ですよ。だって俺のことをウサギだと思っていなければ、子供でもない大の男に左馬刻が何度もチュッとしてくる理由がねぇだろ。俺は29の組織犯罪対策部巡査部長だぞ。
 
 
 たとえば朝、火貂組の事務所に左馬刻がやって来たとする。
『おはようございます、兄貴!』
『おはようございます、兄貴!』
『おはようございます、兄貴!』
 多すぎて面倒だ。以下略。
『おう』
 左馬刻は短く応じて、出迎えに整列した舎弟の一人一人に朝の────やめてくれッ!!!!
 ああ、腹の底からシャウトできる。想像するだけで名状しがたいヤバさがあって気分が悪くなった。公私共に火貂組事務所に訪れる機会が他のサツに比べて多い俺だけど、左馬刻がイカつい舎弟にキスしてるシーンを目撃したことは一度もない。……いや、まさか舎弟にまでこんな、チュッチュッ、スリスリ……なんかしてないと思いたい。
「左馬刻、くすぐってぇから」
「前から思ってたけどよぉ、頸んとこ弱ぇよな」
「うるせぇ……!」
「分ァったから怒んなって」
 左馬刻に対する舎弟達の信頼と、火貂組の組織力には目を見張るものもある。だがしかし、あの極悪ヅラが揃いも揃ったヤクザの事務所がそんなことになっていてたまるか。
 いくら若頭が凄まじくカッコよくて色男で美形だからって、そんなことになっちまったら火貂組の事務所というか、もはや左馬刻様のハーレムじゃねぇか。圧倒的な王だ。いや、左馬刻は確かにハマにとっても俺や理鶯にとっても王様に違いないが、いくらなんでも流石にそれは無いだろう。色んな意味で恐ろしすぎる。
 
 
 仮に、だ。
 仮に左馬刻がキスを与えるような相手がいるとしたら、ヤクザ稼業とは関係なく、もっと特別な絆や愛着や、愛憎を抱えている相手だと思うんだ。例えば────思いつく各ディビジョンの面々に、さっきとは違った感情が湧いてきた。今度は、胸の奥が勝手に、しくしくする。俺にない才知を兼ね備え、かつて伝説と呼ばれたチーム。左馬刻もその”伝説”に身を置いていた一人だ。今こうやって俺が左馬刻と居るのはある意味、奇跡に近いだろう。
「銃兎ぉ、お前日焼けしてねぇのな。……しろい」
「……お前なんか、夏でも俺より焼けないだろ」
「昔ッからそういう体質なんだよ。焼けるっつーか、赤くなンばっかでカッコつかねぇんだよな」
「先週オキナワ行ったんだろう? まだ夏来てねぇのに皮剥けたって……アレ治ったのか?」
「おー、もう治ったわ」
 ほら、と見せてくれた左馬刻の腕は滑らかなもんで、いつもつけている御守りが手首でキラキラ光っていた。
「ほんとだ。跡にならなくて良かったな」
「銃兎、触って」
「…………」
 期待して俺をじーっと見てるのが気配で分かった。俺が裏切るなんて小指の爪先程も考えてないんだろう。もちろん裏切らないけどな。俺は確かめるように少しだけ左馬刻の白い肌を撫でた。少し触っただけだ。いやらしくしてないしセーフだ。温かい体温や筋肉の隆起を感じ取れて、左馬刻がこの腕で誰かを引き寄せてキスしているところを想像してしまう。
 きっと俺にするのなんか比にならない。それに、さぞかしサマになるんだろうな。
 俺はただウサギ扱いされてるだけだろうけど、他の、左馬刻の特別な相手になら、もっと。頤を軽く持ち上げて、視線を合わせて、唇を重ねる左馬刻。ウサちゃん、と俺を揶揄うみたいに呼んでくれやがる声だって色っぽいのに、それ以上の色気とか、甘さとか、あるのかよ。考えるだけでドス黒いモヤに心が覆われるようだ。俺は酒を飲み干したグラスを、いつもより強く音を立ててテーブルに戻した。それから、左馬刻に抱かれたまま顔だけ振り返る。
「なぁ、左馬刻……お前って……」
「あ?」
「! いや、その……なんでもねぇ」
 俺以外ともキスするのか?
 とか、さすがにねぇよな。馬鹿にも程がある。そんなこと聞いてどうするんだと思い留まった。
 答えによってはいつも通りの俺でいられない気がする。左馬刻の指先がニンジンスティックを摘まむのを眺めた。というかニンジンなんて左馬刻は食べないに決まってるし、もしかしなくてもこれは────
「ほらウサちゃん、アーンしろや」
「……はぁ。触れ合い広場じゃねぇぞ」
「だって俺様はニンジン食わねぇし、これはウサちゃんに食わせるために切ってやったんだよ。銃兎は野菜好きだろ」
「それは、まぁ」
「俺様が食わしてやっから」
 それにしたって自分で食えると開きかけた唇の先にニンジンをツンツン押しつけられて、ぽりぽり咀嚼する。もうどうにでもなれと諦めた。
 左馬刻が俺以外の相手にもキスしていたとして、そうだとしても、俺は今の関係を変えるつもりはない。俺たちはヨコハマディビジョン代表チームのMAD TRIGGER CREWだ。俺らヨコハマ、クールな殺し屋。45Rabbitの入間銃兎は、碧棺左馬刻の補佐役として、チームを引っ張るリーダーの横に居られるだけで満足しているだろう?
 そうだ。不満なんかない。そう言い聞かせることで自分のささくれだつ気持ちに蓋をした。
「じゅーと、ウサちゃん、かわいいなぁ」
「…………」
「なぁお前がモグモグしてんのもっかい見てぇ。ほらウサちゃん、アーンしろよ……?」
 左馬刻は近くで見ても本当に顔が良いし、声も最高だ。ウサギの触れ合い体験が勝手に何度開催されようと俺は結局受け入れてしまうし、今だって嬉しそうに笑っている左馬刻が、正直すごく可愛かった。
 年下相応の甘えを見せられると弱い俺は、結局また野菜スティックをモグモグしてやった。今度はキュウリか。普通に食ってるだけだし、本物のウサギを餌付けしてる方が10倍、いや100倍も300倍も愛らしくてフワフワで癒されると思うんだが、左馬刻が楽しそうだし、まあいいか、俺でも。
 こんなに可愛い左馬刻と、今世界で一番至近距離にいるんだから。結構恵まれてるよな、と思う。
「……はぁ、銃兎……銃兎、ピアス空けねぇの? 俺様が空けてやろーか?」
「いらねぇ……っ、ぅ」
 今度は耳にチュッとされた。全身の血流が良くなった。
こう言えば健康的に見えるが、実際のところマズイに決まってる。耳元で響くリップ音のせいで集中できない。熱い。
「ツルツルで処女のウサ耳も柔らけぇし、悪くねぇか」
 処女とか言うなバカさまとき。左馬刻にウサギ扱いされるたびに心臓がバクバクする。ウサギ並だ。早く耐性をつけた方が良いんじゃないか、俺。こんな高速で脈打つようじゃそれこそ小動物のウサギよろしく寿命が縮まって死んでしまうかもしれない。薬物撲滅できずに、うちのリーダーが色っぽいせいで死ぬなんて困る。

△▼△▼

「一郎くんに仕事のお願いがあるんです……その、左馬刻のことで」
『萬屋ヤマダに依頼ってことっスね! っと、それで左馬刻……ってのもよく分かんねぇんだけど、どうしたんスか?』
「左馬刻の……し、写真がほしいんです」
『え!? 写真ですか……?』
「ええ。……受けてくれますか?」
 左馬刻と一郎くんは、以前あった蟠りが解消されて、それなりに仲良くやっているはずだ。左馬刻の飲みに付き合ったりもしてくれているらしいし、この依頼だって不可能じゃない筈だ。むしろ萬屋として満足できる仕事をしてくれるに違いない。
『あー、……俺は別に、断る程でもないんですけど。でも左馬刻の写真だったら、ぶっちゃけ俺が撮るより入間さんの方が向いてるんじゃねぇかな……? 入間さんが撮らせてほしいって言や、アイツ幾らでも撮らせてくれると思いますよ』
「左馬刻が……? いえ、もし撮らせてくれたとしても私じゃダメなんです。左馬刻が……き、キスしてる写真がほしくて。もしくは映像、でも良いんですが』
『………はぁぁぁ!? えっ!? ……え?』
「か、勘違いしないでくださいね! それで左馬刻を強請ろうとか脅そうとかじゃありませんから」
『いや……流石に、仲間にンなことしねぇのは分かりますけど……』
「ふふ、左馬刻がキスするところなんて絶対すごく絵になっててカッコいいでしょう? それを見ることで耐性をつけないと困るんです。なのでお願いします、一郎くん」
『あー……耐性……? 深く突っ込んでいいもんか迷うけど……そもそも左馬刻って誰か、キスするような相手がいるんスか……?』
「ええ、もちろん居ますよ。何しろチームメイトの私にキスしてくるくらいですからね」
『……え? ……いや、その。……え?』
「おや、どうしました?」
 謝礼額が足りないのでしたら、上乗せしても構いませんよ。そう言ったが、安くて早くてたくましい萬屋さんは沈黙した。
 どうしたんだろう、俺は真剣に悩んでいるのに。そして実は依頼する前から気になっていることもあった。今の反応も併せて、殊更に。
────もしかして一郎くんも左馬刻にキスされたことがあるのか?
 碧棺左馬刻と山田一郎。二人は俺と比較にならないくらい有名人だ。居酒屋で飲むなら人目に付きにくいよう個室を選ぶかもしれないし、個室で……とか、全く有り得ない話じゃないよな。左馬刻にキスされるところを想像してしまって、コホンと咳払いして誤魔化した。電話越しで表情を見られずに済んだのは僥倖。
 とにもかくにも、まずは左馬刻にキスされるのに慣れなければ。俺は左馬刻を意識してしまうが、左馬刻はきっと俺に対してそういう感情を持っていないだろう。ウサギ扱いして俺を揶揄っているだけに過ぎない。俺自身の立ち位置を弁えるためにも、俺の知らないところで誰かにキスしている左馬刻を見ておきたかった。そうでもしないと俺は、左馬刻からウサギ扱いされてるだけなのに変な勘違いをしそうなんだ。左馬刻が俺のことを、ただのチームメイト以上の存在だと思っているとか。左馬刻が俺を、仲間以上に特別に思ってキスしてるんじゃないか、とか。だって左馬刻がウサギ扱いしてくるときは、いつも優しい目をしているから。耳元でキスされた時の、少し湿った音まで思い出してしまう。
「一郎くん?」
『あ、……すんませんボーッとしちまって。えっと、なんでしたっけ……つーか、左馬刻……マジかアイツ何やってんだ付き合ってねぇのにソレって……』
「しっかりしてください。……あの、もしかして一郎くんは、左馬刻と、その……唇を」
『ねぇよ!! いや、ないですから!!』
「? ……そうですか。では、ひとまずそういうことにしておきますね」
『疑ってますよね? マジで違うんで! そんな趣味ねぇし俺は推し一筋ですしアイツだって前に飲んだ時……いやコレ知られたら面倒くせぇから言わねぇけど……あー、とにかく、左馬刻が他のやつとイチャついてるところなんて撮れねぇと思いますよ……』
「そうでしょうか……?」
『ダメ元で良けりゃ依頼受けます。実際ないものは撮れないんで、それでも良けりゃお試しってことで」
「いえ、助かります。それではよろしくお願いしますね。……そうだ、どうせなら私の家に泊まりますか? ついでに、左馬刻の昔話でも聞かせてください」
『ま、マジっすか!? ……あーいや、メチャクチャありがたいっすけど……嗅ぎつけられたらキレるどころじゃ済まなくなりそうなんで、遠慮します……』
 そうか。たしかに、過去あった出来事をバラされていると分かったら左馬刻だってメチャクチャ恥ずかしいかもしれない。今より若かったし、知られたくない失敗をしたこともあるかもしれない。俺はそれを知ったって幻滅しない自信があるが。
 
 
 
 調査はお試し、一週間。左馬刻の様子を陰から視察してくれた一郎くんが、本日最終日に俺の部屋へきて調査報告をしてくれる手筈になっている。滞りなく進み、チェアに腰掛けた一郎くんが俺の前に写真を並べてくれた。
「……これは」
「見ての通りっスね。……なんも出てこなかった。つーか、昔の左馬刻の方がよっぽど遊んでたと思う」
 左馬刻はヨコハマで、至って普通にヤクザな生活を営んでいるだけだった。ミカジメの回収やら火貂退紅からの呼び出しに、シマの見廻り。あとは中華街で飯を食ったり、店で酒を飲んだり。酒を飲んでいるくせに、女とキスをしてイチャイチャしている様子もなければ、この一週間の調査結果を見る限り他のディビジョンメンバーとイチャイチャしているわけでもない。これはアテが外れた。並べられた写真を一つに纏めて、端を揃える。
「……ありがとうございます。謝礼をお渡ししますね。ところでこの写真は頂いても……?」
「それは良いっスけど」
 皆まで言うな、左馬刻が映っている写真が欲しかっただけだ。左馬刻は俺にキスをするときは優しい目をしている。でもこの写真に写った左馬刻は、周囲を威嚇してばかりいた。あの顔は、今のところ俺にしか見せてないらしい。一郎くんがジッと見つめてくるから、言わんとするところを察せられて、苦笑する。
「左馬刻の相手探しは振り出しに戻る、という感じですね」
「あの、入間さん。なんつーか……俺が言うのも余計かもしんねぇ、スけど」
「いえ、お聞きしたいです。何ですか?」
「左馬刻のヤローは確かにモテてるとは思うけど、相手探しすんなら、左馬刻の周りを探ってみるとかじゃなくて……左馬刻の気持ちになって考えてみた方が早ぇんじゃねぇかな」
「……左馬刻の気持ち、ですか」
「左馬刻に好きな相手が居たとして。アイツが好きになるならどんなタイプかな、とか」
 一郎くんの助言を咀嚼して、少しずつ飲み込む。
 左馬刻の好きな人。左馬刻の好みのタイプ。
 そういえば今まですっと、俺は左馬刻のそういうプライベートな部分について聞いたことがなかった気がする。別に左馬刻の邪魔をするつもりなんかなかったから、知らなくても良かった。だけど、もし左馬刻が想いを寄せている人間がいるとしたら、それは一体誰なんだろう。しばらく考えて、考えた結果。
「……左馬刻にアプローチされて振り向かない相手なんて居ませんよね?」
 左馬刻がフラれるなんて想像がつかなかった。一郎くんは俺を見て、それから視線を明後日の方へ逸らす。
「あー……まぁ、たしかに……?」
「左馬刻の気持ちになる、と言われても……余計に分かりません。ウサちゃんなんて可愛いらしいガラでもないのに、私をウサギ扱いするんです」
 左馬刻の好きな相手は分からないが、俺がウサギ扱いされてることくらいは分かる。でも仕方がないじゃないか。だって俺は男だし、左馬刻は女が好きなんだから。
一郎くんは何やら考え込んでしまったようで、腕を組んで「ウサギ扱い、ですか」と苦い顔をする。
 その時だった。ガチャリと玄関の扉が開く音がして、誰かが廊下を歩いてくる足音が続いた。一郎くんがハッとする。心臓が跳ねた。リビングのドアが勢いよく開いて、左馬刻が姿を現す。
まさか、と思った瞬間に目が合った。左馬刻は不機嫌そうに眉根を寄せて、それから舌打ちをする。
「よぉ、一郎。銃兎に手ぇ出さなかったのは褒めてやるよ」
「そのつもりだったらわざわざ連絡するわけねぇだろ……貸しイチで今度メシ奢れよな」
「連絡……? ちょっと待ってください、貴方が左馬刻を呼んだんですか!?」
 俺の知らない間に話が進んでいたようだ。左馬刻は「分かったからウサちゃんと二人にしろや」とだけ言った。
「えっと、あの、左馬刻?」
 状況が飲み込めないままの俺に構わず、左馬刻は一郎くんを強制退場させるように玄関へ引っ張っていく。
「アンタが紛らわしいことしてっから拗れるんだろ」「うるせぇな俺様はメチャクチャ分かりやすく示してたわ」「はぁ? どこかだよウサちゃん扱いしてただけなんだろアホ刻」「ア゙ぁ? つかテメェ勝手にウサちゃんとか呼ぶんじゃねぇ!」。俺をそっちのけで遠慮なく言い合っていたものの、一郎くんの見送りが終わると気怠げに細められた瞳が俺を捉えて、ピンと緊張が張り詰める。
「なぁ、理鶯以外のオトコ連れ込んでんじゃねーよ」
「連れ……っ、俺は別に、そんな」
「リビングに案内して茶ァ出してやって、そんなの連れ込んでるのと一緒だろ。……ああ、この写真、昨日の夜か」
「へ、……あ、知ってたのか……?」
「フン。こそこそ嗅ぎ回られて気付かねぇほど鈍かねーよ……泳がせてから捕まえて吐かせたら、銃兎のお願いだって言うからよぉ。俺様の写真なんか欲しがってどうすんだ?」
 理由までは知らないらしい。左馬刻は「別に撮りたけりゃ自分で撮れば良いだろ。そん時はウサちゃんの写真も撮らせろよ?」とか冗談めいた口調で続けて、俺の座っていたソファに腰を下ろす。
「銃兎も座れや」
「あ、ああ……」
「俺の機嫌取りてぇ時は? ウサちゃんどこに座れば良いか分かるよな」
「…………」
 分かるのが悔しい。だが、今の状況で不利なのは圧倒的に俺だ。涼しい顔しながら不満を訴えてくるボスに負けて、左馬刻の隣に腰掛ける。口では何も言わないが、空気がほんの少し和らいだ。
「左馬刻、勝手に写真を撮ったのは謝る。すまない」
「俺様の弱みでも握ろうとしてんのか?」
「そんなわけないだろ……! 分かってるくせに、意地悪してくんじゃねぇよ……俺はただ、…」
 左馬刻は黙って続きを待ってくれている。なんて言えばいいんだろう。一瞬迷ったが、答えはシンプルなものだった。
「……左馬刻のことが知りたかったんだ」
「それで一郎に頼りやがったのか」
「山田一郎はTDDの元メンバーで……お前とも付き合いが長いだろ? だから……俺の知らない左馬刻のことを知りたかったんだ」
「知りてぇなら俺様が教えてやる。何が知りてぇんだよ」
「……組の舎弟とか、山田一郎と……キスしたことって」
「ねェわ!!!!!!」
 食い気味に否定した後、左馬刻は「マジかよ……」と頭を抱えている。そうか、キス、してないのか。
「付き合ってる恋人とか居ない、のか」
「いねぇよ。つかお前ナニ考えてんだ、俺が……あーもういいわ。マジでそれは有り得ねぇからな。お前ちっとは俺の身になって考えてみろやそしたらすぐ分かンだろ」
 一郎くんと同じ助言をされた。
 仮に左馬刻がキスを与えるような相手がいるとしたら、ヤクザ稼業とは関係なく、もっと特別な絆や愛着や、愛憎を抱えている相手だと思っていた。
 思っていたんだが、違っているのかもしれない。山田一郎ではない、として、他にどんな相手なら左馬刻がキスしたいと思うんだろう。
「左馬刻の気持ち……。あの、」
「ん?」
 言おうか迷い、それでも口に出さずにはいられなかった。付き合ってる相手、はいないみたいだけどお前、もしかして。
「好きな子とか、いるのか」
 予想が当たった。我が意を得たりとばかりに口角を上げた左馬刻の仕草だけで解ってしまう。
「おう……俺様にはなァ、特別お気に入りで、すげぇ好きな奴が居んだよ。それも昨日今日の話じゃねぇ」
「好きな、奴……」
「言っとくが俺様は別に隠しちゃいねぇ。鈍すぎてソイツだけ全然気づいてねぇんだけどよ、理鶯も一郎も……つーか俺らの周りの奴ら皆知ってんぜ」
「………!」
 周りの奴は皆、知っているのか。
 どういうことだ。どうして。
 俺にだけ、左馬刻は教えてくれなかったのか?
 そう思うと寂しくて胸が締め付けられた。俺は本物のウサギじゃないから寂しくても死なないが、心は痛くなった。
 左馬刻は俺のことを、ウサギ扱いしている。「ウサちゃん」なんて呼ばれて揶揄われて、ニンジンのスティックを食わせてきたりして、二人きりになると抱きしめられる。くすぐってきたり、頬や額にキスされる。意識しないなんて無理だろう。好きにならない方が無理に決まってるんだ、こんなの。俺は他の誰かに目移りなんてしようがないのに。
 俺は左馬刻の横に立っていて、同じチームの仲間で、今だって隣にいるのに。だけど左馬刻には好きな相手がいて、俺はそれを知らなくて────ダメだ、考えるほど堂々巡りするだけだ。余裕がなくなって心臓がウサギみたいにバクバク鳴っている。耐性なんか全然つけられなかった。左馬刻と二人きりになるとキャパシティオーバーになっちまう。四つ年上なのに、この体たらく。カッコ悪すぎてこんな俺を見られたくないのに、左馬刻は俺の心配を全部見透かすみたいに笑って、甘やかしにかかるんだ。そういうところがズルい。
「ウサちゃん考えすぎだろ。ったく」
 途端に、ふわりとすぐ近くで漂う煙草の匂い。俺を抱き寄せた腕が背中を撫でる。耳元で囁かれる吐息混じりの「情けねぇツラしてんな」。ハスキーに掠れた、ビターで優しい、俺が世界で一番好きな男の声だった。
「俺様が惚れた奴は、簡単に好きだっつったらピョンピョン逃げちまうだろーからな……絶対逃げらんねぇとこまで追い詰めて捕まえてやんだよ。すげぇ可愛いし、俺様に甘いヤツ。心当たり、何にもねぇの?」
「! ……~~っ、……」
 やめてくれ、左馬刻。そんな、大好きでしょうがねぇみたいなの、お前の立場を考えたら、俺なんかに言ったらダメなのに。それなのに抱きしめられて、逃げ場がなくなっていた。
「つーか可愛いすぎて虐めたくなっちまうんだよなぁ。そっちの方でも、ひんひん啼かせて可愛がってやんよ……やらしいことも恥ずかしいのも俺様の為なら頑張れるよな、銃兎?」
 吐息混じりの声が鼓膜を震わせる。頭がクラクラして、身体の芯まで火照るような錯覚を覚える。熱い。俺を逃がさないように腕の中へ閉じ込めてくる左馬刻に、抵抗できなかった。だって左馬刻が俺にしてくれることだから。初めてチュッとされた時だって、甘噛みされた時だって、最初は驚いたし抵抗もあったのに、今ではすっかり受け入れてしまっている。

「っ……う……くそ、…さ、さまときのばか……すけべ」
 もうグダグダだ。せめてもの抵抗で悪態を吐こうとしたが、緊張してるのと左馬刻が好きなのとで、いつもの声量とは程遠い上に文句まで拙すぎる。左馬刻に触れられて見つめられると、お前のことしか考えられなくなる。
「ハハッ、馬鹿はテメェだろ。俺様のことが好きすぎるウサちゃん」
 ちゅ、と頬にキスされてリップノイズが鳴った。少し湿った音を立てられて、むずむずして恥ずかしいけど、嫌じゃなかった。左馬刻にキスされるとキュンキュンして少し苦しいのは変わらないはずなのに、もっと欲しくなっていく。
俺以外の誰かにキスしたり、イチャイチャする左馬刻を見たら、きっと胸が痛んでしまうんだ。左馬刻には俺だけを見ていてほしい。必要とされたい。傍に置いて手放したくない男に、いや、そうだな、
「……左馬刻にならウサギ扱いされてもいい。だから、」
「アァ゙!? ……お前そこは恋人って言うとこだろうが」
 ムッとあからさまに不服な顔をする左馬刻が年下相応に可愛いくて、思わず笑いが漏れた。そうか、ウサギじゃなかったんだな、俺。
「恋人扱い、してくれるのか?」
 勇気を出した俺の声に返答はなかった。無言のまま、唇に左馬刻のがぴったり重ね合わされる。今まで何度もキスはされたけど、口にされるのは初めてだった。
 例えば、ペットのウサギが可愛いすぎて口にキスする飼い主だって世の中にはいるんだろう。だけど今の俺にはもう分かってる。色々と遠回りしたし変な勘違いもしてしまいましたけど、ここまでの話は全て、私がウサギ扱いされてるわけじゃなかったんです。
……左馬刻はウサギじゃなくて俺のことが凄く大好きなんだって話。照れ臭いけどきっと、いや、絶対そうに決まってる。