好きにならない余地をくれ

「おせぇぞ銃兎。俺様の機嫌を損ねたらどうなるか分からねぇほどバカじゃねぇよなぁ?」
 既に眠いんだろう。
 王様のワガママはいつものことで、だけど今回はいつもより間が空いていた。二週間空いたかそれ以上だったか定かじゃないが、俺が違法マイクの捜査に駆り出されて忙しくしていたのがデカかった。夜中に呼び出しやがってとも思ったが、呼び出されて仕事終わりにいそいそ署から直行で来る俺も俺だ。性別や目的が違っていたら都合のいい女みたいな展開になっていただろう。……もちろん左馬刻がそういう目的で連絡すれば喜んで来る女達が大勢いるのも知っているが、今夜は女じゃなくて俺を呼び出したい気分だったらしい。
 アルコールか眠気なのか、温まった指先が俺の顎をグッと捕まえてくる。強制的に目が合う。冴えたバイカラーの碧が溶けて、いつもよりトロンと甘い。ぼんやりとして無防備だ。じゅーと、とねだってくるように呼ばれると、俺はもう絆されてしまう。いかにも仕方ありませんねってポーズを取っているが、ただの建前だ。
「……分かったから。今日は帰らないから、とりあえず離せ左馬刻」
「フン」
「おい、離せって……!」
 ドアノブを引こうとした俺の手を左馬刻が掴んで、代わりに自分が寝室のドアを開ける。そこでハッとした。忘れてた、風呂。
「シャワー浴びてくるから待ってくれ」
「いらねー」
「いらねぇワケあるか。考えてもみろ。汗臭い野郎が自分のベッドで寝てんのなんか左馬刻も嫌だろ?」
 それに俺も嫌だ。左馬刻の寝具を汚したくないし臭いとか言われたら普通に落ち込むに決まってる。冷静になってほしかったが、左馬刻は納得するどころか俺の言い分を鼻で笑った。
「野郎っつーかウサちゃんだろ。だきまくらにしてやんよ」
「う、……ウサちゃんじゃねぇ! 抱き枕も嫌だっ」
 この酔っぱらいが、と思う。思いはするのだがパワーで勝負したところで左馬刻に勝てるはずもなく、抵抗も虚しく俺はベッドへ引き摺られていった。ここまできてしまったら後戻りはできない。明日の朝になって文句言っても知らねぇからなバカ。開き直ってYシャツとスラックスのままゴロンと横になると、左馬刻様は大層お気に召されたらしい。
「一緒に寝よーな」
 シーツの温度は冷んやりしていて肌への触れ心地もいい。一緒に、という言葉通り、俺のすぐ横でシーツに身を預けた。だが眠るよりも前に、俺の身体を緩く抱きこんで自分の好きにしてくるもんだから、これは困った。身動きが取れない。急にハンドル切るな!友達枠というコースから外れそうになってるぞ?コース離脱だ。友達レース失格で抱き枕コースだ。
 胸の高鳴りが憎い。こんな時にも左馬刻を意識して、馬鹿正直に心臓が暴れやがる。
鎮まれと念を送っても意味なんてなかった。心音を探るように腹に回していた左馬刻の手がゆっくり這わされて、左胸の上で止まる。吐息の混じった湿っぽい笑い声がすぐ耳元で聞こえる。くそ、またドキドキしちまう。バカ。もうやめろ。
「じゅうと……緊張してんのか」
 完全に動きを封じてシメるみたいな強さでは決してない。いや、左馬刻なら人をシメるくらい造作もない日常だが、少なくとも俺に対して今発揮されてる拘束力はゆるゆるだ。それでも呼吸すらままならない。
「寝るときは眼鏡いらないよなぁ。取らねーと」
 軽い調子で視力を奪われる。眼鏡は丁重にベッドサイドにある棚の上に置かれたようだが、すぐにまた抱きしめられた。
「さまとき……」
「ンだよ」
「何してんだよ。なんでこんな……」
 左馬刻の腕の中に閉じ込められて、鼓動が伝わってしまう。そのせいで余計にうるさい俺の心臓の音も全部バレているに違いない。恥ずかしさで死にそうだ。なのに左馬刻は離す気がないみたいで、俺を解放するわけでもなく沈黙だけが続く。何も言わず、ただ呼吸をしている。
鼻先の尖った感触が首筋に埋まった。すん、と体臭を嗅がれているような気がした。されるがままにじっとしていたが流石に嗅がれるのは居心地が悪い。嫌がらせならせめて今度にしてくれ、今は困る。
「……おい……」
「あ?」
「近すぎる。ちょっと離れろ」
「やだ」
「やだってお前な」
 駄々っ子か。
「いいから黙ってろ」
「ぅあ、……っ」
 きゅっと力を込められて思わず妙な声が出た。俺の首元に顔を埋めたままの左馬刻が小さく呟いた。
────銃兎。
 名前を呼ばれた。たったそれだけで全身の血が沸騰しそうになる。どうして俺の名前をそんなに切なげな声で呼ぶんだ。勘違いしちまいそうになるだろうが。俺は男で、左馬刻も男で、しかも俺達は悪友で、仲間だ。同じチームのメンバーでそれ以上でもそれ以下でもない。なのに俺ばっかり意識してこんな気持ちになるのは理不尽だ。だからもう、勘弁してくれ。
「左馬刻……頼むから離せって」
「眠れねーのかよ……?」
「…………」
「ここしばらく忙しかっただろ? お疲れさん」
「……んなこと言うために俺を呼んだのか」
「あ? ンなことって何だよ……どうせテメェ一人で居たって気が立って眠れねぇくせに」
 俺の為に、こんなことしてくれやがったのか。それは何というか、まぁ、仲間思いな左馬刻らしい。誰かの世話を焼くのが好きなんだろう。正直有難いし、とても嬉しい限りではあるんだが、俺は左馬刻に下心も混ぜこぜの想いを抱いているから、優しくされたら余計好きになっちまう。男は単純なんだよ。好きになられたら左馬刻様だって困るだろうし、さっき俺の心臓がウサギみたいにバクついてたのは忘れてほしい。
「この俺様が添い寝してやってんだ。ちゃんと寝ろ。んで起きたら朝飯も食えよ」
 左馬刻は俺の気持ちを知る由もなく、俺を抱き枕にしたままだ。目を閉じると視界に落ちる闇と、左馬刻の体温と、香りも感じられた。なんの真似事をしてるのか、俺の手の位置を探って、無意識に握っていた拳を開かせた。手袋はリビングで脱いで置きっぱなしだ。裸の手のひらに自分の手のひらを重ねて、指と指を絡ませるように繋いでくれる。左馬刻はやっぱり温かった。
「……左馬刻、」
「ッ、……いや変な意味とかねぇからな。アレだ、力抜かせてやろうと思ったっつーか」
「うん、……なんか眠れそうだ。あと少しだけこのまま……少しでいい」
「朝までこうしててやる」
「ふふ、ばぁか、冗談……腕痺れちまうだろ……」
 真面目なトーンで言われて笑った。朝まで付き合わせて左馬刻の腕が痺れるのは可哀想だから、もう少しだけ、この温度を感じさせてほしい。左馬刻が何も言わずに俺の手を握ってくれるから、俺も握り返した。言葉は交わされない。ただ手を繋いでるだけで、それでもう充分だった。
 左馬刻の言う通り、寝つけない夜を重ねすぎてしまっていたのは事実だ。無理矢理に目を閉じて眠ったりもしていた。昨日まであんなに煩わしかった暗闇が、左馬刻といるとふわふわして、柔らかく、深くなっていく。明日、起きたらありがとうって言おう。意識が途切れる間際に聞こえた「おやすみ」の声は小さくて微かだったが、確かに届いていた。