どうやら大事にされてたらしい

「左馬刻が楽しそうで何よりですよ」
 乳白色の猪口に唇を寄せたが、やっぱり堪えきれなかった。クス、と微かに笑いが漏れる。この距離だ、左馬刻にはバレる筈ないだろう。茶化したわけではなく本心からの感想だったが、俺の正面に座っている観音坂さんと伊弉冉さんは二人揃って微妙な顔をした。そんな顔をされるほど飲んだつもりはないが、どうしたんだ。今日の飲み会は大人数なのもあって座敷の間の貸し切りだ。離れたところにある一番手の卓で鬱陶しそうに顔を顰めながらスコッチウイスキーを消費している左馬刻を酒の肴にするくらい許されるだろう。
「ウサちゃん大丈夫……? 酔ってない?」
「酔ってますよ。お酒飲んでますし」
「いや、えっと……入間さん、そういうことではなくて……」
 俺よりも深夜のサラリーマンとかホストクラブの客の方がよっぽどヤバい酔い方してるんじゃないかと思うんだが、ちょっと心配しすぎじゃないか?
 なんなら酒を飲むと最終的に潰れてしまいがちな観音坂さんの方が難儀では。別に吐いたり脱いだり泣いたりするわけじゃないんだから全然平気なのに。視線をテーブルの上の刺身盛り合わせから右方に流すと、今宵はなんとか酒を飲まずにいてくれているシンジュクのリーダーが、左馬刻にひっついている飴村乱数を諫めている(とはいえ完全に聞こえていないフリをされているが)。俺がお代わりを手酌していると、同じように視線をそちらに流した伊弉冉さんが「うへぇ、ザーヤクが今スゲェこっち睨んできたって。コワー」なんて言うからムッとする。

「左馬刻はあれでいて優しいんですから。気のせいでは?」
 思わず反論したのはもちろん贔屓目だ。ウチの子が一番かわいいって言うだろ。俺にとっては左馬刻が一番だからな。
「ええっ、優しいー……? マジでぇ? 俺っち今ガン飛ばされたとしか思えなかったんだけど」
「ああ……ここからでも分かる。めちゃくちゃ機嫌悪そうだよな……」
「何もしてないカタギに喧嘩なんか売りません」
 左馬刻はヤクザだけど話の分かる男だし、キレなきゃ見境だってある。俺はハマの王様をこの二人よりずっと近くで見てきているし、支えることにも貢献しているつもりだ。ついでに「あんなに最高の男、左馬刻様の他にいるわけないでしょう、ふふん」なんて、謎の優越感を披露してみる。と、山田一郎が一番手の卓から俺の隣に移動して、ストンと腰を落ち着けてきたのが意外すぎた。思わず瞬きしたが「入間さん、乾杯。俺コーラですけど」なんて年相応に無邪気な笑顔を向けられたら悪い気はしない。
「……ええ、乾杯。どうしたんです?」
「いや左馬刻の野郎、好きなヤツがいるって言うんですよ。でも告白すらしてねぇって言うから……入間さん、何か心当たりあるんじゃねぇのかって」
「……いえ。初めて聞きました」
「えぇっ!?」
「……あー」
「……マジか」
「なんですか三人そろって」
 三人の顔を見回しても、一様に表情がすっきりしない。もしかしてこれは、アレだろうか。所謂恋バナというやつ。このメンツで? というか一番手は皆で何を話してやがるんだ。 しかもよりによって左馬刻の話かよ。
 ……まぁ確かに、左馬刻は女にモテる。男からも憧れられる。ヨコハマの王だって恋愛くらいするだろう、当然。左馬刻が恋か。美しい女性と二人で並び歩く左馬刻の姿を想像してみる。言うまでもなく違和感なんてない。それなのに、なんだか意外というか、不思議な気もする。好きな奴がいるなんて話をされたことは一度もなかったからだろう。左馬刻と付き合ったとして、その相手は色々と苦労するだろうし、面倒に巻き込まれて大変そうだとは思う。だけど、そうだな、きっと────
「……付き合ったら大事にしてもらえるんじゃないですかね。ルックスとか金とか地位とか権力とか、それもアイツの魅力ですが……それ以上に、あの左馬刻様に本命として愛されるなんて、すごく幸せだろうと思います。……いえ、個人的な意見として……あの、忘れてください」
 顔が熱くなってるのが自分でも分かるから、酒に任せてしまおう。中身を干してしまう。ガラにもないことを言ってしまったが、幸せになれるっていうのは、誰より俺が保障する。
 左馬刻様は俺が誰よりも惚れ込んでチームを組んだ男だから。左馬刻なら大丈夫だと自信を持って言える。

「……ウサちゃんってさぁ、いっつも思うけど碧棺のこと大好きだよなぁ」
「ふふ、内緒にしてくださいね……一郎くんも。それと、左馬刻の好きな相手は私ではなく左馬刻に聞いてください。理鶯と三人で飲んでいる時も、そんな甘ったるい話はしたことがないので」
 三人で飲むと下らない馬鹿話か物騒な事件の話か物騒な料理の話をすることが多い。左馬刻と二人で飲んでる時もそんな感じで、恋愛相談なんてされたこともしたこともなかった。
「ちょっと想像つかないですよ。特定の女性を特別扱いしてるのなんか見たことがないんです。……ですが左馬刻と四六時中一緒に居るわけでもないですし、私が知らないだけかもしれませんね」
「あー……そうか……そうだよな、見たことはねぇよな……」
「うーん……」
「ははは……」
 イメージも付かないし分からないが、左馬刻の好きなタイプってどんな子なんだろうな。ルックス重視、性格重視、どっちにしても、左馬刻が選ぶんだから良い子に決まってる。好きな子と付き合えたら、俺と理鶯には報告してくれるよな。だって左馬刻は俺達の仲間なんだから。それは、今までもこれから先も変わらない。
 理鶯は今日の飲み会に来られなかったけど、次に会った時にでもこっそり教えてやらないとな。左馬刻に好きな相手がいるなんて新情報、びっくりするに違いない。
 そんな調子で彼らと左馬刻のことを話していたら、どんどん酒が進んだ。日本酒の次は、どうしようか。一郎くんに合わせてコークハイも良いかもしれない。上がった体温と、適度に気を許せる友人達の気配と声がするのにすっかり気が緩んで、堪えきれずに机に頬を付けた。天板がひんやり冷たく感じる。心地いい眠気が、緩んだ意識を烟らせた。

「へ!? あの入間さん、大丈夫っすか……!?」
「ええ、うん、はい……うん……」
 まるで夢現の境にいるみたいだ。ふわふわする。身体が熱い。瞼を持ち上げているのも億劫だ。でもせっかく楽しいんだから、寝たら勿体ないよな。
「おい、寄ってたかってウサ公を潰そうとしてんじゃねぇぞ。テメェら全員吊るされてぇか」
「すみませんすみませんすみません!」
「ザーヤクだ! やっぱり来ちゃったか~、分かってたけど!」
「テメ俺の席取んじゃねーよ!」
「うるせぇから全員散れ。向こう行けや。……銃兎、どっか具合悪ィのか? それとも眠いだけか……?」
 いつもの、ざらついて低い喋り声だけが一等くっきり聞こえる気がした。ずっと聞いていたいな、と思いながら、そっと目を閉じた。
 
 
◯ ●
 
 
「銃兎、じゅーと……まだ寝てんのか」
 淡い微睡みの隙間を通り抜けて耳に届いた声で意識が確実に引き戻される。「おきてます……」と答えはしたけれど、声も小さければいまいち呂律が回らなくて我ながら信憑性が無さすぎたよな、今のは。
「ははっ、寝言かよ」
「……寝言じゃない。起きてる……」
 笑い混じりの吐息。なんだか甘やかされてしまったようで、くすぐったい気分になった。座敷の宴会場であることを幸いに寝かされてしまっていたらしい。アルコールが回っているせいだろう、気怠い感覚を払うように伸びをする。俺の近くには左馬刻しかいないし、だらしなくても構わないだろう。左馬刻はいつもみたいに悪そうな顔をして、お行儀悪く机に肘をついて俺を見下ろしていた。カラン、と涼しそうに奏でられるロックグラスの氷の音。
 寝落ちする前まで俺の正面にいたはずの伊奘冉さんと観音坂さんはいないし、隣にいた山田一郎もいない。まさか本当に吊るすわけはないだろうけど、俺のせいで吊るされたら困る。安否確認の為にも身体を起こした。「シブヤは向こうの席、一郎とシンジュクは左」と顎で示された方を見る。なんだ、俺の知らない間にみんな席替えしたのか?
 左馬刻と俺だけ離れて、周りに誰もいない。避難するにはうってつけの場所取りだが、左馬刻は不本意だったんじゃないか。
「すまない……俺が寝ちまったから。左馬刻、ひとりにして……退屈だっただろ」
「別に。……お前も理鶯もいねぇし、やたらうぜぇし疲れたから丁度良かったわ」
「そうか……?」
 寝転がったせいで乱れていた髪を軽く手櫛で整える。周囲には他に人がいなかった。気を遣われていたのか、左馬刻に都合がいいから寝かせてくれていたのか、どちらにせよ席替えは避難する口実に丁度良かったんだろうと結論づける。
「でも銃兎は飲み過ぎだろ。もう水にしろ」
「あ? なんだよ左馬刻……うるせぇ……」
「帰れなくなんぞ」
「いいからほっとけ……飲ませろ……お代わりするんだ……」
「酒よりこれ気になってたんじゃねぇのか? ハンペンとチーズのやつ。注文してやったから食えよ」
「! ありがとう……」
「俺らンとこに皿あって取れなかったんだろ。お前が遠慮してんの分かってんだわ」
 そういう優しいところが好きなんだ。普段の粗暴な振る舞いと言動で誤解されがちだけど、左馬刻は人の所作をよく見ているし、俺の回りくどくて面倒な気質まで理解してくれている。こんがりと狐色に焼かれたハンペンはふわふわだ。挟んであるチーズはとろとろに溶けていて、言うまでもなく相性抜群。あっという間に一つ食べてしまった。
「気に入ったなら今度ウチで作ってやるよ。海苔とか巻いても食いやすくなるしイケるんじゃねーか?」
「うまそうだな……ありがとう、左馬刻。楽しみにしてる」
「おう」
 左馬刻が作ってくれるものは何でも美味しいけど、俺の好みを考えて作ってくれるのは余計に嬉しい。差し出してくれるから水も飲み、ハンペンを続けざまに口に運んで皿を空っぽにしてしまったところで、左馬刻が何か言いたいことがあるような顔で俺をじっと見ていることに気付いた。……そうか、ハンペン、俺が独り占めしちまった。
「……すまない、なんだかお腹空いてて……うまいから全部食べちまった」
「あ……? それはお前に食わせてやろうと思ったから別に良いわ。それより銃兎、アイツらと何話してた」
「……それも見てたのか」
「そっちだって俺ら見てただろうが。流石に気付くわ」
 拗ねてるみたいだ。もしかして向こうで飲んでるの、あんまり楽しくなかったのかもしれない。ほんの少し申し訳ない気持ちになりながら「左馬刻のことだよ」と正直に白状すると、左馬刻が「へぇ」と口端を上げて頬杖をついた。
「左馬刻がみんなに囲まれてて嬉しいって話と、……左馬刻に……えっと」
「俺様が何だよ」
「……好きな相手ができたって……本当なのか?」
 勇気を出して踏み込んでみたものの、左馬刻は視線をどこか遠くに遣り、沈黙し、やがて舌打ちする。観念したみたいに「一郎だな」と呟いた。クソガキが、なんて悪態つきで。もしかして左馬刻が好きな相手は山田一郎、だったりするのか?
 ……左馬刻と、山田一郎。考えてみたら信憑性も中々にありそうじゃないか。二人が一緒にいるところなんて何度も見たことがある。今日だって二人でケンカしながら楽しそうにやってたもんな。
「左馬刻は、一郎くんが好きなのか……?」
「あ゙ぁ!? 何言ってやがンだ」
「だから……左馬刻は山田一郎のこと好きなんだろ、って」
 こんなことを左馬刻に聞くのは初めてで自分でも動揺しているが、背中を押してやりたい気持ちはあった。俺が冗談を言ってるわけじゃないとすぐ伝わったらしい。左馬刻は深く溜息をついてから苛立たしげに髪を掻き上げた。
「………はぁぁぁ。ったく……何言い出すかと思えばテメェマジか」
「……なんだよその反応」
「銃兎よぉ、俺様が一郎なんか好きになるワケねぇだろうが。つーかどこをどう見たらそう見えンだよ」
「…………」
「おいやめろ変な想像してんじゃねぇぞ。一郎は昔の仲間でただのダチだ……ムカつくヤローでもあるけどよ」
「……そうか」
 この様子だと一郎くんではないにしても、好きな相手がいることは間違いなさそうだ。でも左馬刻は眉間にシワを寄せ、不本意そうな表情をしている。
「……好きな相手と、うまくいってねぇのか?」
「うるせぇな……もう黙って寝とけお前」
「揶揄ってるわけじゃない。俺で良ければ協力してやるよ」
「…………マジで言ってんのか」
「当然だ。好きな相手と上手くいってほしいと思ってる。応援してるし、俺は左馬刻のサポート役だからな」
「サポートねぇ……俺様の横でむにゃむにゃ呑気に寝てたくせに。ほっぺたつっついたら『さぁとき……』って言ってたぜお前」
「お、起こせやクソボケっ!」
 そんなこと言った記憶がない。気の抜けた寝顔を見られていたのも恥ずかしいし、寝言だって聞かれたくなかった。羞恥と憤りで顔が火照る。
 目の前の美形すぎるヤクザは悪戯が成功したとばかりに笑ってやがる。クソ、お前は良いよな。寝顔だって一級品の造形美でサマになることくらい、とっくに知っている付き合いの長さだ。俺が怒ったところで左馬刻は反省の色皆無。涼しい顔してやがるので早々に諦めた。……俺を一人で寝かしておいて左馬刻だって退屈してたはずだ。この距離だ、他の奴に見られてないだけマシだろう。揶揄うのに満足したらしい左馬刻は、酒を飲みながら静かな声で話し出す。
「俺様に協力してくれンなら、そうだな……ここ抜けて、ハマ帰って飲み直そうぜ。足呼ぶからウサちゃんは俺様のマンションでお泊まりな。真面目な巡査部長サンは明日休みなんだろ」
「休み、だが」
「俺様も休みにすっから一緒にメシでも食って、……どっか行きてぇとこあるか?」
「えっと、今は、……特に」
「まぁ無理して出かけなくても良いだろ。……ウチで映画でも見て、テキトーにだらだらすっか」
 まさかそんなことを言われるだなんて思いもしなかった。驚きのあまり、何も答えられない。嫌じゃねぇだろ、と言われて、嫌ではないから頷く。空気はふわふわ緩んでいるのにさっきから変なことを考えてしまって落ち着かなかった。だって出かけるでもなく、目的はないのに家でだらだらするだけって、これじゃまるで、
「さ、左馬刻……! それは、でも」
「あ?」
「……俺といたい、って聞こえるんだが……」
 核心を突いた問いかけを投げたくせに、自分の声がやけに心許なく響いて聞こえる。対して左馬刻は「おぉ」と短くぶっきらぼうな返答をして、グラスの中身を飲み干した。お代わりはしないらしい。これは、つまり、そういうことなんだろうか。俺の心臓は急に忙しくなった。いつも通りを装いながら、いつもよりずっと鼓動が速くなってしまっている気がする。
 こんなことでいちいちドキドキしていたら身が持たないだろう。そもそも俺、左馬刻のことそんな風に意識したことなんか今までなかった筈なのに、なんでドキドキするんだ。左馬刻のことが好きだから、とか、まさか。
左馬刻は端末のスクリーンを少しの間触って「シンジュクまで迎え来させたわ」と笑う。舎弟もヨコハマからシンジュクディビジョンまで呼び出されてご苦労なことだが、それどころじゃない。俺の緊張も動揺も全部見透かされてるんじゃないか、これ。
 少し寝て頭はすっきりしたはずなのに、顔がどんどん熱くなっていく。
 顔を上げられずにいる俺の頭を撫でた左馬刻は、そのまま手を滑らせて耳の後ろに触れた。すりすり撫でるのやめてくれ頼むから。聴覚に馴染んだ低音が、内緒話をするように吹き込まれる。
 銃兎、と。
 たったそれだけで身体の奥まで痺れたようになって、俺はもう抵抗なんかできそうになかった。返事の代わりに左馬刻を見上げると、満足げに紅い瞳が細められる。左馬刻に好きな相手がいる。それが誰なのか────もし、もしも、本当にそうだったとして。俺にできることがあれば何だってしてやりたいと思う気持ちに、変わりはない。
「今更もう逃がしてやんねぇぞ。お前が隣にいなきゃ意味ねぇって言ってんだ。……分かるよな?」
 疑問形だが、有無を言わせない口調だった。左馬刻とチームを組んだあの日からの日々の記憶がぐるぐると巡る。
 お互いを知って、時間を共有している。お互いの夢を叶えると決めている。当たり前に、行く末を伴にすることになるだろう。そこに異存はない。左馬刻の人とナリが好きだった。口説かれて惹かれたんだ、俺。それを言ったら今の状況だって、
「く、口説かれてるみたいだ……」
「この程度でか?」
「うぐ……」
 思いもよらない返答に胸を押さえて項垂れるしかない。そう、本当に思いもよらない。
 でも左馬刻がカッコいいこともまた事実なので、しっかりときめいてしまう。左馬刻のこと仲間だって思ってたのに。それだけじゃ、もう済まなくなりそうだ。呻いたまま何も言えない俺の髪に指を通しながら「俺様が持って帰ってやるからウサちゃん良い子にしてろよ」と甘ったるさが残る声で言った。正面から見る余裕はなく、俯いたままそうっと左馬刻を窺い見る。
 上機嫌な割に、そわそわするほど静かな光を湛えた真剣な眼差しで俺を見ていた。俺だけを見ている。うん、もう分かったから。やっぱり色々と苦労するだろうし、面倒に巻き込まれて大変そうだとは思う。だけど左馬刻は優しいところもあるし作ってくれる飯も淹れてくれるコーヒーも最高だし、本命として愛されたら、すごく幸せに違いないよな。