正しい夜の過ごし方

 すぅ、すぅ、すぅ。静かな呼吸に合わせて、自分よりも幾分か厚みのある胸が上下するのを腕の中で感じた。体温がぬくい。ムスクの甘いフレグランスと煙草の匂いと左馬刻の匂いが混じって、それは銃兎にとって一等安心できた。
「…………、………っ」
 とろとろした眠気に身を浸しかけたが、昨夜のことを思い出すと意識が覚めていき、もはや元通り二度寝できそうになかった。昨夜のこと────昨夜、銃兎はセックスするつもりで左馬刻のマンションを訪れたのだった。決してゆっくりぬくぬく眠るためではない。しかし左馬刻は、二週間ぶりに会った銃兎の顔を見るなり休めと言った。休む(暗喩)だと思ったが本来の意味での休む(睡眠)だったらしく、その認識の相違で揉めた。眠る気にならないと主張して、明日は休みなんだ、左馬刻とセックスしたい、好きにしていいから……と男なら全員が皆喜びそうな誘い文句を言ったのにも関わらず全く靡いてくれずベッドに寝かされてしまって、その後の記憶はない。記憶はないものの、自分のバッテリー切れが起きたことは容易に想像がついた。つまり、自分はまた左馬刻に余計な世話をかけてしまったというわけだ。せっかく左馬刻に喜んでもらおうと、シャワーだって署で浴びてきたのにこの始末。大体なんで左馬刻に抱きしめてもらって寝ていたのかも不明だ。寝相が悪すぎてベッドから落ちそうにでもなったんだろうか。
(いやでもこのベッドでかいし、広いし、流石にないよな)
 当直で使う仮眠用の簡易ベッドならまだしも、王の寝室にあるのは銃兎の自宅にあるよりも立派で質の良いキングサイズのベッドだ。頑丈で広くてフカフカで、銃兎も何度もお世話になっているしベッドから転がり落ちたことはなかった。
 では、眠っている自分が無意識のうちに左馬刻に甘えてしまったのだろうか────背筋がひやりとする。連絡していたとはいえ夜中に押しかけて、ベッドを使って寝入り、リーダーではあるが年下の左馬刻に迷惑をかけるなんて、理想の入間銃兎とはかけ離れている。とにかく左馬刻を起こさないように腕の中から抜け出して、改めてシャワーを浴びよう。昨日のお詫びも兼ねてたっぷり奉仕するんだ。そう決心してまず腕をそっと持ち上げたのだが、意外にしっかりホールドされている。ベッドから出ようと試みたが、これがなかなかうまくいかない。眠っているのに巧妙に閉じ込められているが如く。もぞもぞしていると、急に腰に回された腕に力が入って更に引き寄せられた。起きてんのか!?と焦って顔を見上げるも、瞼はぴたりと閉じているし唇からは健やかな寝息が漏れている。……寝ぼけているのか、寝ているのか、判別が付かない。普段獰猛なリリックを刻む唇は小さく開き、どこか幼く見えた。無意識のうちに自分を抱き枕か何かと思っているんだろうか。そう考えると、これはこれでアリかもしれねぇなとか考え出す男の下心。あまり抵抗して起こすのも良くないし、再び腕の中に収まることにした。幸いにして休みなので時間を気にすることもない。
「ふふ」
 まるで恋人みたいだな、と思う。愛を囁き合うわけでも、想いを通わせて抱き合っているわけでもないが、状況だけなら睦まじい関係のように、見えなくもないだろう。朝の緩んだ思考に水を差すものはいなかったが、不意に「んん……」とくぐもった低い声がして、ぎくりとした。
 ゆっくりと、左馬刻の瞼が持ち上がる。他者の気配を察知して現れた鋭い眼光が真っ直ぐにこちらを見て、銃兎だと認識した瞬間、その鋭さがみるみるうちに溶けて優しくなる。「銃兎」と寝起き特有の低く掠れた声で呼ばれて、「おはよう」と返事しそうになったのだが、それより早く抱きしめられて言葉が出ない。ぐ、と再び腕に閉じ込められて、その衝撃に思わず小さく呻く。頭上でくつくつと笑う気配がして、そのまま無言で抱きしめられた。
(寝ぼけてるのか……?)
 夢うつつなのかもしれないが、いずれにしてもこの状態に甘んじているわけにもいかない。
「左馬刻、起きてるのか……? シャワーを借りたいんだが」
「……おー……」
「えっと、おはよう……離してもらえると助かる」
「テメェ帰るのかよ……押しかけといて」
「帰らない。まだ左馬刻としてないだろ」
「……ウサちゃん昨日からソレばっかり言いやがってよ……」
 粒立たない低音は打って変わって不満そうに沈んだ響きをしていたが、寝起きの良くない左馬刻のことだ。単に怠いとか眠たいとか、そのせいだろう。
「とりあえず二度寝すっから……久々に会ったんだから俺様がメシ作ってやるよ」
「……ありがとう、左馬刻」
「シャワー浴びてぇならそん時でいいだろ」
「……コーヒーも楽しみにしてる」
「ふん、」
 ちゃっかりおねだりしてみても左馬刻は鼻を鳴らしただけで何も言わなかった。今日は機嫌が良い日なんだろうか。
(まさか、俺と一緒に過ごせることに喜んでるとか……いや、流石にそれはないよな)
 抱きしめているのだって、ただのスキンシップの一環だ。左馬刻は気を許した相手に対してパーソナルスペースが狭い。深く考えるのはやめて、損ねた夜の埋め合わせをしよう。
 とはいえ現状の銃兎にできることを挙げるなら、再び目を閉じた左馬刻の邪魔をせず、大人しく眠ることくらいだ。惚れ込んだ王の懐、心臓の音を聞ける距離で微睡む幸せときたら、朝から随分な贅沢である。