お前すぐキラキラしやがって眩しいんだよこっちは

 不摂生とオーバーワークが続く中、三寒四温の気候にも揺さぶりをかけられ、ついに熱を出した。まあ見事にやられたもんだ。署から早退して大人しく寝室のベッドにいるが、いよいよ頭がくらくらして、身体が熱いのに寒気がする。俺の不調を知って押しかけてきたチームメイト兼セフレの左馬刻が冷蔵庫を開けたり、何かを調理してくれている音が、微かに聞こえる。
 弱っている時に感じる他人の気配に安心するなんて、左馬刻や理鶯と会うまで知らなかったことだった。
 
 
 
「……じゃあ俺様は帰るからよ。せいぜい養生しろやウサ公」
 揶揄いも混じったような声色ではあるが、部屋や風呂の掃除に洗濯物、食料確保……出かけるどころか動き回るのも上手くできないでいる俺の代わりに、一通り身の回りの世話を焼いてくれた。立ち去ろうとした左馬刻のアロハの白い裾を掴んで引き止めてしまったのは、理性で蓋をして抑えようとしても上回る衝動に駆られたせいだった。
「! ……銃兎ぉ」
「っ……」
 左馬刻は動作を邪魔されて一瞬驚いたような顔をしたが、それが俺の手によるものだとすぐに理解したらしい。目が合うとニヤリと笑う。
「ん? なンだよ」
「~~っ、いや、あの……なんでもない、ありがとう」
「なんでもなくねぇだろ。言わなきゃ伝わんねーぞ」
「……………まだ、ここにいてほしい。もう少しでいいから」
 全てを熱のせいにして伝えた。弱ったところなんかリーダーに、俺の王様に見せたくなかった筈なのに────左馬刻の顔を見て声を聞いたら、離れがたくなってしまったんだ。
 左馬刻はハマを牛耳るヤクザの若頭だ。言うまでもなく組での立場や仕事だってあるし、決して暇じゃないだろう。何やってんだ俺。「いてほしい」って左馬刻に言っちまった後に理性が戻ってきやがった。一度口を突いて出た言葉は戻せない。もう遅い。どうしよう。リカバリーしないと、でも何を言えば。ぐるぐる撹拌される思考にじっと身を固くしていたが、
「分ァった、いてやるよ。ったくしょうがねぇウサちゃんだなぁ?」
 子供にするみたいに頭を撫でられる。熱で鈍った感覚の中でもそれはやたら鮮明に感じられた。
 知らない他人やどうでもいい人間には絶対こんなことしないって、普段の左馬刻を見ていれば分かっちまう。そのくせに、こうやって俺を甘やかすから、俺はどんどん駄目になっていきそうだ。
「……なんで優しいんだよクソが」
「あ? 銃兎だろ、ここにいろって言ったのは」
「………少しでいいからな。2、3分でいい」
「ふざけんな、カップラーメンじゃねぇぞ俺は。もっと欲張ってけや」
「………」
 うるさい。言ってやろうか、どんどんお前のこと好きになっちまって困るって。言わないけどな。左馬刻は俺に引き止められてどう思っただろう。せめて幻滅されたくなかった。
 
 
▷ ▷ ▷ ▷ ▷ ▷
 
 
 少しでいいと思っていた。けれどそれが叶ったどころか、左馬刻は俺の家に泊まって行ってくれることになってしまった。組の事務所にも戻らないで俺の夕食と一緒に自分の飯まで作って、二人で食べた。
 嬉しくないと言えば嘘になる。でも本当に良かったんだろうか。左馬刻に甘えすぎていないか。
 警察とヤクザってだけじゃない。ただでさえチームメイトとして公私共に距離が近い分、一緒に過ごせる時間が長くなると、どんどん想いが根深くなってしまう。このままでは、俺一人じゃ抱えきれないくらい膨れ上がってしまうんじゃないのか。今まで築いてきたものが崩れるのは恐ろしい。たった一人に好意を抱いただけでこんな風に怖くなるなんて知らなかった。しかも相手が左馬刻って、進展なんか望むべくもない。
 ────左馬刻は俺より若いし血の気も多い。酒が入ると開放的になり、余計にムラついてしまうんだろう。始まりは数ヶ月前に左馬刻からキスしてきたことだった。そこからは気楽なもので、宅飲みして泊まった夜は左馬刻に引き寄せられるまま抱かれて、二人でスッキリして眠るようになっていた。俺に否はない。これ以上、何を欲しがるんだ。今以上を望まなければ、今のままで充分やっていけるだろう。

「……左馬刻、やっぱり帰ってくれないか。これ以上世話かけるのは悪いし、お前だってソファで寝たら休まらねぇだろ」
「あ? ……ンなの気にすんなや」
「お前に何かあったら俺が困るんだ。分かれよ」
 風邪の看病だとしても理由をつけて一緒にいられる時間が増えるのが嬉しいって知られたら、左馬刻を好きだと思っている下心までバレてしまいそうで。
 勘付かれるリスクは避けたかった。左馬刻の体調を心配しているのも本心ではあったから、そこを上手く利用することにして最もらしく訴えてみるが、簡単に跳ね返されてしまった。
「何かって、なんもねぇわ。いろって言ったり帰れって言ったり面倒くせぇウサちゃんだな……俺様がいたら邪魔なのか? 迷惑かよ」
「!? そんなっ、ぅ、ケホッ、ゲホッ……そんな、わけない……!」
 思わず咳が出てしまうが、それだけは伝えたかった。風邪なんかひいちまったせいで、普段に増して面倒臭い存在になっちまってることは自覚している。だけど、邪魔なんて、そんな風に思う筈ない。左馬刻がいてくれて心強いし、嬉しい。迷惑なわけねぇだろ、クソ……!
「あーあー、分かったから無理して喋んな。しんどくなんぞ」
「だって……おまえがっ……」
「俺様がずっと居てやる。昼間39℃近ェ熱あったんだから、そんなすぐ下がらねぇだろ」
「……ん……」
 帰ってきた時よりは大分マシだが、今も身体が熱くて、ほんのり寒い。頭の重怠さに抗えずに目を閉じた。同じベッドに寝ない夜は、俺と左馬刻にとっては珍しかった。セフレになる前も何だかんだと流れで一緒に眠っていたし、一度『ソレ』をしてからは、ここに左馬刻が泊まった夜は抱かれていた。身体の関係を持つ前と後で、左馬刻の中で何かが変わっただろうか。俺に利用価値が増えたと思っていいのか────?
「……テキトーに向こうで寝るからよ。なんかあったら携帯鳴らせ」
 気遣いが胸に痛い。ちゃんと寝ろよと、そう言った声すら優しくて苦しくなる。風邪のせいにはできない心拍数の乱れ。分かってる。これは多分、キュンとした、の部類に入る感情だ。
 俺のことを仲間として心配してくれている左馬刻には申し訳ないが、やっぱり左馬刻が好きだと思った。喉が痛くてヒリつく。これじゃラップに支障が出るし、早く風邪なんか治して、左馬刻のサポート役として、MTCのメンバーとして役立つ自分でいたい。……それに。

「……さま、」
「ん? 何だよ」
「今日、セックスできなくてごめんな」
「…………」
 黙りこんでしまった。
 そうだよな、左馬刻は血の気も多いし、俺より年下で、若いんだから。俺を押し倒してくるくらいには溜まってるんだろうし、やっぱりセックスできないのは不便に思われても仕方ないだろう。沈黙は、左馬刻に好ましく思われる要素が今の俺にはないと思い知らされているみたいだった。実際その通りだ。今日も左馬刻に世話ばかり焼かせて、『ここにいてほしい』なんて我儘を言って、引き止めた。左馬刻がせっかく作ってくれたご飯は食欲が湧かずに途中で残してしまった。セフレのくせにセックスの相手すら出来ない。こんな年上の男のどこを好ましく思えるというんだろう。
「ったくテメェ……マジか……、」
 不意に長々と深い溜め息をついた左馬刻が、寝室の出口に向けていた爪先を返して、ベッドに腰掛けた。意図が解らずに左馬刻を見上げると、ぎゅうっ!と勢いよく抱きつかれた。高熱で鈍った感覚でも、抱きしめられているのがハッキリ分かるくらいの力加減だった。少し痛いくらいだ。
「へ、ぁ、……さまとき……?」
「バカウサギ。鈍感クソ真面目野郎。俺のこと気にかけやがるくせにテメェの都合は全部後回しにしやがって………ンなこと俺様は頼んでねぇだろ」
 低く唸るような声で立て続けに放たれた文句のオンパレードに面食らってしまうが、文句はしょんぼりとした声で収束した。
「今日だって俺様が行くって行ったら来なくていいって言っただろ。チッ……何が心配すんな来なくていい大丈夫だ、だよふざけんなクソが。させろよ心配」
「さ、さまとき……?」
 キレてはいないが、不満がぐしゃぐしゃに渦巻いているのが分かる。ぶつけられた悪態の先に、心配だとか、優しさだとか、いやもう有り体に言っちまうと左馬刻からの愛を感じた。胸が熱くなる。セフレなのに愛されてるなんて感じるのはお門違いだろう。だけど左馬刻の温もりが俺の心にそのまま沁み入ってくるみたいだった。

「一人で頑張りすぎなんだよテメェは。さっさと俺様に頼るか甘えるかしやがれクソウサポリ公」
「……うん。ごめんな」
「謝ってほしいんじゃねぇ」
「……ありがとう」
「フン、……セックスなんか、別にしなくたっていいだろ。できなくてごめんとか謝んな、それ目的の男みてぇじゃねーか。俺様がそんなクズ野郎に見えんのか」
「……左馬刻……」
「……お前を一人にすんのも他の奴に看病されんのもムカつく。ウサちゃんが弱ってるとこ見せんのは俺様だけにしろや」
 命令とも言える口調だが有無を言わせない力がある。反射的に頷いた。表面上は分かりにくいけど左馬刻は優しい奴だ。クズなんかじゃねぇよ。俺は無自覚のうちに左馬刻を傷つけてしまっていたんだろうと、ここまできてようやく気づいた。
「すまない、左馬刻。俺、全然気づかなくて……今日、……その、来てくれて良かった。お前がいてくれて助かったし、それに」
「………」
「……帰るなって言ったら、いてくれて、嬉しかった。優しい、というか……何だかんだ言って面倒見が良いよなお前は」
「……優しいだァ? はっ、俺様がこんなことすんのテメェだけだわ」
「そうなのか……?」
「そうだよ。だから外野に言い触らすんじゃねぇぞ……秘密にしとけ」
「……分かった。俺達の関係と一緒だな」
「……理鶯になら報告してもいいかもしれねぇけど。アイツ気づいてんぜ多分」
「理鶯が……?」
「おう、……あー、まだ熱あんな」
「!?」
 額と額をこつんと合わせてくれる。近い近い近い。熱を測ってくれてるんだろうけど左馬刻に至近距離で迫られると造形が整いすぎていて眩しい。ああもう好きだ。勘違いするな、これはあくまで看病だ。左馬刻に他意はない。でも顔が良すぎることを自覚してほしい。タチが悪ぃんだよ!
 不可抗力で余計に顔が熱くなってしまう。これじゃ正確な温度も測れないだろふざけんな。自分で測れよって体温計を手渡す方式にしてくれ頼むから。
「へ、平気だ……! ねっ、熱は、あの、自分で測れる……っ」
 おいなんだ今の声、裏返ってなかったか? しどろもどろになってるのが面白かったのか、くつくつと左馬刻に笑われた。うわ、くそ、恥ずかしい。でも不意打ちはずるいだろ、左馬刻のせいだ。
「ッ……バカにしてんじゃねぇよ……! もういい、寝る……」
 好きな相手の前で格好悪いところ見せたい男がどこにいるんだろう。いるわけないだろ。こんなの全然ダメだ。これ以上左馬刻に顔を見られるのも嫌で布団の中に潜って篭城を決めこむ。
「おい、ウサちゃんよぉ。マスクもしてんのに寝苦しいだろそんなことしてたら」
「……………」
「チッ、しょうがねぇな……」
 舌打ちと呆れたような声の後、ベッドのマットレスに撓みが加わった。布団の中からは見えないが、左馬刻が近くに座っているらしい。

「じゅーとぉ、ンだよ拗ねてンのか?」
「………違う」
「別にお前のことバカにしたつもりねーよ……可愛いからつい笑っちまっただけだろ」
「……は、……?」
 拗ねたように弁解してくれるが、内容が意外すぎた。かわいいってなんだ、どういうことだ。流石に顔だけ出してみると、そこに見えたのは、ヤクザで俺様なハマの王様、碧棺左馬刻様の────随分と柔らかく微笑っている表情だった。お前そんな顔できたのか。長い睫毛が僅かに影を作り、細められたピジョンレッドの瞳はそれでも力強くて、純度の高いルビーみたいだった。
「おー、やっと出てきたかよ」
 満足そうに綻んだ唇から溢れた声は砂糖菓子みたいに甘い。夢中にならないやつなんか存在しないだろう。ブレスレットのない左腕が伸びてきて、汗で邪魔になっている前髪を手櫛で上げるようにされる。左馬刻お前、鏡見てきた方がいいぞ。セフレ皆にそんな顔してるのかと心配になる。左馬刻に触られていない背中の方までムズムズしてそわそわする。息を吞んで惚けたまま見上げるしかできないでいた。
「銃兎……おい大丈夫か? 目ぇうるうるしちまって……どっか痛てぇなら」
「! ……ぁ、わ、るい。自覚なかった……。今は、どこも痛くない」
「そーか……ま、俺様がいりゃ安心だろ」
「ふふ、……ああ、そうだな」
 布団の上から肩をポンポンと宥められ、なんだか笑ってしまいそうになる。俺が弱ってるせいなのか、やけに甘くて過保護だな。それこそ安心する空気を作ってくれるから甘えてしまいたくなる。
「……あー……マジでキスしてぇ」
「うつるからダメですよ?」
「うっせ、分ァってるわ」
 マスクをこれ見よがしに指差して笑ってやれば、渋い顔をした眉間に皺が寄った。
「……そういえば左馬刻ってキスするの好きだもんな」
「別にキスが好きなわけじゃねーよ」
「嘘つけ。俺に何回もキスしてくんじゃねぇか」
「…………」
「……口寂しいなら煙草吸ってくるか?」
「…………。いや、いらねぇ。それより手ぇ寄越せ」
「手……?」
「どうせ暇だし、お前が眠くなるまで繋いでてやるよ」
 裸の手のひら同士を重ね合わせて、しっかりと握られる。俺の手より低く感じる温度が心地よかった。他人の体温に安心したのだって、左馬刻と過ごすようになってからだ。眠いわけじゃなかったはずなのに、握ると握り返してくれる左馬刻の手に安心して、意識が微睡んでくる。看病して家に来てくれたのも、代わりに掃除してくれたのも、ご飯を作ってくれたのも、ただ何もせず、こうやって一緒にいてくれるのも────全部が嬉しくて、幸せで。左馬刻が好きだとつくづく思う。思わずにはいられない。

「……さま、とき。お前……」
「ん?」
「優しいし、カッコいいし……なんか、彼氏みたいだな」
「……なってやろーか」
「え……?」
 冗談めいた返答。ちゅ、と指先に唇を落とされた気がしたが、果たして現実だったのか、俺に都合のいい妄想なのか、分からない。
「銃兎は? 俺が彼氏になったら嫌か?」
「い、いやじゃない。……好きだ」
 関係を壊したくなくてずっと口にせずにいた『好き』がぽろっと零れ落ちてしまった。
 好きだなんて告げるつもりなかったのに。左馬刻が俺の恋人になってメリットがあると思えないし、大体セフレに好きだって告白されたところで、左馬刻を困らせるだけだろう。それなのに何で言っちまったんだ────しまったと思っても、もう遅い。俺がたった今口にした言葉を正しく理解してしまったらしい左馬刻は、
「……やっとだなぁ、銃兎。ようやく言いやがった」
「……へ……?」
「俺様も、銃兎が好きだ。めちゃくちゃ好き。銃兎しかいらねぇ。ならせろよお前の彼氏」
 見て分かるくらいに、ものすごく嬉しそうだ。スピード感ある彼氏にならせろ宣言に面食らったのは俺だ。やっとって何だ。ようやくって。まるで分かってるみたいに。初めて言ったんだぞ俺は。
「………ちょっと一旦待て」
「ンだよ、やっぱり無しってのは無しだからな!」
「お、驚かないのか……? 左馬刻を、すきなの……ずっと黙ってて……」
「はぁ? いや驚かねーよ今更」
「そうなのか……!? どうして……?」
「マジか………ははッ、……ふ、なんでだろーなぁ? 銃兎のこと見てたら分かっちまった」
「そんなの、全然気づかなかった……チームの仲間で、一緒にいて、セックスだってしてたのに…」
「すげぇ大好きって顔してんだよお前。俺様の勘違いじゃなくて良かったわ」
 大好きって顔してたなんて左馬刻に言われるまで気づかなかった。今でも鏡を見たわけではないから、よく分からない。
 セフレって関係も、左馬刻に惚れてることも、秘密にして周りに隠してたつもりだったんだ。ずっと知られてたのか?
 ……恥ずかしいけど、左馬刻に引かれなくてよかった。思わず笑みが零れる。なんだ、両想いだったのか俺たち。赤裸々な気持ちを吐露したせいか、安心感が押し寄せて、いよいよ眠くなってきた。
「俺ら両想いだから付き合おうな。デートもしようぜ」
「左馬刻……、俺……」
「明日の朝、続き聞いてやるからよ」
 意識が部屋の暗さに混じって、輪郭もあやふやになる。目を閉じてから眠りに落ちるまではすぐだった。とろとろした微睡みと、手のひらから伝わる左馬刻の体温に、不安も心配も凪いでいく。
「手ぇ繋ぐだけじゃなくて一緒に寝ていいだろ? いいよな、じゅーと」
「? ……ぅ、ん」
 眠くてよく分からないけど左馬刻が楽しそうなのは良いことだなと思って頷いていた。「お前も俺様だけ見てろよ」と、すぐ傍で左馬刻が笑う。見てないとでも思ってるのか。だったら、とんでもなく心外だ。………俺だって、最初から左馬刻しか見てないに決まってる。チームに誘われた日、俺の途方もない願いを叶えてくれると言ってくれたのは左馬刻だろ。お前以外に、俺の願いを叶えるなんて言ってくれるヤツいねぇよ。
 大体、左馬刻が特別カッコよくて眩しいせいで、隣にいて、しかも眼鏡までしてるのによく見えなかったんだろ。俺のせいじゃない。これはそうだ、明日の朝、お前に言ってやる文句だ。