他人には言えない類の感情を抱いている。回りくどく言うのをやめるなら、惚れて、焦がれて、自分にない魅力には憧れもしていた。本来なら健全に信頼して、時には協力して然るべき、同じチームの仲間に。
今のご時世、性別に囚われることなく自由に好きにしたらいいと大らかなふりをしなければ差別主義者だなんだと袋叩きに遭うかもしれない。でも、やはり、これは男が男に対して抱く感情ではないだろうと俺は思う。いや、他の連中のことは知らない。でも少なくとも俺がアイツ────碧棺左馬刻に向けているこの感情は、間違っていると思う。恥ずかしいと思う。俺の邪な心を知らずに隣に並び、陣取り、信頼してくれている左馬刻に申し訳がなかった。相手に歓迎されない感情なんて、知られたくない。害悪でしかないからだ。チームに誘われたあの日に惚れたと言っても差し支えないが、その時よりも大分、同じ志を持って過ごしている時間が積み重なって、絆も増した。好きが根を張ろうとしていることを俺自身が一番分かっていた。根は目に見えないが、ただ一つ、はっきりと”見えている”事実がある。
俺が左馬刻に向けるこの感情は、痩せた土地に埋まっている種と同じだ。いつ蒔かれていようが、もし芽吹いていたところで関係ない。花は咲かないし、小さな新芽が芽吹いたところですぐに枯れる。誰にも気づかれず、栄養不足で、大きく育たず枯れるだけだ。また性懲りもなく芽吹いたところで結果は変わらない。恵みの雨は降らず、慈しみの陽光だって届かない。
「オイ銃兎、口直しってわけじゃねぇけどよ……この後一杯やろーぜ。悪徳警官の労を労うついでに、誕生日も祝ってやるって言ってんだ。付き合えよな」
「……ふふ、そうか。ありがとう」
既に理鶯による持てなしを受けた後だったが、帰り道でじゃあまたな、とはならなかった。意外とそういうところマメなんだよな。左馬刻自身の誕生日はどうでも良さそうにしてるくせに、俺や理鶯の誕生日をこうして毎年祝ってくれる。不遜な左馬刻様は俺の思いを知らない。恋愛的な好意なんか存在するわけがないと思っているだろう。たとえそう思われていても構わなかった。俺も左馬刻の誕生日を祝うし、理鶯の誕生日には左馬刻と二人でお祝いをする。十分過ぎるほど、恵まれている。ただ、好きな相手と過ごせて誕生日を祝い合えるという幸せ、それだけでも、もう十分だと思えるんだ。だから、この関係を変えようとは思わない。壊したくなかった。大体、俺がいつから好きだったとしても、いつまで好きだったとしても、左馬刻には関係ない話だ。変わることもなく、枯れるのを待つだけだ。そのうちに、新たな芽も出なくなるだろう。不毛というやつだ。左馬刻が彼女の一人でも連れてきて、俺に少し照れながら紹介してくれて、俺は「大事にしてやれよ」なんて当たり前なことを言って笑うような日が、いつか来るに違いない。左馬刻には幸せになってほしいと思う。
だけど今はまだ根が残っていて、無理やり引き抜く痛みを先送りにしている。電話越しに下らない話をしている時や、隣を歩いている時、火を移し合って煙草を吸う時も、一緒にメシを食ってる時も、酒のグラスを合わせて乾杯する時も、コーヒーを淹れている左馬刻と目が合って「ンだよウサちゃん、そんな熱心に見たってすぐ出来ねーぞ」って揶揄われた時も、言わないだけで勝手に想像してるんだ。
左馬刻のこと好きなんだ俺、と、告げたら、左馬刻はどんな反応をするんだろう。どんな顔をして、俺を見るだろう。
無論、実行に移したことはありませんけども。当然だ。過去に一度でも俺がそんなことをしていたら、今もこうしてチームを続けているとは思えない。チームメイトの男に懸想されているのも、担当のマル暴が若頭である自分に惚れるのも、左馬刻から見て全くメリットがない。俺が言わずとも気色悪いからツラ見せんな、くらい言うだろう。俺を遠ざけて、関わりを避けるようになるだろう。今のような関係ではいられない。考えただけで指先が変に冷たくなるし、喉に空虚が詰まった。
「明日も休みなんだろ? ウチに泊まって行ってもいいしよ……それで、まぁ、ウサギ用のパジャマだって前に買ってやったし……ただ仕舞っとくだけじゃ勿体ねぇだろうが。俺様はパジャマとか着ねぇしよ」
「そうだった。わざわざ下着だけじゃなくてパジャマ買ってくれたんだよな……左馬刻は着てないのか? 着心地が良くていいぞ」
「あのパジャマはウサちゃん専用なんだわ。銃兎以外に着るヤツいねーよ」
「……そうですか」
今の聞いたか。俺以外いないって言われたのが嬉しい。左馬刻様の家に俺専用のものがあるんだと思うと、改めて特別な気分に浸ってしまう。まぁ単なる親切心だろうから、変な期待はしない。そこは弁えている。胸の内では飲む前からフワフワほかほか浮かれてしまうが。
実用という観点でも最適解だったんだろう。左馬刻の部屋着を使うのは忍びなかったから、家で着ているのと似た形の長袖のパジャマがあるのは正直助かっている。
初めてアイツの家に泊まった時、当然ながら俺の着替えはなくて、左馬刻が寝る時に着ている半袖のTシャツとか裾丈の短いハーフパンツを借りた。それを見て「やべぇ」とだけ漏らしてたの、俺はちゃんと聞いていたんだ。着たのが俺じゃなくて女だったら左馬刻の反応も違ったのかもしれないとか、意味のないたらればを考えてしまう。
俺の頭のてっぺんから裸足の爪先まで見た左馬刻は何だか困っているように見えた。姿見に映してよく見たわけじゃなかったが、俺は左馬刻より4つ年上だし、あんまり似合ってなかったんだろうな。理解はできる。俺が風呂に入る前よりも明らかにソワソワしていて、こうなると同じ寝室を使うのも気が引ける。「寝る時リビング借りていいか?」と聞いてみたが「ふざけんな、ンなカッコしてんだからここで寝ろ……テメェが風邪ひいたら寝覚め悪いだろ」と言われて、結局一つのベッドで一緒に寝た。
左馬刻はベッドが狭くなることに文句一つ言わず、俺に毛布をかけてくれた。寒くねぇかと聞かれて頷いたのを覚えている。俺様なのに身内には優しいんだよな。その優しさが嬉しかったけど、少しだけ凹んだ。これは左馬刻には秘密だ。
▷▷▷
「左馬刻、近いから……もう少し離れてくれ……」
「あーん? 俺様の酒がのめねぇってのかこら。せっかくてめーのためにジョートーなボトル開けてやったんだぞおれさまは!」
「そうじゃねぇよ! 髪いじるな!」
「フン、いいだろ減るモンじゃねーし……」
なんで俺より先に酔ってるんだよコイツ。左馬刻の呼吸が分かるほど、距離が近い。左馬刻の指先が髪に触れて、ワックスのない毛先に戯れる。なんなんだ、俺にそんなことして。拗ねた顔かわいいからやめろ。本革張りのソファは立派に広くて余裕があるのに、左馬刻と俺の距離感がバグっているせいで体温が伝わってくる。パーソナルスペースどこ行った。
もちろん着衣越しではあるけれど、これは拷問に等しい。俺にとってこの幸福は苦痛でしかない。酒とツマミのチーズやハムを準備してくれた眉目秀麗のヤクザが、グラスを俺の手に押し付け、注いでくれる。自分はウイスキーだ。ワインは俺のため、なんだろう。
「銃兎ぉ」
注げと言外に言われて反発したくなるが、先にされた手前、文句も言えない。それに祝おうとしてくれていたのは確かなんだろう。俺は渋々ウイスキーのボトルを傾ける。そうして満たされたロックグラスを手に、左馬刻はフッと吐息混じりに頬を緩める。組の舎弟だって知らないだろう、柔らかな笑い方。そんな顔ができるほど酒が好きなのか、なんて冷静に考えられたのは頭の片隅のみで、大部分はときめきで侵されて、吹きこぼれでも起こしそうなくらいに熱い。密着している腿から組まれている肩から、全てが伝わってしまいはしないかと恐れながらも、どうすることもできない。
顔が熱い。自覚すると同時に慌ててグラスを空にする。
「お、なんだよ、気持ち良く飲むじゃねぇか」
自らもグラスを片手にしている左馬刻がまた、頬を緩める。上機嫌だ。俺といて、とても楽しそうにしてくれる。今日も家に誘ってくれた。
「……ってオイ、ウサちゃん顔真っ赤じゃねぇか? 大丈夫かよ」
「っ! う、うるせぇな……平気だ」
酒も対して呑まずに赤面すればさすがに見咎められてしまうからと慌ててグラスを傾けたのだが、気づいた。そうだ、逆を言えば、酒のせいにすればいいんだ。味わって飲めなかった分の酒には悪いが、そのことに思い至り、俺は目が覚めたような心地でもう一杯、更に一杯、更に更に、とグラスを重ねた。自棄酒のように見えたかもしれないが、途中、左馬刻に止められることはなかった。むしろ「俺様にも寄越せ」と言ってきたくらいで、ふと気が付けば、何もかもが曖昧になってぐわんぐわんと世界が揺れていた。
境界線の滲む世界で、左馬刻の銀色の髪はいつも以上にキラキラと光を反射して見えた。長い睫毛の縁取りも魅力だが、左馬刻の赤い瞳は何より綺麗だと思う。甘く熟したストロベリーみたいだ。贈答用の高級でピカピカしているやつだ。密着している腿も気にならないし、いつの間にか左馬刻には肩じゃなくて腰を抱かれていたが、もうそれも気にならなくなっている。
今、なら、言えるんじゃないか。
好きだ、と。
全て酒のせいにして、酔っ払いの戯れ言にしてしまえば、言える。欲望を抑える理性はアルコールの沼に沈んで、溶けて、掴みようがなかった。左馬刻に好きだって言いたい。今なら言える。ずっと左馬刻のこと好きなんだ。瞳と髪が綺麗で、カッコよくて、甘えてくるところや我儘さえ可愛くて、ラップも腕っぷしも強くて、頼りになる。俺の自慢のリーダーなんだ。いいよな。好きって言っても。
他人には決して言えない類の感情だと、分かっている。分かっているけど、左馬刻は『他人』じゃない。惚れて、焦がれて、自分にない魅力には憧れもしていた。本来なら信頼して、時には協力して然るべき、同じチームの仲間に、今なら────左馬刻になら言える。俺。だって誕生日だから。酒も沢山飲んだから。
「さま、とき。俺……」
「………」
俺を、じっと見ていることに気が付く。左馬刻は睨んでいるわけではなく、ぼんやりしているわけでもない。しっかりと俺を見て、息を潜めて、言葉の続きを待っている。急にこわくなった。左馬刻の纏う空気が、妙に緊張している。吐息が触れるほど近いから肌でそれを感じる。俺の腰に回された腕に、きゅっと力が入ったのも、分かってしまう。
「……俺、……」
「………銃兎?」
「……なんでも、ない」
こわくなったから、口を噤んだ。酩酊した火照りが冷めていく。やっぱり軽率な行動はやめた方がいい。左馬刻の気持ちを考えろ、せっかく楽しそうだったのに、不快にさせたくない。
「オイなんでもなくねーだろ……! 銃兎、教えろよ」
「なんて言おうとしたか忘れたんだよ! だからもういいんだ!」
「……そーかよ……」
しゅんとして、氷の小さくなったグラスを干す。酔っているのは左馬刻も同じだろう。しかし、纏う空気が変わっているのは変わりない。
「……左馬刻?」
「ずりぃだろお前。悪徳警官。クソウサギ」
「はぁ? お前こそ、俺の世話焼いたりしすぎなんだ……!」
期待しそうになる、と言いたくなるのを抑えたが、左馬刻の返答に息を呑む。
「しょうがねーだろ好きなんだよウサギが!!」
「……ウサギ、が?」
「……ウサギが、……いや、まぁ……か、可愛いだろうが」
ふい、とそっぽを向く。これは、もしかして。
左馬刻が彼女の一人でも連れてきて、俺に少し照れながら紹介してくれて、俺は「大事にしてやれよ」なんて当たり前なことを言って笑うような日が、いつか来るに違いない。左馬刻には幸せになってほしいと思う。そんな未来がくると思っていたけれど。気色悪いからツラ見せんなと吐き捨てて、俺を遠ざけて、関わりを避けるようになるから、今のような関係ではいられない、と思っていたけれど。だけど、今の左馬刻の反応を見ると、さっき潰れた期待が膨らんでしまう。今、なら、言えるんじゃないか。
踏み込むには覚悟が必要だ。拒絶されるのがこわい。気が竦む。だけどやっぱり、左馬刻になら言えるんだ、俺。言いたいって思うから。
「俺もウサギは好きだけど……馬が、一番好きなんです」
「……は」
「特に白い馬が好きだ。綺麗だし、カッコよくて、誰よりも頼りになるところが好きなんだ」
「………!」
「それに昔の童話じゃ、王子様は白馬に乗ってくるって言うし……へ!? ぁ、ちょっと左馬刻!! 急に運ぶな!! 視界が回るだろ!!」
「続きはベッドで聞いてやる」
ギラギラと沸る熱を宿した瞳に、まっすぐ射抜かれる。荒っぽく口付けてくるのは”王子様”と程遠い。そうか、こいつは王子様じゃなくてハマの王様だった。全部欲しいまま。俺は差し出すだけ。左馬刻の口付けに応えて、溢れる唾液を啜った。酒の味する。熱い。気持ちいい。恵みの雨が降らなくても、慈しみの陽光がなくとも、俺の想いを根絶やしには出来なかったわけだ。
「好きだぜ銃兎。誕生日を祝うなんざ柄でもねぇが……日付、間に合って良かったわ」
その両方が与えられている今の俺はもう最強だ。白馬は育ったばかりの新芽を好んで食べるだろうけど、根まで引き抜いて枯らしてしまうわけじゃない。左馬刻なら大丈夫だ。
「俺も、左馬刻が好きだ。誕生日祝ってくれて嬉しいし、……願いを叶えると言ってくれて、俺のこと好きにまで、なってくれて……夢みてぇ、ッぁう」
ぢゅう、と首筋をきつく吸われた。痛いのに、じわじわと熱が走って抗えない。目が合った左馬刻は眉間に皺を寄せて不本意そうな顔をしていた。
「勝手に夢にすんな。忘れさせねーぞ」
「やぁ、ひっん…身体なぞられるの、くすぐってぇ……、さま、」
シルクのパジャマは肌触りもよく滑らかな生地だ。左馬刻自身は着ないと言っていたが、その感触を楽しむように脇腹をゆっくり撫でられる。濡れた唇同士を重ねて、ぺろぺろ、くちゅくちゅと咥内での交歓に浸る。深くキスするとアルコールが回ったようにくらくらするのに加えて、左馬刻に触れられてるという事実が嬉しくて自然と視界が潤む。はしたないけど嬉しいんだ。
「んむ、ちゅ……ぅ、さまとき」
「じゅーと、ごめんな……苦しかったか…?」
「ちがう、きもちぃ……」
銃兎テメェあんま可愛くなりすぎんと加減できなくなっちまうだろ程々にしろや────怒ったように一息で言ったが、怒っている、というよりは感情の遣り場に困っているみたいだった。左馬刻も俺の言うことで照れたりするんだな。あまりにも俺を好きだって顔をしているから、胸が一杯になった。もっと左馬刻が欲しい。もっと触ってくれ。じくじくと疼くのは身体の奥に燻っている欲だ。左胸の拍動を確かめるように手を置かれると、ドキドキしているのがすぐにバレたらしい。吐息だけで笑われる。
「なぁ、パジャマ脱がしてぇ。ウサちゃん腰上げてお手伝いしてくんね? 嫌だったら今日はやめるけどよ……」
「………ん、いいよ」
足に力を入れて腰を持ち上げた。するんとパジャマの下があっけなく脱がされ、ぎゅう……と抱きしめられる。俺は言うまでもなく緊張してるけど、この先への期待もある。左馬刻だって俺と同じくらい緊張してるし期待してくれてるって、思ってもいいよな。恥ずかしさはあるけど左馬刻に食べてもらえるの嬉しいよ。俺の柔らかいところ全部捧げて、お前と一つになりたい。