「お兄さん。もしかしてサマくんのこと好きなの?」
ハロウィンでヤクザがお菓子を配るというので警備についていたが、ふと気づくと足下に小さな女の子が一人立っていた。お菓子を抱えているが、そちらよりも銃兎に興味があるらしく、無垢な眼差しで見上げてくる。銃兎は「はい?」と首を傾げた。
「ええ、と。……あの、なんですか?」
「サマくんが好きなんでしょ!」
「サマ……なぜ私にそんなことを聞くんです?」
サマくん、などと可愛いらしく呼んだことはなかったが、まあサマくんに対して心当たりがなくもない銃兎である。だが、何故バレたのか。
「え。好きだよね。だってわたしの女の勘が、お兄さんはサマくんのこと好きって言ってるもん!」
女児が声高に宣言した。幼いながらに女の勘とは恐ろしく侮れないものだ……それを聞きつけた他の子供たちも銃兎のところへ一斉に駆け寄ってきてしまった。
「えー! お兄ちゃんもサマくんのこと好きなの!?」
「どうしよう……ねぇ、このお兄さんもお嫁さんにしてあげる?」
「えーでも、そしたらサマくんを好きな子、八人になるから駄目だよっ。月曜日から日曜日、一日ごとに交代して七人でお嫁さんになろうねって決めたでしょ?」
これじゃあヤクザの警備どころではない。銃兎の足下でおしゃまな女の子達の相談会が始まってしまう。顔を見合わせてサマくんとの結婚について深刻そうに話し合っていた。お兄さんも一緒に話そ、とスーツの裾を引っ張られ、これはどうしたものかと困っていると────
「どうしたお前ら。揉め事か?」
左馬刻が間に割って声をかけてきた。
「サマくんだ! あのね、大変なの! どうしよっかってなっててね、それで」
「おうおう、何が?」
「あのね、このお兄さんもサマくんのお嫁さんになりたいんだって」
「でも、お兄ちゃんをお嫁さんに入れたらお嫁さんが八人になっちゃうの」
「お嫁さんは七人しかなれないのに、どうしよう?」
謎理論を語る少女達に詰め寄られている左馬刻は、さして困っている様子もない。子供達と1日接していたせいなのか、すっかり扱い慣れているようだった。
「へぇ、この兄ちゃんも俺様のお嫁さんになりてぇのか……なるほどなぁ」
幼くて純粋な女児には分からなかったかもしれないが、左馬刻の声と向けられる視線には「俺様のお嫁さんになりてぇのか?wマジかよw」と小馬鹿にしてくるような意味合いがあり、銃兎はカッと頬を染める。
左馬刻のお嫁さんになるだなんて、そんな間柄でもない。ハナから望んでいなかった。しかし馬鹿にされているのは腹立たしいし、「なんでこんな奴のために自分が怒らないといけないんだ」「いやむしろ自分も入りたいくらいなのにコイツらが横取りしているんじゃないか」などと、子供相手に理不尽極まりない怒りまで湧いてきそうだ。
三日前の夜、ちょっとしたことで左馬刻と口論になった。銃兎が他の男にホテルへ誘われているのを見られたのだ。そいつに乗り換えんのかと詰め寄られ「お前みてぇなビッチ本命にする野郎なんざいねぇんだよ。さっさと諦めちまえや」と罵倒された。銃兎はしっかりと覚えていたし、左馬刻だって忘れたわけではないだろう。だがこんな全年齢向けすぎる場で爛れた夜の確執を暴露できるわけもなく、銃兎は沈黙を守った。
「お兄ちゃんだけ仲間外れにするの可哀想だよね」
「サマくんに決めてもらおーよ!」
「安心しろ。コイツはお嫁さんじゃなくて……そうだな。愛人にでもしてやりゃいいんじゃねぇか?」
────愛人。銃兎の身体が冷たく凍り付いた。
「アイジン?」
「アイジンってなにー?」
「愛人ってのは……お嫁さんほど好きじゃねぇ人のことだな。お嫁さんは旦那さんの家族で恋人で一番大事なんだけどよ、愛人は二番目なんだよ。本命じゃねぇの。この兄ちゃんはお前らみてぇに可愛くもねぇし、二番目にするわ」
銃兎はギュウっと拳を握る。悔しくて心が痛くて、悲しかった。子供相手に戯れで言ったことだと分かっている。しかし、一番にならないとはっきり通告されたようで、なんだかとても苦しい。欲を解消するだけの夜を過ごしていたが、それをやめようと思ったことはなかった。愛されているような錯覚を覚えていたのかもしれない。自分が左馬刻の一番になろうと思ったことはなかった。なれるとも思っていない。左馬刻の恋人になれなくてもいい。銃兎は左馬刻のことが一番好きだが、左馬刻にとって入間銃兎という存在は一番じゃなくていい。それは前から決めていたことだったはずなのに、こうして左馬刻から『本命じゃない』と言葉にされてしまうと、ひどく落ちこんだ。
愛人。二番目。恋人にはならない。警備しに来ていたはずが、自分の心がぐずぐずにされてしまった。まさに傷心。こんな体たらくじゃ、愛人の役目すら務まらねぇなと自嘲する。これ以上は左馬刻の口撃を受けたくなくて、銃兎はその場を去ろうとした。買い出しに付き合えと言われた時は少しばかり嬉しかったのに、愛人と言われたショックで、一気にマイナスだ。……仲間としての二番手なら誇らしいと思えるのに、左馬刻の本命になれない二番手は、空っぽで寂しかった。公私ともに二番手な自分。左馬刻の一番にはなれないのに、それでも左馬刻のことを一番好きでいる自分が、惨めだった。こんな思いするなら好きになんかならなきゃ良かった、左馬刻なんて。
堪えきれずに立ち去ろうとしたが、子供の頭を撫でた左馬刻が苦虫でも噛み潰したような顔をしていて、それが気になった。どうしたんだろうか。でも、自分が何かできるわけでもないだろう。
「……では、私はこれで」
「銃兎」
「は!? おい離せよ……っ」
たった一言、名前を呼ばれただけでろくな説明もないまま、強制的に部屋の中、一般向けに開放されているわけではない建物の内部まで引っ張っていかれてしまう。サマくんどこいくのー?なんて残念そうに聞かれ「お兄さんと秘密の話すんだよ」と笑う左馬刻は、一体なにを考えているのか。
「……んで? 一丁前にショックでも受けてんのかよ」
「……ははは、なに言ってんだ」
「そのツラ見りゃ分かんだわ。警備になりゃしねぇから連れてきてやったんだろ」
だるそうに言う左馬刻を銃兎はぼんやり眺めていた。ふと、左馬刻が気付く。「お前手に何持ってんだ」と。
止める間もなく、左馬刻は銃兎からそのビニール袋を奪い取った。慌てたものの、時既に遅し。せめて気付かないでくれと願うが、勘の鋭い左馬刻は容易くその正体を見破った。
「……もしかしてこれ、差し入れだったりすんのか」
「煙草、切らしてたら、やろうと思っただけだ」
「ガキどものいる前で吸うわけねぇだろ」
言われてみれば、たしかにそうだ。なぜ、こんなにも悪い出来事が重なってしまうんだろう。左馬刻にこんなところへ連れてこられなければ、少なくとも差し入れのことはバレずに済んでいたはずなのに。
「……私は愛人で、所詮は二番目で、可愛くもありませんし……これも、要らないものでしたね。ゴミ箱行きにしてくださって構いませんよ。私、その銘柄は好きじゃないんです」
カートンで買ってしまったのが余計に決まり悪かった。受け取る相手のいない煙草が床に落ちる。渡す相手なんて最初からいなかったのだ。銃兎が気づかなかっただけ。バカだな、と自嘲する。
歪な形で捨て置かれたビニール袋をそのままに、今度こそ出て行った。本当はふざけんなと叫んでぶん殴ってやりたいくらいで、それなのに泣きたいような気持ちだった。情けない自分は、奥歯を噛み締めて押し殺す。
△▼△▼
それから二日後。あんな諍いがあって尚、同じチームであり仕事上の付き合いのある左馬刻とは関係を断つわけにもいかない。それに惚れた弱みだ。夕飯を作りに来る左馬刻を無下にはできなかった。
左馬刻が不在のリビングで、銃兎はオオサカに帰っている盧笙とビデオ通話していた。同じチームの簓も盧笙と一緒に部屋で寛いでいるようで、どうせなら顔見て話そやと陽気に誘われたのである。それにしても────深くは突っ込まないが、距離が近いような。二人の親しげな様子が、今の自分達とは全く違っていて、なんだか羨ましくなった。
「にしても入間さん、左馬刻と上手くやってるんやなぁ! キッチンで何か作ってんのも左馬刻なんやろ? おーい左馬刻ぃ!」
「おい簓、あんまり詮索するもんやない……! すんません、入間さん」
「ああ……いえ、良いんですよ。別に上手くやっているわけではなくて……この間、私がカレーを作ろうとしたのですが、失敗して大ヤケドするところだったんですよ。そのせいで左馬刻を随分怒らせてしまいましたから。私の家のキッチンなんですが、今のところ出禁なんです」
小さな切り傷は既に塞がっているし、毎日の食事で体調も良くなったように思う。そう、左馬刻はあれから毎日のように様子を見に来てくれていた。左馬刻の行動は銃兎の胸を苦しくさせる。左馬刻は本当に自分のことを好きなんじゃないかと錯覚してしまうのだ。二番目がお似合いだと目の前で通告されたのに。
簓はぽかんと口を半開きにすると、次の瞬間には、にんまりと笑みを深める。
「……へぇ。ヤケドしそうになったからって、左馬刻がわざわざ来てメシ作ってはるんか。アイツよっぽど心配性なんやなぁ……知らんかったわぁ、俺」
「ええ、と……その、私がチームメイトだから仕方なくやっているだけだと思います。本当だったら、私の顔なんか見たくもないでしょうからね」
二番目の愛人ではなく本命の一番好きな相手がここにいたら、左馬刻はどんな風に世話を焼いて甘やかすんだろう。もしかしたら、俺に作ってくれる料理も本命への練習用なのか────左馬刻の作る料理はどれも味付けが好みで美味しいのに、そう考えると途端に悲しくなってきた。左馬刻の本命になれる相手が羨ましい。
「……そうやろか? 俺は、そうは思いませんけど」
きょとん、とした顔で言ったのは盧笙である。
「……え?」
「入間さん知らんのですか? 若頭さん、入間さんが居なくなったあと随分と落ち込んでましたよ」
「……左馬刻が?」
「舎弟の人らが入間さんの差し入れ代わりにもらおうとしたら、これは俺が貰ったんだって、……アレは渡すどころか指一本たりとも触れさせへん勢いやったわ」
人が良さそうに笑いながら盧笙が話してくれた内容は、あまりに意外すぎて、すぐには理解できなかった。頭に入ってこない。
「ああ、あと、あの子ら……なんや、碧棺くんにえらく懐いてた小さい女の子ら知ってます? あのあと戻ってきた碧棺くんに『やっぱりあの兄ちゃんも俺様の恋人にするわ。アイツだけ仲間外れにすんの可哀想だからよ。あとアイジンって言葉は忘れろ、あんまり使っていい言葉じゃねぇンだわ。使うんじゃねぇぞ。特にあのスーツ着てた眼鏡の兄ちゃんにソレ言ったらダメだからな。ヨコハマでアイツ見かけたからってアイジンの人だ〜とか言ったらサマくん怒るからな』って真剣に諭されて」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせぇんだよ外野どもが!! 黙りやがれ!! アレはガキの遊びに付き合ってやっただけだわテキトーに喋っただけで全然まったくこれっぽっちも深い意味なんかねぇ!」
キッチンから左馬刻がすっ飛んできたかと思うと、通話終了のボタンを早押しクイズのように押された。正解は不明のまま、出題者の解説もなく通話が終わる。一部始終を目の当たりにした銃兎は、なんと二の句を継げばいいのか迷った。
「……さ、左馬刻」
「おい銃兎ォ、変な勘違いしやがったらブッ殺すかんな!」
耳から入ってくる言葉の文字面は暴言でしかないのに、銃兎の頬が、じわじわと熱くなっていく。盧笙の話。今の左馬刻の態度。
この男は、ずっと自分を気にかけてくれていた。その事実が浸透して、銃兎の中で形を成していく。嬉しかった。
「聞いてんのか銃兎! ……二番目とか愛人扱いしたことはさすがに悪かったしそこはまぁ反省してなくもねぇし愛人とかもう絶対言ったりしねぇけどな、それ以外は俺様は何も悪くねぇ! マジで変な勘違いとかすんじゃねぇぞ!」
「……だったら、俺の勘違いでも良い。左馬刻が俺のこと好きだって……恋人みたいだなって勘違いさせてくれよ、左馬刻」
「っ、」
銃兎が切に望んだ言葉は、左馬刻の頬を熱くするのに効果覿面だった。俺以外の男と一緒にいるだけでイラつく。他の奴には触らせるんじゃねぇ。ずっと俺の横に居ろよ。言えずに抑えつけていた独占欲丸出しの言葉たちを、本心から口にしたくなりそうで、心臓がバクバクいっている。
「お、前なんか……」
「うん」
「余裕ぶりやがってムカつくんだよ」
「どこがだよ。ねぇよ、余裕なんて。……本当は不安だし、お前に酷いこと言われたら傷つきもする」
「ッだからそれは……くそ、」
その先に続く弁明の言葉はなかった。ぐいとネクタイを引っ張られ、引き寄せられると同時に触れた唇。
「なぁ、さまとき……もっと」
誰も見てねぇだろ。なぁ今だけ。左馬刻がキスしてくれたの内緒にするし、絶対に言い触らしたりしねぇから、……交渉を続けようとした銃兎が静かになったのは「うるせぇんだよお前。黙ってろや」と命令されたからではない。痛いほど抱きしめてくれた左馬刻を、ぎゅーっと抱きしめ返すのに忙しかったので。